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常磐線が復旧する日

2016年1月8日

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東京は沿線の豊かな産物に頼る

   フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 寄稿。

 暖冬の澄みきった晴天に誘われて散歩がてら、東京・日本橋にある福島県の物産を販売している「ふくしま館」に行ってみる。福島には三つの国があるといわれる。太平洋沿岸の浜通りと、東北新幹線沿いの仲通り、そして会津地方である。

 野菜コーナーには、ひと束200円のネギやニンジン、レタスなど、彩りが鮮やかだ。いわき産の「さんまのポーポー焼き」と、きざみ「喜昆布(よろこんぶ)」を買う。ポーポー焼きとは、いわきの漁師の料理で、サンマのすり身にネギやニラ、味噌などを混ぜて、ハンバーグ状にしたものである。

 東京・築地市場では「常磐もの」といえば、いわきから茨城県北部の沿岸で獲れた良質の魚をいう。いわき周辺は温暖な気候から、ネギの栽培がほぼ周年にわたっている。

さらに、高度経済成長のもとで郡山・いわき地域が新産業都市に指定されて、東北一の工業出荷額を誇るまでに成長した。日立地域の企業城下町の中小企業も含めて、首都圏の工業製品の部品加工も担っている。

 東京・日暮里駅から千葉県北西部、茨城県から浜通りを貫いて東北本線の岩沼駅につながる、「常磐線」は総延長約343㎞にも及び、その沿線の豊かな産物が首都圏を支えてきた。東日本大震災による巨大地震と津波、東京電力福島第1原子力発電所の事故によって、あまり意識されていなかったこの地域の役割が浮かび上がった。農林水産物に対する「風評被害」であり、震災直後の工業部品のサプライチェーンにおける供給の不全である。

 「常磐中心主義(ジョーバンセントリズム)」(河出書房新社)のなかで、筑波大学院准教授の五十嵐泰正さんは「常磐線沿線は『東京の下半身』なのだ」という。「近代以降の日本の『地方』はおしなべてそのように編成されてきたが、常磐線沿線はその色彩がことのほか強い」と。

福島大うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員の関沼博さんは「未来を必要としなかった路線」と位置付けて、「淡々と一次産品や工業製品、電力を生み出し、その一部を首都圏に届ける。そこには未来はないけれど現在と現実がある」と述べる。

常磐線のいわき駅から北へ23㎞の広野駅に立つ。津波に襲われた沿岸部の更地には、オフィスビルの建設が進んでいる。広野町役場の隣接地にはイオンの進出が決まっている。町役場の背後には「ミカンの丘」の看板がみえる。この町はミカンとオリーブの北限である。

 広野駅の先にある竜田駅と原ノ町駅間は、バスによる代行輸送が続いている。北端の岩沼駅に続く鉄路も不通個所の工事が急がれている。原発事故の被災地を路線の中心部に抱えているために、完全復旧のめどは立っていない。

 いわき駅行の特急のほとんどの始発駅が、上野駅から品川駅に変わったのは今年3月からである。羽田空港やいずれはリニア新幹線を利用しやすくなる。常磐線の全線にわたって列車が疾走する日、沿線の「未来」の姿をみるのが待ち遠しい。

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