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「黒幕」の消滅

2015年4月5日

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 ELNEOS 4月号寄稿。

 トップを批判するタイトルがついた雑誌をさりげなく見せて、高額の勉強会に誘う出版社の担当者。ベテランの週刊誌記者の取材に応じると、数時間後にはネットにそのありさまがアップされる。

 さらには、ある筋から紹介された危機管理の専門家が阿吽(あうん)のうちに危機対応の顧問の就任を前提としながら、著名な雑誌に論評を書くことを告げる。

 広報パーソンとして経験したことどもは、明らかに法令に抵触しかねないぎりぎりの「攻撃」であると受け取ってもよい。あるいは、メディアの倫理上、許されざる行為といってもよいだろう。

 こうした「攻撃」に対する「防御」こそ、神経戦である。一瞬なにが起きたか分からず戸惑うばかりである。

 対処の原則はいうまでもない。法令違反ぎりぎりを攻めて、結果として金銭的な要求ととれる案件に対しては、拒否である。

 そのいいようについては勿論、細心の注意を払わなければならないが、「攻撃」の側が法令に関する認識を有していないと察した場合には、そのことを告げる。

 メディアと企業広報は、表と裏の関係である。どちらが表でどちらが裏ということではない。読者に真実を伝えるという意味で不即不離の関係にある。

 広報パーソンとなった私が、広報室の書架を一覧して安心したことがある。一般読者ではなく、企業の広報や総務担当者向けの高額な雑誌やニュースレターの類(たぐい)が一切なかったのである。

 そこには、メディアを通じて消費者に企業の真実を伝えようという強い意思が感じられた。新聞記者時代の私にトップを紹介してくれた、ベテラン企業広報の先駆性を物語る。トップと親しかった、オムロンの創業者が送り込んだ広報パーソンの堀功氏による。

 神経戦の元凶がどこにあったのか。ジャーナリストの伊藤博敏氏が執筆した「黒幕 巨大企業とマスコミがすがった『裏社会の案内人』」(小学館刊)を読んでわかったことが多い。

 情報誌「現代産業情報」の発行人だった故・石原俊介氏(二〇一三年四月没)の評伝である。企業の広報や総務部門ばかりではなく、反社会的勢力や捜査当局などにも幅広い人脈を持って、企業の不祥事に関する情報を伝えた。

 情報の交差点となった石原氏は、企業の顧問を務めながら、主宰している情報誌で厳しく指弾することがあったという。

 石原氏のビジネスモデルは、捜査当局が反社会的勢力や、それとからんだ企業の不祥事に厳しく法令を適用することによって衰退していったと、伊藤氏の著作から読み取れる。

 バブルにかけあがっていく日本経済と、その崩壊の過程で、石原氏は情報の分析の力を発揮した。

 それは、企業広報と総務部門と石原氏らの情報誌との「蜜月」時代でもあったのだろう。「黒幕」が消滅しても、その時代に生きた経験者が、私を神経戦に追い込んだのではなかったか。

「黒幕」が去れば、いずれ後続者たちの時代も終わるはずである。

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