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創業者の静かな最期 人生の終着点まで生き抜く気概

2017年1月20日

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フジサンケイビジネスアイ 寄稿

 東京・銀座の歌舞伎座の近くに、「スワン・ベーカリー」銀座店はある。パイ地を生かしたレモンのパンを買って食べた。以前住んでいた地域にあった、チェーン店の懐かしい味である。

 宅急便を創業した、ヤマト運輸の故・小倉昌男氏が私財を投じたヤマト福祉財団が、障害者に働く場を作ろうと、銀座に第1号店を開店したのは1998年6月。いまでは、ベーカリーばかりではなく、カフェの業態も加わって全国で29店にもなる。小倉氏は障害者に月額10万円の支給する目標を成し遂げた。各地の作業所が月額1万円だった常識を打ち破った。

 小倉氏が社長時代に、景況に関するインタビューで数回会ったことがある。宅急便の創業に当たって、運輸業の免許などを巡って中央官庁に訴訟を起こすなど、戦う経営者のイメージとは異なって、学者然とした丁寧な物腰に驚いたものだった。

 ノンフィクション作家の森健氏は、最新刊の「小倉昌男 祈りと経営」(小学館ノンフィクション大賞)によって、小倉氏の内面を描いて、表面的な経営者としてではなく、人間としての相貌を描いた。小倉氏は妻と同じカトリックに改宗して、深い信仰の世界に入った。会長を退任後、障害者の支援に没頭する。こうした背景に、小倉氏が家庭的な悩みを抱えていたことを、森氏は明らかにする。妻は自死したと考えられ、娘は長らく精神疾患に苦しんでいた。

 ガンを患い、最期を悟った小倉氏は、精神疾患が完治した娘の家族と暮らすために、ロスアンゼルスに向かう。

 銀座の街は、創業者の思いが残された場所である。ホンダの創業者である本田宗一郎氏は、社長を退任後、この地の古いビルに事務所を構えた。私財を投じて、若手の工学研究者に奨学金を支給する「財団法人作行会」や、科学技術の振興の「ブレーン・サイエンス財団」などの活動を続けた。

 ランドマークである、ソニービルはいうまでもない。開業から半世紀を経て、来年春には解体作業が始まり22年に新ビルが完成する。これに合わせて、当初からのショールームは来月、近くの新築のビルに移転する。創業者の井深大氏が、幼児教育に精魂を込めた理由は娘の知的障害であったことは知られている。

 小倉氏がそうであったように、本田氏も井深氏も最期は静かなものであった。

 創業者たちの去就をめぐって、さまざまな出来事があった。ソフトバンクグループの孫正義代表は、いったんはトップの座を譲ろうと考えたが翻意した。日本のコンビニエンスストアの創業者である、鈴木敏文氏はトップの座を追われた。大塚家具やロッテの「お家騒動」は記憶に新しい。

 「死の直前に走馬灯のようにめぐる自分の人生に、満足できるように生きていこう」と、孫氏が幹部たちに語っていたこと思い出す。創業者とは、人生の終着点まで生き抜く気概を持った人々である。

 

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