ほまれもなく そしりもなく
「田部康喜」広報マンの攻防
「敗者」からの出発
国際メディア情戦、つまりテレビ、新聞、ハリウッド映画、五輪までも巻き込んだ『現代の総力戦』の本質は、さまざまなテクニックを使いながら、最終的には『自分たちが敵よりも倫理的に勝っている』ということをいかに世界に説得するかという勝負である」(『国際メディア情報戦』・高木徹著)
映像の世紀である二〇世紀をまたいで、ほまれもなくそしりもなく企業や組織のレピュテーション・リスクを回避する役割を担って、広報パーソンに映像の力とその対応について、高木徹氏の著作をめぐって論じてきた。NHKのディレクター出身のジャーナリストである高木氏が、米国のオバマ大統領の初当選において、いったんはライバル候補に窮地に追い詰められながら、逆転した経緯を学んだ。
企業や組織のリスク管理において、危機に追い詰められて、いったんは「敗者」の烙印を押された、広報パーソンの経験者は多いだろう。メディアばかりではなく、企業や組織の経営層や他の部門から婉曲な責任追及を受ける。
ほまれも求めず、ただひたすらにそしりを受けずに事態の収拾を収めようとする広報パーソンにとっては、恥辱である。
リスク管理に関するセミナーや著作は多く、広報部門以外の人々も学習するようになった。
メディアの報道は誰しもが見ている。しかしながら、そこに大きく欠けている要素がある。ニュースの製作過程があまりにも取材者の感情やメディアの組織の在り方、そしてメディア全体の無意識の統一的な批判つまりメディアスクラムによってなされているのか。
高木氏の著作に刺激されて、米国の大統領選挙における、「敗者」から出発したドラマを学んでみようと思った。企業や組織において、リスク管理の苦境に立った、広報パーソンの心の支えを探そうと思ったのである。
ケネディがニクソンとの大統領選挙の際にテレビ討論で勝ったのは、テレビの草創期の出来事として幾度も取り上げられてきた。テレビという新しいメディアが強力なものであるかを証明するために。
実は、テレビというメディの特性に注目して、政治活動の柱にしたのは、ニクソンが歴史上初めてであった事実が忘れられている。
ニクソンが副大統領候補となった一九五二年のことである。アイゼンハワー大統領は、ニクソンを賄賂をもらったという疑惑から、その地位から退かせようと図った。ニクソンがとった戦略は、全国ネットのテレビに登場することだった。
「彼はロサンゼルスの殺風景なスタジオに座った。たった一台のカメラのレンズに向かって、チェッカースという名前の愛犬について語り、妻の共和党員風の布製のコートについて話し、貧しい生まれから身を起して、共和党に貢献してきたことを説明し、党員の支持を訴えたのである」
(『ニクソン・メモ』マービン・カルブ著)
この放送によって、党本部にニクソンを支持する何百万という電話や電報が殺到したのであった。
(この項続く)
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