東京・築地場外市場は、梅雨の晴れ間に迷路のような路地に人があふれている。魚介類や野菜……試食用のイナゴの佃煮をみつける。爪楊枝で一匹分をガリリとかむと、甘辛い香ばしさが口のなかに広がる。故郷の会津の水田地帯で少年時代に刈り入れ後、家族で布袋を手にしてイナゴを捕って、自宅の鍋でつくった懐かしい味である。
今春から毎月29日はゴロ合わせで「福島の日」として、この一角で福島県産の農産物などが販売されている。トマトジュースを飲み、コンニャクを買う。
この会場のパンフレットを見ると、東日本大震災の鎮魂と復興を祈るために、東北の祭りが集う「東北六魂祭」が福島市で6月1日と2日に開催されるという。
そうだ、福島へ行こう。青森・ねぶたや秋田・竿灯、仙台・七夕などが練り歩く国道沿いは、人があふれて入場制限となって近寄れず、遠くから竿灯のゆらめきを眺めた。期間中の人出は25万人。地元のシンクタンクの試算によると、経済効果は37億円である。
市内のホテルや旅館は満員状態で、日帰りとなった。路面電車のような私鉄に乗って、名湯・飯坂温泉に。共同浴場の入湯料金が300円、料理と酒で約4000円、八百屋で買ったイチゴが2パックで計300円。交通費込で約2万円の小旅行となる。そうそう忘れるところだった。道行く人がおいしそうに食べているので買った、冷やしキュウリ1本50円也。
東北の夏祭りは旧盆にかけてシーズンを迎える。かっと照りつける陽のもとで汗を流すよりも、北の早い秋に向かって、ゆく夏を惜しむような風情がある。
戊辰戦争に敗北して、会津藩士をはじめ東北人たちは列島の各地に散った。夏目漱石の「ぼっちゃん」に登場する、松山の旧制中学校の数学教師である山嵐は会津人である。「会津っぽか、強情な訳だ」と主人公はいう。
戦後の高度経済成長を支えた若者たちを、民族の大移動のように都市に送ったのもこの地域である。故郷に親しい縁者や友人を失っても、震災地で過ごした記憶は、祭りとともに甦る。直木賞作家の中村彰彦氏の著作で「故郷回帰」という言葉を知る。人生が終わりに近づくにつれて人の心には故郷へ帰りたいという思いが芽吹くという。
故郷を離れた事情や、その後の人生によって、そうした思いを抱きながらも帰りがたい人もいるであろう。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」と、室生犀星は「小景異情」の詩でつづっている。
いずれであろうとも、震災後の新しい時を刻み始めた、東北の夏祭りにいざ行かん。震災地に経済効果をもたらすばかりではない。都会のなかで疲れた心とからだをいやすなにかに出会うであろう。