「この国はどこで間違ったのだろう」。東京の下町の居酒屋のカウンターに酔いつぶれそうになって、平山周吉役の橋爪功はつぶやく。山田洋次の監督50周年記念作品の「東京家族」のシーンである。東銀座の松竹本社の試写室のいすにからだを沈めた。
周吉は瀬戸内の島に住む元教師、妻と連れ添って東京の子どもたちを訪ねる。郊外に開業した長男、美容院を営む長女、舞台芸術のアルバイト暮らしの次男。
学生時代の親友と酒を酌み交わしている周吉は、「医師の長男を持って幸せだ」と何度もいわれる。しかしながら、言葉はかみ合わない。
「この国はもう立ち直れないではないだろうか」とこたえる。
終戦後の貧しい日本を知り、高度経済成長のなかで家庭を築いてきた老人の述懐である。同じ時代を生きてきた、父の世代、団塊の世代、それに続くわたしたちの世代の嘆きともいえるだろう。
同世代の安倍晋三首相は「日本を取り戻す」という公約を掲げて、再び印綬を帯びた。
そして、「アベノミクス」である。国土強靭化計画はケインズ、通貨供給量の増加によるデフレ克服はマネタリスト、規制緩和や新産業の創造はシュムペーターであろうか。過去の経済理論を総動員したかのようだ。
東京株式市場はそのアベノミクスを囃すように、4日の大初会は活況となり11年ぶりの上げ幅となった。
さらに、東証と大証が経営統合した日本取引所もこの日、東証1部に上場した。戦時統制下の昭和18(1933)年に東証株が上場を廃止されて以来のことである。
戦争に突入する前まで、兜町と北浜は相場師たちが闊歩する資本市場のるつぼだった。獅子文六の原作で映画のシリーズとなった「大番」のなかで、牛ちゃんと呼ばれる主人公のあだ名は、強気の相場を英語で雄牛の「ブル」にたとえるところからきている。
「家族」の試写会を終えて、地下鉄で兜町を訪れる。遅い昼食となって、うなぎ屋に入る。縁起をかつぐこの町の人々は、ブルの相場と「うなぎのぼり」をかけてよく食べる。座敷は満員で、値の張る重箱を抱え込むようにしている。
兜町では金融記者として、87年のニューヨーク市場に端を発した大暴落も、89年末の時価総額590兆円からつるべ落としに下落する相場も、山一証券の倒産もみた。
アベノミクスはいったいこれから、どのような幸せをもたらすのか。わたしたちは、なにを取り戻すのだろうか。
「家族」の主人公である周吉は、東京の旅の途中で妻を亡くし、遺骨を抱えて島の実家に戻る。その葬儀を終えて、最後まで残ってくれた次男の恋人にこういう。
「これから厳しい時代になると思いますが、息子と一緒にがんばって暮らしていってください。ありがとう」と。
批評家が多いであろう会場に、すすり泣くような気配が満ちた。
経済理論を超えた地平にみえる時代の気分に、安倍首相が目をこらすとき、アベノミクスに血が通うに思う。