ブログ

コミュニケーション学の試み

2015年10月10日

このエントリーをはてなブックマークに追加

 ELNEOS 10月号  「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦

 新聞や雑誌などの活字メディアがインターネットの急速な普及によって、部数を減らし、そのビジネスモデルがいま揺らいでいる。

 いささか評論家に過ぎるようではあるが、ネットメディアが勃興期を迎えて、そうしたなかで次世代のジャーナリストが生まれているのではないか、と考える。

 ジャーナリズムの担い手は、新聞や雑誌、テレビなどの既存のメディアに限定することなどないのではないか。新聞にしろ、雑誌にしろ、一九世紀に生まれたベンチャー企業であった。

 朝日新聞の実質的な創業者である村山龍平は、大阪の輸入商であった。知人の子息が始めた新聞事業の立て直しを引き受けた。毎日の中興の祖である本山彦一もまた、師範学校の校長を務めるなど、教育畑の出身である。

 話が大分脇道にそれた。次世代のメディアの担い手として、企業の広報部門で鍛えられた人材が十分に戦力になる、と考えている。

 あらゆる文章のなかで、ニュースリリースは最も習得が難しい。新聞や雑誌、テレビの報道は要所を報じて、重要ではあるが字数や時間に収まらない事象について、「など」の言葉を使って端折ってしまう。

 「など」が許されないのがニュースリリースである。A4の一枚あるいは二枚のなかに事案の内容をすべて織り込んで、しかも世論の窓である、メディアに分かりやすく伝えなければならない。

 そもそも、そのためには企業内の担当部署から十分な「取材」が必要である。

 広報パーソンの実力を報道機関のなかで、実感させようと、わたしは考えた。

 広域の地方をカバーするブロック紙の雄である、西日本新聞社(本社・福岡市)と、日本テレビの報道局に時期を置いて、それぞれ一人ずつ部下を送り込んだ。期間はいずれも二年近くでああった。両社の経営層の理解の賜物であることはいうまでもない。

 メディアに日頃から敬意を抱いている部下たちは、まず自分たちが報道機関の一員としてやっていけるかどうか、自信がなかった。

 おそらく、日本の企業とメディアの関係のなかで初めての「交換留学」試みであったから、その危惧は当然である。

 新聞社に赴任する若手には、次のように言った。

 「新聞記者の経験からいうと、君はおそらく二週間もすれば、記事を書けるようになるだろう」

 テレビ局に行く部下にはこうだ。

 「テレビはテキスト情報と映像を組み合わせてニュースが作られる。広報パーソンにそうした経験はない。これは直観に過ぎないが、一生懸命に三か月間学ぶ姿勢があれば、ニュース報道ができるようになるのではないか」

 ふたりの「留学」の結果は、わたしの予想通りになった。

 米国の大学ではかつての「ジャーナリズム学部」が「コミュニケーション学部」に衣替えしている。そこでは、ジャーナリストのみならず、広報パーソンが養成されている。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加