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技術の東芝 暗転の伏線

2017年4月14日

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フジサンケイビジネスアイ 寄稿

リーディング・イノベーション宣言の落とし穴

  JR川崎駅に隣接した、再開発ビルのなかに「東芝未来科学館」はある。東芝の歴史を振り返りながら電気や半導体、エネルギーなどの分野について学べる展示が並んでいる。4月の連休とあって、親子連れの入場者であふれんばかりだった。

 未来科学館の前身は1961年にさかのぼる。現在の場所に移転、リニューアルしたのは2014年4月のことである。東日本大震災による東京電力福島第1発電所の事故のためか、東芝の原子力発電の取り組みは、ささやかなパネルで紹介されている。

 そしていま、債務超過に転落する危機を回避するために、分社化して株式を売却する半導体部門の大きな柱である「フラッシュ・メモリー」についてもまた、会場の片隅に追いやられているかのようである。

 このメモリーは、東芝の研究者だった舛岡富士雄さんが1980年代に発明した。いまでは、携帯電話やデジタル機器の記憶媒体としてなくてはならない。舛岡さんから四半世紀前にメモリーの仕組みについて取材した思い出が懐かしい。このメモリーが、インテルが独占的な地位を確立しているCPUとクロスライセンス、つまり技術の導入にあたって金銭で支払う代わりに技術を交換する、と東芝の当時の幹部から秘かに聞いたときの驚きは忘れない。

 未来科学館のアトラクションのなかで、小学生の生徒たちをひきつけていたのは、復元した江戸時代のからくり人形である。茶碗を盆に捧げ持って子どもたちに近づき、それを受け取ると一回りして戻っていく。創業者のひとりである、田中久重は「からくり儀右衛門」と呼ばれたように、子ども時代からさまざまなからくりに没頭した。

 からくり人形に驚く子ども姿をスマートフォンで撮影する、親の意識下に東芝のかつてのCMソングが流れているように思う。私もそうだった。東芝はかつてテレビの「日曜劇場」の単独提供スポンサーだった。「光る 光る 東芝」で始まり、最後は「明日を創る技術の東芝がお送りする」とナレーションが入る。「技術の東芝」はいまも、人々を科学館に足を運ばせるのではないか。

 東芝が新しいコーポレートブランドとして「Lading Innovation」を掲げて、「TOSHIBA」のロゴタイプと組み合わせたのは2006年のことである。この年は奇しくも、東芝が2016年4~12月期の決算発表の延期に追い込まれた要因となっている、米国の原子力発電子会社のウエスチングハウスを買収し、原子力事業を経営の柱にしようと図ったときである。

 「技術の東芝」の象徴的な存在である舛岡さんはその後、研究現場からはずされる形になったことから退社して、母校の東北大学の教授となり、名誉教授となったいまも研究を続けている。教授時代にメモリーの特許の発明の対価を求める民事訴訟を提起、和解となったときに、東芝から支払われたのは8700万円だった。

 東芝は皮肉にもいま、イノベーションの成果ではなく、かつての技術によって経営危機をしのごうとしている。

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