ELNEOS 5月号 「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦
メディアの報道に対して、企業が抗議、その形は内容証明郵便によるのが一般的である、あるいは名誉棄損の訴訟を起こすべきか、広報パーソンが直面する大きな試練である。
メディアの出身であり、広報の実務を担ったわたしは、ふたつの視点から眺めることができると思う。そして、忘れてはならないのは、憲法が保障している表現の自由と企業の関係をどうすべきか、という根源的な視点である。
もとより、憲法は国家権力の暴走を止めるために、国民が国家と契約をするものである。しかし、企業つまり資本も暴走して消費者である国民の利益を損なる可能性もある。
広報パーソンと法務部門は、企業のブレーキ役である、とする、大企業に成長させた起業家の言葉を、このシリーズで紹介したことがある。
メディアの報道に対して、法務部門は名誉棄損の損害賠償訴訟を起こした場合に、勝訴するかどうかの視点に立って事案を検討する。
広報パーソンの視点はそれよりは幅広く、企業の名誉が毀損(きそん)されたかどうかに加えて、メディアつまり社会と企業が今後どう対応していくのか、あるいはメディアが担う言論の自由と企業の利害が衝突しないかどうか、十分な検討が必要である。
ここからは、メディアの立場と企業の立場、そして消費者の立場の三つの視点から、メディアと広報パーソンの名誉棄損に絡む攻防を考えていきたい。それぞれの視点を混濁させずに、できるだけ明快にしながら話を進めていこう。
メディアの報道は、事実とその評価・解釈から構成される。新聞記者の駆け出し時代に、このふたつは厳格に区別して書くことをくどいほど指導されたものである。
ふたつはひとつの新聞や雑誌の記事や、テレビの報道番組になる。あるいは、ふたつを分けた形で、評価・解釈については「解説」となる。後者は取材記者の解説の形となったり、識者のコメントとなったりする。
さて、報道が企業の名誉を毀損した場合に、広報パーソンはいかに対応するのか。
あきらかに事実に誤りがあれば、メディアに対する申し入れとその解決は比較的容易である。
わたしも新聞記者時代に企業の役員異動の記事において、名前を誤って書いてしまって、企業からの指摘で訂正したことがある。また、どの分野にも専門家はいるもので、さきごろ沈没した海域で発見された、戦艦武蔵が艤装つまり船体に各種の設備を取り付けた造船所を、船体の造船所と同一と誤ったことあった。訂正したのは勿論である。
広報パーソンとして、インターネット接続サービスの子会社が個人情報を漏えいした事件が、犯人の刑事裁判が終了するなど、ひとつの節目を終えた後、朝日新聞の夕刊がネット上にその個人情報のファイルがある、という報道をした。
子会社のエンジニアが慎重にファイルを調べた。ファイルはウィルスが仕組まれていて、開くとパソコンが動かなくなる。新聞社はファイルを開かずに記事にしていた。抗議をしたところ、訂正となった。
(この項続く)