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経営者の矜持

2019年5月1日

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 日産自動車の前会長のカルロス・ゴーン被告は、四月上旬に会社法違反(特別背任)容疑で四回目の逮捕となった。予告されていた記者会見はビデオメッセージに。

 「かけられているすべての嫌疑について、私は無罪である。私は常に無実である。……いま起きていることは、陰謀、策略、中傷である」

 刑事手続きは推定無罪の原則が貫かれている。ゴーン容疑者の「無罪」の主張は当然のことである。

 ゴーン容疑者の容疑ついては、裁判を待たなければならないのは理解しながらも、日本人が抱く違和感には、トップとしての信認はすでに失われているのではないか、という思いがあるのではないか。

 日本の戦争責任を戦勝国が追及した、極東国際軍事裁判において、弁護側が被告たちに無罪を主張するように促したのに対して、敗戦に至った責任を痛感している被告たちの中には納得できない人々が多かったことは知られている。

小林正樹監督のドキュメンタリー・フィルム「東京裁判」(一九八三年)のなかで、罪状認否にあたって、自らの責任について述べようとして、ウィリアム・ウェブ裁判長が遮って、有罪か無罪かを厳しく問うシーンは象徴的である。

日本の「第二の敗戦」と呼ばれるバブル経済崩壊から二十年を経て、破綻した金融機関や金融当局の政策などについて、出版が相次いでいる。

最新刊の「最後の頭取」(河谷禎昌著・ダイヤモンド社)は、あまたの「バブル崩壊本」のなかで最も優れた著作である。「後知恵」によって、当時を断罪するバブル本とは異なって、破綻した北海道拓殖銀行(拓銀)の最後の頭取だった、河谷氏が当事者として自らを冷静にみつめながら、刻々と迫る崩壊に向けたさまざまな動きを告白しているからである。

北海道を拠点とした都市銀行だった拓銀は、東京にも拠点を構えて、土地融資や関連会社への融資に拍車をかけて不良債権を膨らませた。河谷氏はこうした融資に直接的にかかわったわけではなかった。負傷債権の処理に窮した経営陣は、河谷氏に「後始末」を託すしか道はなかったのである。

拓銀の一三代目の頭取である河谷氏は、九四年六月から九七年一一月の経営破綻まで務めた。破綻後に会社法違反(特別背任罪)で起訴され、一審の札幌地裁では無罪を獲得したが、二審の札幌高裁で逆転有罪、最高裁で刑が確定して、二〇〇九年一二月から一年七カ月服役した。

金融機関の破綻をめぐって刑事責任を追及されて、服役したトップは河谷氏だけである。逮捕時点の年齢が六四歳、服役したのは七四歳。

弁護士は、高齢や病気を理由にした「刑の執行停止」の申請を勧めたが、河谷氏は「私は『最後の頭取』として、刑に服する意思を固めていました」と振り返る。検察の取り調べに対して「破綻罪というものがあれば、私はその罪に当たる」と述べたという。

逮捕から裁判闘争まで河谷氏を支えたのは、元拓銀ОBとОGたちのカンパだった。経営トップの矜持を世論に訴えられなかった当時の拓銀の広報部門を惜しむ。

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