ELNEOS 2月号寄稿。
誉れもなく訾(そしり)もなく
荘子『山木篇』
(誉れにも、謗りにも気にかけず、
臨機応変にしてとらわれない)
× × ×
企業ばかりではなくあらゆる組織の広報パーソンは、そうありたい。しかしながら、感情を平穏に保つことは容易ではない。
広報部門の担当者に胃を痛める人が多いと思われるのは、その証(あかし)ではないか。
幸いにして、私は広報の先達のような苦しさに至ることはなかったが、部門の全体としては、そうした軋み(きしみ)を甘受しなければならなかったのは事実である。
ベンチャー企業として、組織を日々整えていかなければならない宿命にあって、組織の専門化が進んでおらず、企業によっては総務や渉外部門が対面する、メディアやさまざまな人々と会わなければならなかった。
日本の企業が広報部門を本格的に整えたのは、ここ三〇年ほどに過ぎない。取材する側からみると、広報の出発時点の位置づけがその後の在りようを決めている。
つまり、総会屋対策などを担ってきた総務系の広報、企業の戦略を担ってきた企画や人事などから出発した広報、営業戦略の一環として作られた広報の三つに分類できる。これらの要素が組み合わされたり、一体となったりした広報部門もある。
さて、大企業の一部には、総務部門が窓口になるメディアがある。広報部門が対応するメディアとの線引きの基準はそれぞれであるが、広報部門が対応する客観的な報道の主体ではない、と判断する場合である。
ベンチャー企業の総務部門にはそうしたノウハウはなかった。それは広報部門があらゆるメディアの前面に押し出されることを意味する。
感情を平静に保つことはできるか。神経がささくれだつような瞬間を乗り切れるか。正直に告白すれば、私にはそれ困難であった。
神経戦の陥穽(かんせい)に落ち込むのである。
幾度も述べているように、メディアの出身者が必ずしも広報を担えるものではない。企業の広報パーソンが直面しているメディアの多様さと在りようは驚くべきものがある。
その雑誌の担当との面談は奇妙なものであった。取材の申し出かと考えて、資料を準備していたが空振りである。まず、その雑誌がテーブルに置かれる。トップの経営について批判するタイトルが大きく掲載されている。
そのうえで切り出した本来の用件と、雑誌を差し出した行為との関係はあるのか。なかったと思いたい。勉強会への勧誘が面談の趣旨であった。参加費用は高額である。それを断ると、安い価格の別の勉強会もあると勧めるのだった。
最終的には予算がない事実を告げて断り、相手を丁寧にエレベーターホールまで送った。
胸中に広がる違和感はいまでも忘れない。
企業広報のベテランからは、それしきのことといわれそうである。これからいくつか、神経戦のエピソードを紹介していきたい。