フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 寄稿。
東京は2020年五輪を目指して駆けるように、街並みが大きく変貌しようとしている。銀座のソニービルの地下のバーで友人がシャンソンを歌っているというので、仲間と待ち合わせて乗り込もうじゃないか、ということになった。さて、旧東芝ビルも建て替え工事中だし、日産ショールームも同様で、場所の位置関係に戸惑って待ち合わせ時刻に遅れてしまった。目印となるビルがこれだけ建て替えの工事中なのは最近のことである。
来年11月の完成を目指している「銀座6丁目10地区」再開発は、旧松坂屋銀座店を核としてふたつの街区を統合する大規模なものである。
松坂屋と再開発の企画を担った森ビルが2003年に策定した当初案は、約190mの超高層タワーで低層階に店舗、中層階にオフィス、高層階は住宅、さらにその上にホテルを作る、というものだった。2014年4月の着工計画では、大幅に変更されて、銀座の街並みとそろった地上13階建てとなった。文化施設として能楽堂も入る。
この大規模再開発がきっかけとなって生まれたのが、銀座街づくり会議である。超高層ビルの構想はあらためて、銀座とはどのような街なのかという問題を突きつけた。そして人々をひきつけ続けるためにはどのような街づくりを進めなければならないのか。
銀座の祭りなどを歴史的に担ってきた、銀座通連合会が1998年に制定した「銀座ルール」は、建物の高さをそれまでの31m(100尺)から56mとした。この高さはたまたま当時、建て替えの予定だった資生堂パーラービルの計画で、それが銀座にふさわしいと考えられたからだ。
明治初年の大火災や関東大震災、東京大空襲など、銀座は灰塵から立ち上がるたびに店舗の半数近くが入れ替わってきた。ルールなどなくとも、「銀座のフィルター」にかかってそぐわない店舗などは自然と淘汰されると街の人々は考えてきた。
街づくり会議は、銀座の経営者や建築家らの専門家、中央区などの行政とともに、多くの参加者の意見を集約する会合やセミナーを開催しながら、ルールづくりに取り組んできた。その過程で2006年に「銀座デザイン協議会」が生まれた。銀座に新たに進出する店舗などから事前に概要を申請してもらって、専門家の意見などを聴いたうえで改善を求める仕組みだ。
こうした活動に正式な組織ができる以前から、20年以上かかわってきた銀座街づくり会議事務局長の竹沢えり子さんは「銀座だからできるといわれますが、そうではないと思います。街の人々の意見をこつこつと集めて歩けば、あるべき街の姿はみえてきます」と語る。
超高層の荒波を防いでも、銀座に次の波に洗われる。ビルの壁面を覆うデジタルサイネージである。デザイン協議会は既存のものはできるだけ撤去し、新設については慎重に協議したい、という指針を最近出したばかりである。撤去に内諾している企業も現れていると