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ふたつの「コード」

2016年1月6日

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 ELNEOS 1月号  「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦

「人は天の道にそむかない

子に苦労をかけない

他人の中傷で心を動かさない

一家を大切に守る」

 三菱グループの創業者である岩崎彌太郎の母である美和が残した、岩崎家の家訓である(三菱資料館・成田誠一氏による)

 三菱に限らず、三井物産の前身である三井家の高平による家憲や、芙蓉グループを創業した安田善次郎の家訓など、幾多の危機を乗り越えて存続してきた企業グループが、いまも従業員たちの戒めにしている言葉は、簡にして要を得ている。

 それらの家訓や家憲に共通する文言がある。「天の道にそむかない」つまり、「お天とうさまが見ている」から、悪いことをすれば報いがある。「無私」の心もそうである。商売は利益を追求するものであるが、そこには世間さまがいる。お客さまあっての商売である。それは社会といいかえてもいいだろう。

 さて、企業はいまふたつの「コード」に適応するのに懸命である。ひとつは東京証券取引所が二〇一五年六月に制定した「コーポレートガバナンス(CG)・コード」である。もうひとつがこれと対になっている、金融庁が二〇一四年に機関投資家の行動を定めた「スチュワードシップ(SS)・コード」である。

 金融庁などの政策当局は、ふたつのコードを厳格に定めたのは、先進国のなかでは英国と並んだ、と自己評価を高らかにうたっている。

 これに対して、早稲田大学教授の上村達男氏は英国においては、ルールと法律の関係がまったく異なっている、という視点からふたつのコードのありかたを批判している(日本経済新聞・二〇一五年四月二日付「経済教室」)

 英国は自主規制の権威が極めて高く、「ソフトロー」(法的拘束力のない規範)と呼ばれる。「自主規制ルー^ルに違反すると永久追放は普通であり、違反の効果も制定法並みの効果を持つ」という。これに対して、日本は自主規制が制定法の「補完」とされてきた。

 翻ってみれば、「家訓」や「家憲」は、上村氏のいうソフトローの概念に近いと思う。

日本の近代化を急ぐ明治政府が、お雇い外国人であるフランス人法学者のボアソナードに対して、民法の制定を依頼したとき、「日本の慣習法を知らない私がいったいどうしたらよいのか」と答えた。

外国法典を翻訳して導入すればよい、と考えた政府の判断は、いまも相続や夫婦の別姓の問題につながっている。

ふたつのコードは、CGが七三原則、SSは六原則に及ぶ。

これ自体を否定するつもりはない。広報パーソンは熟読すべきだろう。

しかし、そこには彼らに目新しい事項はないはずである。

伝統ある企業の「家訓」や「家憲」は、ひとりその企業のものではない。日本の企業に浸透してきた「ソフトロー」である。

安田善次郎家訓はいう。

「主人は一家の模範なり、われよく勤めれば、衆なんぞ怠たらん

 われよく公なれば、衆なんぞあえて私せん」と。

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