吉村作治先生 古希記念エッセー集 寄稿
2013年2月1日刊
東日本大震災は、戦後の日本社会を問うばかりではなく、世界の人々がこれからの生き方について考える歴史的な転機になっていることは、いうまでもないことでしょう。
2011年3月11日を境として、「戦後社会」は終わり、「災後社会」が始まる。作家の猪瀬直樹先生の歴史の見方です。冷戦後も日本人は、ディズニーランドのような、安逸な暮らしを続けてきましたが、震災後の日本人は厳しい内外の現実に向き合わなければならないというのです。
こうした災後社会にあって、「知の巨人」として、吉村作治先生のこれからのありようがあるのではないかと思います。
私事にわたりますが、会津若松で生まれ、幼少年、青年時代を仙台で暮らしました。東北出身者には、未曾有の災害がどうして故郷を襲ったのか、気持ちの整理がつかぬままに、いまだに心安らがぬ日々が続いています。
そうしたみちのくの地である、岩手県花巻市博物館において、2012年9月から11月にかけて、「吉村作治の古代七つの文明展」が開かれたことは、故郷の人々をどれほど勇気づけたことでしょう。エジプト文明やオリエント、ギリシャ文明と並んで、東北の縄文時代の出土品の数々を展示して、「縄文文明」と名づけられたのです。
三陸沿岸の震災地の取材を続けております私にとって、花巻での吉村先生のトークショーのご発言には、目を開かされました。
吉村先生はいつものように優しいまなざしで観客を見渡されて、こうおっしゃったのです。
「大震災を人は災害というが、自然からいわせるとしたら単なる『自然活動』なのです。人類の文明は、自然と戦うのではなく共生することによって育まれてきました」
「戦後社会」は高度経済成長のなかで、自然をあたかも征服したかのようにして、豊かさを手に入れてきました。「災後社会」をどのように築いていくべきなのか。
人類の数万年に及ぶ歴史のエッセンスをぎゅーっと絞って、吉村先生が発するお言葉が災後社会の指針となる予感がしています。
古希をお迎えになられたことを心よりお喜び申し上げるとともに、いまだ衰えぬチャレンジ精神にただただ感服するばかりです。
その吉村先生がまた震災地のいわき市に本部を置く、東日本国際大学と協力して「復興学」を2013年春から始めようとなさっていらっしゃいます。
日本は、そして世界は、先生の思想から学ぶことになります。 (了)