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プロパガンダと映像

2018年6月4日

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政治経済情報誌・ELNEOS 6月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 韓国の文在寅・大統領と北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長の南北首脳会談は、内外の報道機関によって実況中継されたばかりではなく、北朝鮮はその後独自に編集した映像を国営放送で流した。

 政治的な情報戦、心理戦あるいは世論戦によって、特定の思想と行動に誘導するプロパガンダである。

 映像の世紀である二十世紀をまたいで、映像はますます影響力を強めている。

 革命の思想として生まれた社会主義・共産主義はプロパガンダを武器としてきた。しかし、資本主義もまた、国民世論を統一する手段として映像を利用してきた。

 クリスマス・ソングの名曲「ホワイト・クリスマス」がラストシーンに流れる同名の映画(一九五四年)は、朝鮮戦争を背景として、退役した将軍が現役復帰を願い出るエピソードがテーマとなっている。

 曲自体は、映画に先立って作られたものである。ビング・クロスビーの甘い声と美しい詩のヒット・ソングは通奏低音として戦争がある。

 第九〇回米国アカデミー賞のメイクアップ&へスタイリング賞を日本人アーティストの辻一弘が獲得した「ウィストン・チャーチル」(二〇一七年)も、北朝鮮情勢やシリア情勢などと重ね合わせて論じられている。

ヒットラーと宥和政策をとったアーサー・ネヴィル・チェンバレン首相に対して、ヒットラーの野望に警鐘を鳴らして、戦時体制を築くことを唱えた、チャーチルの姿は平和のためには圧力こそ必要である、という評価を呼んでいる。

ノーベル文学賞(一九五三年)を受賞した回顧録の「第二次世界大戦」は邦訳が河出文庫四巻に及ぶ大著である。第二次世界大戦に至る歴史のなかで、対戦の膨大な被害を防ぎえた瞬間が幾度もあったことを悔恨とともに指摘している。

第一世界大戦に敗北したドイツについて、皇帝を廃さずに立憲君主制のもとで民主主義を発展させる道もあったとしている。米国によって、日英同盟が解消されたことが、日本を枢軸国側につかせた要因であると。ヒットラーが再軍備に踏み出した当初の段階で、フランスが進駐していれば圧倒的な軍事力によってドイツをけん制することが可能だったとも。

企業の衰亡をいかに防ぐか、あるいは地政学的なリスクとどう向き合うのか、広報パーソンが考えるひとつの手掛かりとして、チャーチルの回顧録は教科書となる。

政府・自民党の広報戦略は、「モリ・カケ」や財務省事務次官のセクハラ問題などをめぐって迷走を続けている。

国税庁長官や事務次官が辞任したあとに、財務省の廊下の片隅で囲み取材の形で、放送局のカメラの前にさらしたうえで簡単な一問一答をさせるにとどまっている。

問題の本質を解明する姿勢をまったく感じさせない、映像によるプロパガンダである。事態の収拾にもっていこうという意図は明らかである。

国民にとって、プロパガンダ映像が効果を発揮する余地はほとんどない。記者会見や株主総会を映像配信する企業が増えている。政府の轍を踏んではならない。

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