織田作之助の「夫婦善哉(めおとぜんざい)」は、1940(昭和15)年7月に「文芸」に発表された、大阪が舞台の中編小説である。その3年前に盧溝橋事件が起こり、日中は戦争状態に入った。織作(おださく)の代表作には、そうした戦争のカゲはなく、大正から昭和初頭にかけて、繁栄する大阪の街並みが背景となっている。
主人公は、惣菜の天ぷら屋の貧しい家で育って、芸妓になった蝶子と、老舗の化粧品卸問屋である維康(これやす)の若旦那の柳吉の物語である。
森繁久彌が柳吉を演じた、豊田四郎監督の映画(1955年)は名作として知られる。蝶子は淡島千景である。
NHK土曜ドラマは、柳吉に森山未來、蝶子に尾野真千子を配して、名画に挑戦している。第1話「芸妓とぼんちが出会うて惚れて ああしてこうしてこうなった」(8月24日)と、第2話「親の愛でも手切れ金でも 切れぬ心が仇(あだ)となる」を観た。
「あほな男と女の道行(みちゆき)の行方は・・・」
美しい大阪弁の語りは、富司純子である。法善寺横丁のぜんざい屋の「めおとぜんざい」の店先におかれているお多福人形が、柳吉と蝶子の物語を語る趣向である。
ドラマはジャズを奏でるトランペットの音ではじまる。往来を歩く洋装姿の男女の姿は、行き交う芸妓や和服の旦那衆と相まって、隆盛を誇った戦前の大阪を再現する。極彩色のネオンサインが輝く夜のシーンも美しい。
柳吉と蝶子は、宴席で知り合い、偶然に通りで再開する。柳吉はいう。
「僕と共鳴せいへんか」
ふたりの仲が深まっていく様が、職道楽の柳吉が芸妓姿に着飾った蝶子を、下町のカレーライスや焼き鳥、おでんやなどを連れ歩くシーンを重ね合わせながら描かれていく。
「めおとぜんざい」は、ぜんざい一人前がふた皿にもられて出される。
「どうしてふたつになってでてくるか、知ってるか」と柳吉は切り出して、謎解きをする。
ふたつに分けたほうが、最初の皿を食べて、次に移るとより美味しいと感じるからだと。
蝶子はいう。
「男女のふたりがええという意味と違いまっしょろか」
放蕩のすえに父親に勘当された柳吉のために、蝶子は売れっ子芸妓の足を洗って、ヤトナになる。宴席を取り持ち、客にお酌をし、芸を見せる臨時雇いである。
ふたりが所帯をもった家の二階で、職道楽の柳吉は昆布を煮込んで、名店の味を出すのに一日を過ごす。蝶子の貯金通帳を持ち出しては、遊興にふけって、蝶子のもとに何日も帰らない。
ヤトナの仕事から帰った蝶子が見たのは、帰ってふて寝する柳吉だった。ふとんをはぎ、柳吉を問い詰め、胸倉をつかんでわめき、たたく。ふたりが倒れこむ。蝶子が柳吉の胸元に顔を寄せてすすり泣く。
今回のドラマの名作に対する挑戦は、モノクロであった映画に対して、カラーであることを存分に生かしている。ふたりが住む二階屋の部屋を照らし出す朝と夕方、そして夜の美しい光景である。それに合わせるように、蝉と虫の音が、登場人物の心象風景と感情のもつれを浮かび上がらせる。照明と音声が素晴らしい。
カメラは、和服を着ようとしている柳吉の肩から下を映して、その表情は映さない。すわっている蝶子を柳吉の視線から映し出す。
柳吉は実家にいったん戻って、蝶子と別れると嘘をついて、父親からカネを無心するという。蝶子は四つ這いになって、柳吉の足元にすがりつく。嘘ではなく、本当に分かれる魂胆がある、と疑う。
ふたりの部屋に柳吉の実家の番頭がやってくる。手切れ金を畳のうえにおいて、別れることを確認しようとする。
蝶子は断る。柳吉とふたりでりっぱな夫婦になる、というのだった。
森繁と淡島が演じた1955年から60年近くが経つ。名優ふたりもいまは亡い。「夫婦善哉」に取り組んだとき、ふたりには、戦中と終戦後の混乱の経験がつい昨日のことであったろう。織田作の原作が戦争のカゲのない、大正と昭和を描いて、映画の製作にかかわった人々の記憶には拭い去れない近い過去のカゲがあった。
満州の放送局でアナウンサーをしていた森繁が、ソ連軍の侵攻によって、悲惨な状況に落とされた人々のリーダーとなって、引き揚げてきたエピソードは知られている。
暗い思い出をはね返すように、あほな演技のなかで、どこかひょうきんな底抜けに明るい、柳吉になっていったのではないか、と思う
NHK土曜ドラマ「夫婦善哉」は、戦前ばかりか戦後も知らない、若いふたりの俳優を起用したことによって、織田作が小説を執筆した時点から、大正から昭和の初頭をみつめているような趣がある。いいかえれば、大阪を舞台して、風景や色、音によって、あの時代をよみがえらせているようにみえる。
柳吉を演じる森山未來の虚無的な表情といったらどうだ。アナーキズム(無政府主義)の思想に共感した、あの時代の青年はこうだったのではないか。
竹久夢二が描く美少女たちは、デフォルメ(誇張)されているとはいえ、尾野真千子の蝶子の可憐さそのものではないか。(敬称略)