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「説明責任」とは何か②

2017年6月2日

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政治経済情報誌・ELNEOS 6月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 説明責任とは、単に説明するだけではない――東京大学大学院教授の山本清氏の『アカウンタビリティを考える どうして「説明責任」になったのか」』(NTT出版刊)を手がかりにして前回、欧米で生まれた「アカウンタビリティ」の歴史は古代アテネ民主制に遡り、市民に対して納得する説明をできなかった場合は処罰されるという厳しい概念であることを学んだ。

 しかも、アカウンタビリティが「説明責任」と翻訳されたのは、2000年代初めに外来語をできるだけ日本語に訳そうという国立国語研究所による。

 アカウンタビリティを担う企業経営者や政府高官、政治家らが、欧米とは異なる「説明すれば済む」という姿勢を取る傾向が強まっている。

 国家と資本は歯止めがなければ必ず暴走する。アカウンタビリティを問う立場にあるメディアや、政府・与党に対する野党もまた、「説明」を求めるだけに終わっている。

 東芝は5月15日、監査法人意見が出るのも待てない状況のもとで2017年3月期の決算を発表した。債務超過額は五四〇〇億円の巨額にのぼった。

 記者会見において、出処進退を問われた、細川智社長は「(社長)指名委員会の決定に従う」と述べた。

 世界標準のアカウンタビリティに従うとすれば、東芝が巨額の債務超過になぜ陥ったのか、誰がこうした事態を招く経営判断をしたのか。株主や従業員、工場を各地に立地している社会的責任から市民らの幅広いステーク・ホールダーに対して、納得のいく説明をして、それが十分ではない場合は罰せられる、という認識が、細川社長からは感じられない。

 政府・与党に対する野党の批判は、アカウンタビリティではなく、首相や閣僚らの失言の追及に絞って、党勢の回復の転機を探っているようだ。

「テロ等準備罪」の国会論戦は、安倍晋三首相が「そもそも罪を犯すことを目的とする集団」と答弁したことから、民進党の追及はこの「そもそも」の文言が、安倍首相のいう「基本的に」という意味があるかどうか、辞書に記載されているかどうか、という点を争点にしている。

 政治学・行政学上のアカウンタビリティが確立されるきっかけとなったのは、1986年に起きた米国航空宇宇宙局(NASA)のスペースシャトルの爆発事故だった、と山本氏は強調している。

打ち上げ当日の天候ではリングの接合部分に異常が生じる恐れが予想されていた。それにもかかわらず、打ち上げられたのは、当時のレーガン大統領が事業化に強い意欲を持っていたのと、議会が予算を削減しようとしていたことなど、複数の要因が重なり合った。

アカウンタビリティの担い手が複数であることに加えて、それらの利害が複雑に絡まっている。

こうした延長線上に新たなアカウンタビリティが生れている、と山本教授は指摘する。つまり、中央銀行や会計検査院あるいは原子力の規制機関など、政府や国会から独立した組織の問題である。

こうした新たな論議について、日本はこれから深めていく必要がある。

(この項了)

 

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