ELNEOS 3月号寄稿。
ある週刊誌のベテラン記者の取材を受けていた。
パソコンソフトと関連の出版事業から、インターネット接続サービスというインフラ事業に経営の方向性を大きく転換した時期のことである。
経営不安の見方が株式市場にも反映して、それに先立つネットバブルの時代に比べると株価は二ケタも落ちていた。
記者のインタビューの狙いもそこにあった。経営が苦しいなかで巨額の最終赤字が出したのは、経営者の覚悟にあるばかりではなく、赤字を出しても経営が継続できる体力の証でもあった。
私を驚かしたのは、記者との応対が終わった数時間後に、取材の内容に関する情報がネット上に現れたことであった。
内容の詳細な点については、つまびらかではなかったが、大筋は間違ってはいない。私の対応については淡々としていた様子が描かれていたが、取材者の態度に対しては批判的だった。しかしながら、それは正しくない。ベテラン記者らしい理詰めのインタビューだった。
取材はふたりだけで行われたものであり、取材者がその内容を漏らすとは思えなかった。
メディアと企業広報には見えないネットワークがあるのではないか、と少々不気味なものを感じたのである。
企業が生まれ変わろうとしていた、インターネット接続サービスの子会社が顧客情報を盗難されたときのことだ。
ある企業の筋から危機管理の専門家を紹介されて面談することになった。正確なところは分からなかったが、紹介してきた企業は、この人物に講演などを依頼していたと推察される。その著作などから考えると、他の企業などで、この分野の相談役つまり顧問もしているようであった。
信頼すべき紹介の筋であり、非礼を働くわけにはいかなかったので、会うことにした。私には外部の人に顧問に就任してもらうつもりも、講演などを依頼するつもりもなかった。
ことは顧客からの損害賠償訴訟の可能性もあった時点だった。しかもそれは現実のものとなった。
企業の存亡にかかわる事件について、そのリスクを中途半端に外部の人に負わせるわけにはいかない。
その専門家は事件について、ある著名な月刊誌に危機管理の視点から論文を執筆する予定であるという。
講演の機会や顧問契約を結ぶ可能性がある企業に対して、メディアに書くということは、ある種の怖れを企業に抱かせる可能性がある。
メディアにいた人間としては、かなり際どい応対であると感じた。
このシリーズの前回においても、そうした経験をつづった。雑誌の担当者がトップと批判するタイトルを掲載した雑誌を持って、私に高額の勉強会を勧誘する。
講演会や顧問の話が出る前に、私は、雑誌の論文とは両立しないことをその人に告げると、早々に席をたった。
広報パーソンとしては避けなければならない、正義感を表に出した物言いは必要ではなかったかもしれない。