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檀蜜が人生の最後に聞きたい曲とは

2014年7月10日

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檀蜜が人生の最後に聞きたい曲とは

NHK Eテレ「ミュージック ポートレート」

異色の組み合わせが奏でる「自分史」の魅力

  檀蜜は不思議な経歴をもった、突然のように現れた「女優である。大ヒット作「半沢直樹」、粉飾決算をする企業の愛人役をこなした。最初の主演映画「私の奴隷になりなさい」(2012年)で映画にも進出している。

 檀はさまざまな職業遍歴を遂げたのち、29歳でグラビア・アイドルにデビュー、またたくまに、テレビや映画に出演、雑誌のカバーを飾っている。

  NHK Eテレの毎週木曜日の深夜枠「ミュージック ポートレート」に、檀は、「相棒」の鑑識係役として知られる、俳優の六角精児とともに出演した(6月19日)。

  この番組は、デザイナーや編集者、美術家などさまざまな分野で活躍する2人の人物が登場する。それぞれが人生の岐路で自分の道筋を決めたり、生きる支えになったりした曲を10曲ずつ紹介しながら、「自分史」を語る。

 ふたりで2週の登場で、私が観た回は「第2夜」であった。

  第1夜の幼少時代から女優に至るまでの人生を振り返って、ナレーションは「(檀が)小学生時代からひとりぼっちのトラウマを抱えていた」という。

  「負け犬根性でしたね」「タブーとされる、不謹慎ですが死に興味があったんです」

 大学を卒業後に死に興味を抱き、葬儀専門学校からいわゆる「おくりびと」として働いた。

  女優のデビューには「神話」がともなう。檀の自分史は、これまでの女優のそれとはまったく異にしている。

  グラビアモデルに応募したのは、「アルバイトの感覚です。街角でティッシュを配るように、少しでもおカネが入れば生活が楽になると思って」

  彼女が選んだ10曲は、番組のホームページで詳細がご覧にいただけます。他の出演者についても同様です。

 9曲目は、B’zの「You&I」。

「Youは仕事だったり、恋人だったり、友人だっり、仕事だったりすると思うんです。いまは、檀蜜」

  檀は、居所がなかった自分に「檀蜜」という場が与えられ、それによって他人が喜んでくれるならうれしい、というのだった。

  人生の最後に聞きたい曲は、キリンジの「愛のCoda」である。

 「今はただ春をやり過ごすだけ」「地の果てはてで」という繰り返される歌詞に魅かれるという。

  「仕事をしているとやりきれないこともある。地の果てでやっていることで、ここでひとがよろこぶことをやっていれば、来世が期待できます」

  番組のこの夜の相手である、六角精児もまた、40歳代まで芝居に打ち込みつつも、下積み生活が続き、ギャンブルと4回もの離婚など、人生は決して幸せなものではなかった。

  アルバイトをしていたバーに度々遊びにきていた、デビュー前の森山直太朗の「さくら」が、彼が選んだ6曲目だった。

  「バーによくやってきていて、歌をやっているっていうんで、歌ってもらったんです。そこにいた全員が感動してしまって。僕は自分のギターをあげました」

  そして、地方公演で立ち寄った牛丼屋で、有線放送から流れる森山の歌声を聴く。それが「さくら」だった。

  「店のひとにヒットしているって教えられて」

 六角の心境は複雑だった。苦労していてもいつかは認められる日が来るんだと、森山の歌に励まされたのはもちろんだが、自分がいまだに下積みのままである心の痛みも襲ってきた。

  美術家の奈良美智と、歌手の木村カエラ(6月26日)の第1夜もまた、孤独な幼少・青年時代を送ったふたりが、音楽によって芸術の魂を揺さぶられる「自分史」が語られた。

  いまや日本を代表する画家・彫刻家である奈良は、幼女が下から見上げるような視線の絵で一般的にも知られるようになった。

  奈良の人生には、いつもパンクロックがあった。弘前市の高校生時代、自宅のガレージを改築して喫茶店を開き、アメリカから通信販売でさまざまなレコードを取り寄せた。そして、深夜に東京のラジオ局から聞こえてくる深夜放送で紹介される音楽である。

  奈良が2曲目に選んだのは、デヴィット・ボーイの「STARMAN」である。

 歌詞のように、空を見上げると、本当に空の上にスターマンがいるようにみえたという。

  武蔵美術大学に入学したのも束の間で、1年生を終えると欧州の放浪の旅に。学費を使ってしまったので、学費の安い名古屋の公立の美術学校へ移る。アルバイトで美大を目指す予備校の講師を務めた。

  「先生、先生、と呼ばれるうちに、これはいかんと思って。教えるのには自分が学ばなければいけないと」「予備校の学生たちに、君たちと同じように僕も学校を目指す、といってドイツの美大を受験するわけです」

  名古屋でも地元のパンクロック、ドイツでもパンクロックにはまった。

  そして、奈良は幼女の絵画によって、自分の独自性を発揮することになる。

  対談相手の木村カエラは、中学生時代から歌手を目指しながらも、そのチャンスはなかなか訪れなかった。彼女はいつでも個性的であろうとした。

  「歌もファッションも、ヘアスタイルも、プロモーション・ビデオの編集も自分でやらなければ気がすまなかった」

  彼女が選んだ曲は、その時代、時代で、新しい音楽の領域を切り開いた若者たちの音楽だった。

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