山河で43年間生き抜いたノンフィクションドラマ
リリー・フランキーの快演が胸にしみる
WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿
「このドラマはほぼ事実である」という字幕で始まるドラマは、結末まで幾度も驚かされ、泣かされる。
BSプレミアム「洞窟おじさん」(7月20日)である。この2時間ドラマは、さらに10月1日から毎週4回にわたって「完全版」が放送される。
1話完結のドラマがその後に展開されるという、珍しい編成である。「完成版」に向けて1話完結版は、いくつもの謎と余韻を残している。
父母の虐待から逃れるために、中学1生だった加村一馬は、昭和30年代初めに家出をして、山に分け行って愛犬のシロとともに洞窟暮らしを始める。
ウサギや鳥を獲り、イノシシをワナにかける工夫もできるようになる。高熱を出して、生死の境をさまようが、シロの介添えによって救われる。しかし、その愛犬も死んでしまう。
青年になった一馬は、ハイキングにきた農家の夫婦に拾われて、その家で農作業をしながら暮らすようになる。夫婦の一人息子は戦死している。一馬のからだが、その息子の残した衣服にぴったりなことに喜ぶ。
夫の砂川義夫役の井上順が、風呂場で一馬の青年時代役の中村蒼の背中を流しながら語りかける。外で風呂を沸かしている妻の雅代役の木内みどりが、その会話を聴いている。
義夫はいう。
「わたしたちは息子をお国のために亡くした。妻も寂しがっている。もしよかったらうちにいてもらえないか、考えてくれ」
一馬は悩んだ末に、夫婦を別れることになる。座ってお詫びの頭を下げる前に、一馬はふたりに語りかけるように思い出を語るのだった。
「俺は人が怖い。また打たれたくない。母親も最初は優しかった。しかし、人が変わったようになった」と。
夫婦は涙を浮かべるのだった。
一馬はそれから、再び山に戻って、珍しい蘭の苗を売ったりして暮らすようになる。
ドラマは、一馬(リリー・フランキー)の回想を引き出すように、飲料の自動販売機からおカネを盗もうとして、警察に捕まるシーンから始まる。
このときに、一馬は50歳を過ぎていた。刑事・桃園幸作役の生瀬勝久と、宅間剛役の浅利陽介が掛け合いで、一馬の人生を明らかにしていく。
ドラマはときとして、制作者の意図を超えて時代を打つものである。演出の吉田照幸は、一馬のサバイバルをかけた人生生活に驚愕したことを、制作のきっかけとして上げている。
昭和から平成にかけて、高度経済成長を抜けて低成長に至り、バブルの崩壊があって、金融資本主義の、とめどもない奔流が幾度も、世界経済を揺さぶっている。
一馬の人生は、そんな経済事情の変転とはなんの関係もないようにみえる。
しかし、どうだろうか。いま欧州や先進国で問題になっている、格差の拡大と、人間が地縁や血縁から隔絶して孤立する「アトム」化時代を迎えて、一馬のたどってきた人生は、わたしたちに考えさせるものがたくさんあるように思う。
一馬は人間社会と関係を完全に絶ったわけではない。農家の夫婦によって、いったんは洞窟暮らしから救われた。
元社長だったホームレスを、一馬は助けて一緒に住まわせる。彼から文字を習うのである。密漁の監視の最中に土手で、痴漢に襲われた白石真佐子(坂井真紀)を助ける。そして、真佐子に、あまりにも遅いが初恋の感情を抱くのである。
ストリップ劇場にいって、従業員とけんかになるが、根性が気に入られて働くようになって、東京から和歌山まで流れていったこともある。
「洞窟おじさん」である一馬は、「アトム」化した人間の典型のようであって、そうではない。
さまざま人に助けられる。そして、周囲の人々を変えていく力も持っている。一馬の子どものような純粋さに触れて、同居していた元社長は、再び人生を歩みだそうという気持ちがわいていくるのだった。家族のもとに戻る。
初恋の相手となった、謎の女性・真佐子もまた、一馬と付き合ううちに元気になっていく。
回想シーンのそれぞれが、印象深く心にしみる。
珍しい蘭を取ってくることを教えてくれた男性が、実は相場の価格を大きく下回る価格で一馬から買っていたことがわかり、その男性を友人と思い込んでいた彼は大きく傷つく。
自殺を思い立って、通りすがりのトラックを止めて、適当な場所まで運んでくれることを運転手に頼む。運転手は、富士山麓の樹海まで連れていく。そして、30分待つから、思い直したら戻ってくるように諭す。
「人生は面白いことがある。死んだら面白いことなんてないよ」と。
樹海の白骨死体に驚いて、一馬は死を断念する。
窃盗容疑の裁判で執行猶予判決を受けた一馬は、刑事の桃園の勧めで、障害者施設で作業の仕事を始める。女性職員の軽部久美(尾野真千子)が担当になる。
施設の規律に耐えかねて、山に戻ろうとする一馬と、追いついた軽部とのくんず、ほぐれつのやり取りはみせる。
「逃げちゃだめだ。生きることは素晴らしことだ」と軽部はいう。
10月1日からの「完成版」では、一馬の初恋の相手である真佐子や、作業所の仲間の人生の謎が解き明かされる。楽しみな展開である。