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<訴訟と抗議⑤完>なぜ提訴するのか

2015年9月5日

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 ユニクロを展開するファーストレテイリングなど二社が、週刊文春の記事に対して名誉棄損の訴訟において、最高裁が賠償請求を棄却して、ユニクロの敗訴が確定したのは昨年末のことである。

 メディアが企業の提訴に対して、敗訴が目立つなかで、文藝春秋社は一審の東京地裁、二審の東京高裁の決定に続いて、勝訴となった。

 ユニクロが問題としたのは、週刊文春の記事とその後に単行本となった「ユニクロ帝国の光と影」で、国内の店長と中国の工場の従業員が、過酷な労働をさせられている、という内容だった。

 一審の東京地裁は「国内の店長の証言の信用性は高く、中国工場についても現地取材から真実と判断した理由がある」と決定した。二審、最高裁ともに一審の判断を踏襲した。(毎日新聞・二〇一四年一二月一一日付)

 ユニクロの訴訟において特筆すべきは、損害賠償額が二億二〇〇〇万円と高額であるのと、書籍の発行の差し止めと回収を謝罪広告ともに求めた点である。

 確定判決によって、そうした訴えは退けられた。しかしながら、メディアの側には大きなしこりが残ったように思う。

 政府や大企業など、メディアに対して相対的に優位な存在が、高額な損害賠償訴訟によって言論の自由を脅かされるのではないか、という危惧である。こうした訴訟を欧米では、SLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation・スラップ)と呼ぶ。法律や判例よって、制限される傾向にある。

 ユニクロにそうした意図はうかがえず、文藝春秋社もこの視点から争ったわけではない。

 メディアの側からみると、最近の名誉棄損の訴訟における賠償金額の大きさと、企業による訴訟の増加はスラップ訴訟という観点に立って考えざるを得ない状況である。

 企業はなぜメディアを名誉棄損で提訴するのか。メディアという社会の鏡に映る自分自身の姿が、間違っていると、トップをはじめとする経営層が考えるからである。

 これを受けて、法務部門は勝訴すべく真実性と、真実相当性を争う。

 このシリーズでは、企業の訴訟と抗議について、言論の自由という幅広い観点から考えてきた。いま、スラップ訴訟という視点も重要ではないかと思う。

 つまり、企業は社会の一員として、社会の在りようを決める重要な存在である、ということだ。その行動には高い責任が求められる。

 メディアを通じて、企業と社会の交差点に位置する、広報部門の責任はますます重要である。

 報道について、真実性に問題があるのであれば、訂正を求めればよい。 真実相当性についても同様である。

 メディアという鏡があまりにも歪んだ企業像を描いているのであれば、内容証明郵便によって、メディアの見解を質せばよい。企業が訴訟に至るまでの間には、広報部門がやるべき行為は数々ある。

 広報パーソンとして、私は八年近い経歴を積んだが、訴訟に至った事案は一件もない。 (この項了)

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