企業が蓄積した大量のデータを解析して経営に役立てる「ビッグデータ」の時代が到来している。
ほまれを求めず、そしりなく己が努力が実ることを秘かに誇る、広報パーソンもまた、新しい時代の動向を無視できない。
企業のカスタマー・サポート部門すなわち苦情の窓口が、そのデータを分析することによって、製品やサービスの欠陥に警鐘を鳴らすように、広報部門はメディアのみならず、世論の動向から企業のレピュテーション・リスクを回避する。
インターネット上で展開されている言説の動向から、いかに企業防衛を図るか。広報パーソンの共通の悩みであろう。
ポータルサイトやネットの書き込みがなされる掲示板の監視ではすまされない。
インターネット企業の広報室長をわたしが務めていたのは、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)がようやく登場したころであった。
ネットの言説の監視について、広報部門の要員を割くことはしなかった。外部に委託することもなかった。
大手企業の一部にはそうした態勢をとっているところがあることは知っていた。
知的な創造性を求められる広報パーソンの時間をそうした監視業務にあてることは、本来の広報業務の意欲をそぐと考えていたからである。
しかも、レピュテーション・リスクにかかわるネットの風説は、幹部や社員たちから広報室にその情報が着実に寄せられていた。
ソーシャル・ネットワーク・サービスの急速な普及と拡大は、そうした牧歌的な時代が過ぎ去ったことを認識させる。
「ビッグデータ時代」の広報パーソンの役割を考えるうえで、『ビッグデータの正体』(V・M・ショ^ンベルガー&K・クキエ、斎藤栄一郎訳、講談社、以下『正体』)は役立つであろう。
デジタル情報革命が政治、経済、堺のあらゆる分野で歴史的な転換をもたらすことを予言した、アルビン
トフラーの『第三の波』に匹敵する著作である。
情報化社会の歴史のなかで、ビッグデータ時代がどのような位置づけにあるのか。『正体』は次のように述べている。
「ついにデータが主役になるのだ。我々が蓄積してきたデジタル情報は、ついに斬新な方法でまったく新たな用途に生かされ、そこから新しい価値が生まれるのである。しかし、そのためには新しい考え方が必要だ。そして、我々の慣習はもちろん、自らのアイデンティティさえも変わってしまう」
ビッグデータ時代は「データ独裁」ともいうべき、データの過大評価から真実を見失う落とし穴もともなう。
「データを扱う人間がよく口にする言葉がある。『ゴミ入れゴミ出し』だ。…クズのデータからはクズの結果しか出てこないという戒めだ。しかし、分析結果の誤用も“ゴミ出し”につながる。ことにビッグデータでは、この問題が頻発したり、影響が大きくなったりする」と、『正体』は指摘する。 (この項続く)
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