駒沢競技場活用の自民案は生きる
フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 寄稿。
「日本人は時間を守るとか団体行動に向いているというのは嘘だ。どちらも東京オリンピック以降に確立したものだ。みんなそのことを忘れている」
1964年東京五輪を支えた群像を描いた、「TOKYOオリンピック物語」(野地秩嘉著)のなかで、五輪史上初のエンブレムと、躍動感あふれるポスターをデザインしたグラフィックデザイナーの亀倉雄策は、インタビューにそう答えている。
新国立競技場の建設をめぐる世論をまきこんだ論争は、日本人の時間の厳守と規律のある団体行動が、64年五輪以前に戻ったかのような印象がある。
政府は28日に新国立について関係閣僚会議を開いて、建設費の上限を1550億円とする新計画を決めた。旧計画の2520億円を1000億円近く削減した。
完成予定は2020年東京五輪が開催される7月の直前の春になる。国際オリンピック委員会(IOC)が開催年の1月に前倒しを要望しているのを受けて、「工事短縮の目標とした技術提案を求める」という条件もつけた。新国立の完成までには、大きな時の壁が立ちはだかる。
64年東京大会のメイン会場となった旧国立霞ヶ丘陸上競技場は、五輪の開催を目指して1958年に完成し、アジア大会の会場となって、日本の国際大会の運営能力を世界に示した。五輪の開催都市に決まったのは、翌年59年のIOC総会である。
東京都世田谷区と目黒区をまたぐようにして、駒沢オリンピック公園はある。64年大会の第二会場となった。晩夏の日差しをさえぎるうっそうと茂る樹木の間を抜ける、ジョギングコースを市民ランナーが駆け抜ける。
公園を扇に見立てれば、要の位置に体育館がある。正面を入ると壁に「東洋の魔女」のレリーフが、それをみながら左手に回ると64年大会で金メダルラッシュを演じた日本のレスリングチームのメンバーの名前が刻まれている。
「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーチームが金メダルを獲得した、対ソ連戦の試合は、テレビの視聴率で歴代2位の66.8%。市川崑監督による記録映画「東京オリンピック」には、皇太子妃殿下時代の美智子皇后陛下が、観戦なさっている映像がある。
駒沢競技場は、第二次世界大戦によって中止となった1940年東京大会のメイン会場となる予定だった。64年大会では、サッカーやホッケーの予選会場にもなった。体育館や陸上競技場など、主要な会場は健在である。
自民党の行政改革推進本部と内閣・文科両部会がまとめて、政調審議会と総務会の了承を得た見直しプランは、この駒沢競技場に再び光を当てた。新国立を開会式と閉会式、球技場と位置付けて、駒沢競技場の陸上競技場を整備して会場とすべきだとする案である。
新国立の事業費をめぐって、政府と対立した舛添要一都知事は、東京湾岸にバレー会場となる有明アリーナなどの施設を予定通りに完成させるべく、都の態勢を整えている。そこにも時の壁がありはしないか。五輪関係者は駒沢の森で深呼吸をしてはいかがだろう。