「個人広報」の時代に、広報パーソンが歩む道のひとつとして、犯罪被害者をメディア・スクラムつまり過剰な報道の圧力から守る方向があるのではないか、とこのシリーズで述べた。各地の弁護士会と広報パーソンが連携する。すでに実現していそうな構想である。
しかしながら、メディア・スクラムと正面から向き合う広報パーソン像を理想に掲げたのはいささか恥ずかしい。
日本テレビの清水潔記者を見よ。『殺人犯はそこにいる』(新潮社)の筆者のドラマは、幼女誘拐殺人の冤罪である「足利事件」を掘り起こして、無期懲役の菅家利和さんの再審無罪に導いたばかりではない。
「足利事件」をはじめとする北関東の連続幼女誘拐殺人事件を浮かび上がらせ、さらに五人の子どもたちを死に至らしめた可能性が高い、その男性に肉薄する。
「FОCUS」記者時代に、「桶川ストーカー殺人事件」の被害者だった女子大生の名誉を回復しかつ、捜査陣よりも早く犯人にたどり着いた。
日本テレビ報道局に転身後も、記者クラブに属さない社会派の調査報道記者として評価は高まるばかりである。
雑誌カメラマンからペンを握り、そしてテレビ映像を駆使して事件の深層に迫る。
そんな清水記者は若いころから、メディア・スクラムの現場にたじろぎ、その中に身を投じるのに躊躇する。
「小さな声を聞く」と清水記者は記す。何十回も百回を超えて現場に足を運んで、被害者の声を聞きにいくというのである。
北関東の連続幼女誘拐殺人事件では、現場取材にきて泊まったホテルで、夢のなかに被害者のこどもが現れる。清水記者に事件の謎を解いてもらいたいというように、缶製の箱を手渡す。目が覚めても、その手に感触が残る。
「最も小さな声」である幼女の声を聞こうとするなら、それは遺族のもとへ行くことだと、清水記者はいう。事件から何年も過ぎても、当時のメディア・スクラムに悪夢が遺族には甦る。
清水記者はなんども門前払いをくいながらも、被害者の声に耳を傾けようとする。ついに遺族は清水記者とともに、真実を求めて歩み出す。
『殺人犯は』は、DNA鑑定という科学捜査が実は完璧なものではなく、それが冤罪を生み、本当の犯人にたどり着く道を閉ざしていることを、明らかにしていく。
DNAの型を示す無味乾燥な数字が、清水記者の分かり易言葉によって意味を持ってくる。
彼のようになりたい、と思う記者は多いことだろう。広報パーソンもまた、彼のような記者と取材現場で遭遇したい。
「厳格な司法なくして、国民は守れない。安全と平和はない。……報道の仕事もだ。小さな声こそ耳を傾け、大きな声には疑問を持つ。何のために何を報じるべきなのか、常にそのことを考え続けたいと私は思う」
清水記者の言葉は広報パーソンも勇気づける。
(この項続く)
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