東京・渋谷のスクランブル交差点を渡って、公園通りの坂道を上る。ショッピングモールの最上階にパルコ劇場はある。開設40周年記念の演目は、三谷幸喜脚本の「其礼成心中(それなりしんじゅう)」。文楽の人形によって演じられる人情劇であった。
歌舞伎や文楽にはカーテンコールはない。三谷文楽の舞台は幕が再び上がって、黒衣を脱いだ人形遣いが人形とともに、観客の拍手に幾度も応えた。
パルコの創業を手がけ、社長となり会長で退いた、増田通二さんが亡くなってから7回目の盆である。社長就任直後の1980年代半ばから引退後しばらくまで、インタビューする機会が何度もあった。
「劇場のなかにショッピングモールを作るんだ」という、増田さんの発想が生んだのがパルコ劇場である。池袋の経営危機に陥った商業ビルをパルコに生まれ変わらせ、さらに渋谷の成功が増田さんを時代の寵児に押し上げた。
バブル経済にかけあがる東京一極集中の時代に、「第3の山の手」論を唱えた。東京の町は坂の上に発展していく。文京区周辺を第1の山の手とすると、世田谷や杉並区は第2の山の手。さらに、第3の山の手が発展しつつある。この着眼点に沿って、調布、所沢などに出店していった。
東京の市ヶ谷に生まれ、旧制府立高校から東大文学部哲学科を卒業。都立五商の定時制の社会科の教師を8年務めた。中学時代の友人である堤清二氏が経営する西武百貨店に入社した時には36歳だった。引退する63歳まで22年間にわたって、劇場ばかりではなく、現代美術中心の美術館を併設し、出版事業にも乗り出した。
セゾングループを率いた堤氏とは、同士でありライバルでもあった。パルコの社名に「西武」が冠になることを拒んだ。「堤さんの文化事業ってのは、僕のやってきたことの後追いなんですよ」と、江戸っ子の歯切れのよい物言いだった。
「銀座セゾン劇場」の名称で、堤氏が手がけた「ル テアトル銀座」は5月31日に26年間の歴史に幕を下ろした。
パルコの経営権をめぐって昨年来、株式の激しい争奪戦があった。JフロントがTOB(株式公開買い付け)によって、最終的に65%を取得して傘下におさめた。投じた資金は約700億円だった。
企業の価値とはなんだろう。買収・合併の取引には、税引き前利益や減価償却額などを足し合わせたEBITDAが指標として使われる。その5、6倍が適正価格であるといわれる。
数値では測りようのないものに価値の源泉があるのではないか。独創的な商品やサービスに対する消費者の感動そして、アプローズ(拍手喝采)である。スティーブ・ジョブズが口にしていた、製品の箱を空けたときに人々を驚かすことだ。
パルコ劇場の鳴りやまぬカーテンコールのなかで、ほほえむ増田さんの姿をみたような気がした。
SankeiBiz フロント・コラム 2013年8月15日 田部康喜