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マックとスタバの進路

2016年2月20日

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“創業者”の決断は将来を決める

フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 寄稿。

 「3年間のご愛顧ありがとうございました」。閉店を知らせる画用紙大の小さなポスターの文字は、コーポレートカラーの赤である。マクドナルドの店舗のなかで日本最大だった、原宿表参道店が1月15日に営業を終了した。

 JR原宿駅から青山通りに抜ける表参道に面した、ビルの2、3階部分にその店はあった。東京を代表する街から、「マック」が消えることは業績の低迷の象徴的な出来事といえるだろう。日本マクドナルドホールディングスの株式について、米国の本社が持ち株の一部を売却する意向であることが報じられたのは、昨年末のことである。

 東京都世田谷区にある駒沢大学の入り口と並ぶようにして、スターバックスの駒沢1丁目店が開店したのはクリスマス・イブ。ログハウスのような店は、店内に入っても木材の壁や木造りのテーブルなど、オフィス街の「スタバ」とは趣を異にする。コーヒーだけではなく、ワインとビールが飲める。

 街がしゃれているという感覚は、「スタバ」とユニクロ、そして無印良品の店舗があるかどうかだといわれる。

 スターバックスの創業者である、ハワード・シュルツ氏は「発足時の決断が事業の推進だけではなく、企業の将来にいかに重要な影響を及ぼすか、わからない」(「スターバックス成功物語」)と述べている。

 ニューヨークの大企業の幹部だったシュルツ氏が、たまたま訪れたシアトルの街で「スタバ」の前身である、コーヒー豆の販売と主とするコーヒーショップの味の虜(とりこ)になった。それまでの成功を投げ打って、その会社に入社し、独立してさらには元の会社を買収して基盤を作った。街の人々が憩う店づくりを目指した。

 「ハンバーガーですか?私は食べませんよ。人間は子どもの頃においしいと感じたものを大人になっても食べるものです」。日本マクドナルドの創業者である、藤田田氏にインタビューした際に印象に残った言葉である。「子どもたちに食べてもらえれば、大人になっても食べるようになります。いずれ日本人は米国人のように背丈が大きく、金髪になりますよ」と、お得意のジョークである。

 「ユダヤの商法」は藤田氏が、日本第1号店を銀座三越に開店して大ブームを起こした、1971年に書かれた。著作は、95の原則を掲げたうえで、「女と口を狙え」と説く。アクセサリーとハンドバックの輸入商として「第1のユダヤの商法」を成功させた、藤田氏は、ハンバーガーを「第2のユダヤ商法」の応用と位置付けた。

 「スタバ」の地域に溶け込む店づくりは、シアトルから駒沢に続いている。「マック」は、デフレ経済のなかで低価格路線によって、サラリーパーソン層をとらえた。その後の経営不振は異物混入事件のせいばかりではないだろう。東京の下町の「マック」に入った。小さな袋をプレートに載せられた。開封すると、そこにはスーパーマリオの小さな人形が。藤田氏の決断の大きな要因である、子どもを思い出したようだ。

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