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野村證券の陥穽

2019年7月1日

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政治経済情報誌「ELNEOS」7月号寄稿

 日本のウォールストリート・兜町は、情報網が網の目のように張り巡らされた迷宮である。相場に関する情報なら、針が落ちた音でも聞き分ける。

 わたしが「兜記者」だった時代は、細川護熙内閣が誕生する直前のことである。小沢一郎氏による自民党の分裂を背景として、政権交代の足音が迫ってきていた。来るべき総選挙に備えて、自民党は政治資金の提供を兜町にも求めてきた。

 大手証券のある首脳との一対一の雑談のなかで、そのことを知ったわたしは、電話で資金の融通を申し出てきた自民党の首脳の名前とともに、朝刊の一面で特ダネとして事実を報じた。

 記者の情報源の秘匿は、いうまでもなく破ってはならないメディアの根幹である。「秘密」の共有はふたりに限る。上司や同僚にも明かしてはならない。当然ながら、彼らもその主体を聞いてはこない。

 兜町の情報網の恐ろしさを知ったのは、大手証券の首脳と一対一の取材であったにもかかわらす、報道の当日には他の証券会社の経営部門に近い幹部は、情報源のみならず、取材のおおよその日時まで知っていたことである。

 兜町の情報収集の担当者の力量は、会社よりも、その人が日ごろ築き上げている、霞ヶ関の官庁街や日本銀行などの人脈にかかっている。とはいえ、その総合力において、野村證券の地位が筆頭格であることはいうまでもない。

 その野村證券が情報網の陥穽に落ちた。東京証券取引所が第一部の活性化に向けて、企業の絞り込みについて諮問していた「市場構造の在り方等に関する懇談会」(座長・神田秀樹学習院大学大学院教授)のメンバーである野村総研のフェローが、本体の野村證券のリサーチ部門に対して需要な事項を漏らしたのである。

 東証一部改革の要点は、一定以上の基準の企業について新たな特別の枠に入れて、それ以外は一部にとどめくというものである。この基準が焦点になっていた。時価総額によって判断されるとみられていた。それが二五〇億円になるのか、五〇〇億円になるのか。TОPIXに組み入れられるかどうか、といった思惑を呼んでいた。

 「懇談会」のメンバーである、野村総研のフェローは三月五日、野村證券のリサーチ部門に「二五〇億円」の可能性が論議のなかで高まっていることを告げた。さらに同日と翌日にかけて、リサーチ部門は日本株営業の社員らに情報を伝えた。

 東京市場が始まる直前に本支店で営業担当者を交えて「朝会」が開かれる。「二五〇億円」の情報は、さほど大きなものとしては捉えられなかった。東証一部改革の全貌が決まったわけではなかったし、上場株式指数にどのように反映されるかもわからなかった。その意味では「小ネタ」扱いだった。

 野村證券の取締役会が、情報漏えいを認識したのは、一部報道機関によって報じられた直後の三月二九日だった。

 野村證券の広報部門がことの重大性に気づくチャンスはあった。この取締役会に先立つ三月一六日付の日本経済新聞が一面トップで、「二五〇億円」ラインを報じた。朝会における「小ネタ」ではなく、重大な情報であること「がわかる。金融庁から業務改善命令を受けた。政府が保有する日本郵政株の第三次売却について主幹事を落選した。「小ネタ」の代償は大きかった。

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