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二都の商機は人波の変化にあり

2013年5月27日

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 多崎つくるは「駅鉄」なのか。村上春樹氏のベストセラー「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の主人公をめぐって、鉄道ファンのあいだで論争が起きている。「駅鉄」とは、駅を訪ねるファンのことである。

 論争を引き起こしている理由は、私鉄に勤務する多崎が駅舎の設計などをする部署に働いていることもあるが、物語の終幕にかけて、新宿駅の夜のプラットフォームが延々と描写されているからだ。

 新宿は1日当たりの乗降客数が365万人にも及ぶ。世界一といわれる。渋谷が300万人、池袋が250万人、そして大阪梅田が230万人である。

 東京と大阪の二都にいま、これらの駅を中心とする地域に、大きな人波が打ち寄せている。JR大阪駅北側の再開発地域「うめきた」に、商業施設が4月末に開業し大型連休中にかけて367万人が訪れた。

首都の変化は、鉄道の相互乗り入れによってもたらされた。横浜と渋谷間の東急東横線と、渋谷と池袋を結びさらに西武、東武線につながる東京メトロ副都心線が3月16日つながった。

 連休中に渋谷から新宿で映画を観ようとした私は、満員のためにかなわず、新宿御苑でサンドイッチを頬張った。人波に押されるようにして、電車を乗り継いで下町の散歩に逃れた。

多崎つくるほどではないが、駅の人波をみつめてみるのは興味深い。

 地下鉄の東京メトロ銀座線は、渋谷の谷間を突っ切って、同線の渋谷駅は地上2階部分にある。東横線と副都心線がつながってから、かつてならラッシュアワーの時間帯でも、始発の乗客のほとんどがすわっている。

東横線の渋谷駅が地上から地下に潜ったため、乗降客は銀座線の駅までビル4階分ほどもある移動を嫌ったのである。その代わりに、地下でつながる半蔵門線でひとつ目の表参道駅に向かう。そこでは同じフォームで銀座線に乗り換えられる。

 表参道を乗換駅にするようになった通勤客がこれから、どのような行動にでるだろうか。帰宅の途中に地上に出て、飲食や買い物をするようになる。

人波の変化をみすえれば、そこには商機がある。東横線と副都心線の乗り入れは、渋谷と新宿の「百貨店戦争」の引き金となった。渋谷の東急対新宿の伊勢丹である。

 大阪が発祥地の高島屋は、首都の戦後の広がりを見事にとらえて新店を次々に開いて、成長を遂げた。昭和34(1959)年の横浜店、44(1969)年の玉川店……。「世田美が、百貨店のフタを開けてみた。」を惹句にした世田谷美術館の展覧会(6月23日まで)は、二都の市場を切り拓いた商人の歴史を綴る。

 東京の町の魅力として、「崖」の存在を上げたのは、永井荷風の随筆「日和下駄」である。江戸以来、切通しの上に次々と町ができていく。

 近松門左衛門の文楽「心中天網島」の冒頭は「北新地(きたのしんち)河庄の段」であり、治兵衛と小春の道行の「橋づくし」の段で語られる天満や難波の地名は、現代に続く町の発展を物語る。

 文学作品も読みようによっては、商機をつかむビジネス書になる。

 

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