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政治の季節の広報 ③

2016年5月13日

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ELNEOS 「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦

 「志を共有するすべての人々に広く結集を呼びかける。国民の信頼に支えられ、国民とともに進む。真の意味での国民政党となることを誓い、ここに民進党の結党を宣言する」

民進党の結党大会が開かれたのは三月二七日。結党宣言の冒頭では、「自由」「共生」「未来への責任」を党の旗として掲げる。

 本稿執筆時点の四月中旬、郊外の空き地を囲む塀に貼られた、岡田克也氏がほほえむポスターは「民主党」のままである。

 党のロゴマークが四月一四日締め切りで公募されている。これが決定されてから今夏の参議院議員選挙向けに新たなポスターが作られるのだろう。

 しかし、いまにも吹き飛ばされそうな古いポスターは、新党のイメージを損ないかねない。

 このシリーズでは、東京工業大学マネジメントセンター准教授の西田亮介氏の著作「メディアと自民党」をてがかりとして、政党の広報戦略について考えてきた。

 小泉純一郎内閣が二〇〇五年9九月に仕掛けた「郵政選挙」をはじめとして、自民党が広告代理店やPR会社などのノウハウを取り込んで、いまや独自の広報戦略を練り上げるまでに成長してきたことはすでに振り返った。

 これに対して、旧民主党は「郵政選挙」に先立つ二〇〇三年一一月の衆院選において、代理店とPR会社と協力体制を作った。それも、「郵政選挙」の敗北によって、PR会社に責任を取らせる形で契約を解除して、旧民主党は本格的に、独自の広報戦略を練り上げる機会を失った。

 民進党はこうした過去の歴史に学んで、自民党の広報戦略に逆襲することができるだろうか。

 企業や団体など組織の広報パーソンが戦略を練り上げるためには、トップの理解が欠かせない。それは組織のどの部門でも同じことである。

 旧民主党に外部の広報戦略の人材を導入した当時の代表は、民進党の初代代表となった岡田克也氏である。自民党が広報の戦略性に軸足を移したのは、小泉純一郎首相である。安倍晋三首相も小泉時代から、広報の戦略立案にかかわっていた。

 岡田代表はどうか。「民主党政権とは何だったのか」(岩波書店、二〇一四年)のなかで、外務相時代に直面した、東アジア共同体構想について次のように次のように語っている。鳩山由紀夫首相が唱えたこの構想に対して、米国が神経質な対応をしてきたときのことである。

 「外相時代に海外のメディアのインタビューを四〇回やっているのですね。(共同体構想から米国を)排除するものではないと言うと、彼らはほっとするのです」

 岡田代表がメディアとのリレーションに寛容であることがうかがえる。

 民進党のこれからの広報戦略の課題は、いったい何を広報によって、伝えていくのかという点である。前掲の「民主党政権とは」のなかで、編者の政治学者山口二郎氏は旧民主党が政権を失った要因として、「綱領とマニュフェストをつなぐ議論が民主党にはない」と指摘している。民進党は参院選挙までにそれを成し成し遂げられるだろうか。 

          (この項了)

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