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NHK 3.1シリーズ「メルトダウン」

2013年3月22日

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 3月11日の前日の夜明け前、福島県いわき市の新舞子浜に1000人以上の老若男女と浜辺の防波堤に並んで、海に向かって鎮魂の祈りを捧げた。ジャーナリストの下村満子さんが県内で主宰する私塾と中小企業の経営者の組織が、震災後1周年の昨年から始めた催しである。東京や浜松など県外からの参加者もいた。

  いわき市は地震と巨大津波に襲われ、さらに北にある町村が福島第1原発の事故の被害が直撃した地域である。

 「福島を忘れない 祈りの集い」の集会はその前夜、避難者や遺体の捜索にあった警察、消防団の体験談の報告などがあった。認知症の老人施設の女性経営者が、原発事故後の行政の混乱のなかで、富岡町から川内村、川俣町、福島市と、彷徨するように避難した様子が淡々と語られる。

  「福島は忘れられようとしているのではないか」という地元の人々の心配の声が、催しを毎年やろうという後押しになった。

 反原発や脱原発の演説があったわけではない。祈りの当日もそうであった。

 事実を事実として語らしめよう、というジャーナリズムの原点にこだわってきた下村さんらしい運営の方針である。

  3月10日に放送されたNHKスペシャルの3.11のシリーズである「メルトダウン」もまた、福島を忘れないジャーナリストたちによる「調査報道」である。福島第1原発の事故の原因が、政府や東京電力、国会事故調査委員会などによってもいまだにはっきりとしないなかで、調査の意欲が衰えてしまうことに、取材チームが危機感を抱いていることが繰り返し、進行役の報道局員によって伝えられる。

  ジャーナリズムはまず、読者や視聴者に判断の材料を提供することにある。事実を掘り起こすことと、それに対する評価は厳格に区別しなければならない。

  「メルトダウン」は、原発事故の各種の調査資料と関係者400人以上のインタビュー、原子炉設計者や流体力学などの学者チームを組織して、事故の深層に迫る。

 さらに、事故の原因と想定される事実を掘り起こしたうえで、実験装置を組み立てて、シュミュレーションを行うのである。

 「実験ジャーナリズム」とでもいえよう。

  取材班は、福島第1原発のメルトダウンンの原因について、第1号機、2号機、3号機のそれぞれについて詳細な検討を加える。

 第1号機と第2号機では、冷却装置が異なっていた。東電の現地の対策本部は、第1号機よりも第2号機の装置のほうが複雑な構造であるために、機能が失われることを懸念し、そちらに注視していた。

  第1号機の冷却装置が稼働していれば、建屋の壁から外に向かって開いていたふたつの「豚の鼻」と呼ばれる排気口から、水蒸気が出る。事故の記録をみると、「モヤモヤした蒸気」がでたことが報告され、安心感が広がる。

 ところが、この冷却装置は40年間にわたって、稼働したことがなく、原発の作業員たちは、どのような蒸気が出るか見た者がいなかったのである。

 取材班は、米国にある第1号機と同じ型の原子力発電所を訪ねる。そこでは、4年ごとに冷却装置を稼働させている。作業員にどのような状態になるか教育するためである。

 稼働すると建屋を覆わんばかりの水蒸気が発生し、轟音がでるという。「モヤモヤ」は、稼働が停止する際の状態である。

 この事実に対して、取材班はメルトダウンを防ぐチャンスを見逃した、と断定する。

  第3号機のメルトダウンは、消防車による炉心への注水によって、防禦が図られようとした。炉心にいたる複雑なパイプラインをそこかしこで、バルブを閉めることによって、一直線に水を注ぐラインがつくられる。冷却に十分な水量が流れ込んだはずだったが、炉心はメルトダウンした。

  学者のチームとの連携によって、このラインが本来ならまっすぐに炉心に水を入れる、直通の管となったはずが、その途中で別のルートに水が流れたことがわかる。このルートに水の浸入を防ぐポンプが、電源の喪失によって稼働しなかったのである。

  取材班は、この点について、イタリアの定評のある実験施設で、当時の再現を図る。その結果、注水した水の55%が脇のルートに流れたことがわかった。

  しかも、消防車による注水は、実際のところ「ぶっつけ本番」だったのである。

 福島原発の事故後、炉心冷却の最後の拠り所として、各地の原発に消防自動車が配備され、建屋の注水工につなぐ訓練はなされている。しかしながら、現実に注水した場合に、どのようなルートで炉心まで達するのか、途中で脇に水が逃げることはないのか、その検証は行われていない。

  原発の複雑な配管のなかから、注水ルートと、別のルートに水が流れるルートを、映像で描いていく。実験施設を使って、消防自動車から注水した水を赤く色づけて、炉心にその半分もいかないことが、超高速度カメラのスローモーションによってわかる。

  番組の最後に、原発の事故の原因をこれからも調査報道していくことが淡々と語られる。

 「実験ジャーナリズム」が可能なのは、テレビだけではないだろう。3.11の新聞のページをくくりながらそう思う。

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