「自助・共助・公助」を築くSNSとの協調時代がくる
財界 新年号(2013年)寄稿
米国の大統領が再選されるとともに、中国に新主席が誕生、日本も衆院解散を経た新政権が発足する方向にあり、世界の政治の地図が大きく変化を遂げようとしているいま、2013年(平成25年)の新年を迎えて、民主主義の基盤である、メディアはどこへ向かおうとするのだろうか。
ジャーナリズムとは、ジャーナルつまり「日々記録する」という意味からきている。歴史といいかえてもよいだろう。
東洋史学の権威である岡田英弘・東京外国語大学名誉教授によれば、歴史とは政治史のみであるという。かつ、歴史を記す方法はいまのところ、ヘロドトスによる東西の衝突の歴史観と、司馬遷による中国の「正統」をめぐる著述しかない、と。
我々が日々接触している、メディアの報道を眺めるとき、国家間の衝突と正統性をめぐる論議がいかに多いかにため息がでそうになるではないか。
ニュースを追っているメディアが実は、過去の繰り返しに陥っていることに改めて驚くのは、あまりにも純粋すぎるというものである。
わたしは朝日新聞記者として35年前にジャーナリストの第一歩を歩み始め、2012年春まで10年間は広報パーソンとして、メディアから書かれる立場であった。そして、ネットを中心としてコラムを書くようになって間がない。
メディアとは、中間に立つものの意味である。政治や経済、社会現象の主体となっている政党や政治家、企業と経営者と、読者である市民をつなぐものである。
新聞がその王者だった時代があった、そしてラジオ、テレビの時代になった。
いま、メディアの定義が揺れ動いているのは、ヤフーやグーグルの登場を経て、ツイッターやフェイスブックといった、いわゆるソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)の普及が急速に進んでいるからである。
インターネットが普及し始めた段階で、日記形式で自らの体験を記述して発信するブログがあった。個人が自ら情報を発信できる時代になったといわれたものである。
そしていま、SNSである。わたしも、ツイッターとフェイスブックを始めてから、わずか1年近くに過ぎないから、したり顔で、評価をつまびらかにするほどには経験がない。
ただ、ひとついえることは、自ら情報を発信するばかりではなく、なにか社会と大きくつながっている、あるいは自分の世界が広がっていく感覚はある。
ツイッターで、好きな日本映画について「つぶやく」とそれが、わたしの考えに共感した人々が、リツイート機能によって、他の人に広げてくれる。フェイスブックで、メディアについて意見を述べると、見知らぬ人が「いいね」と評価してくれる。
2013年3月11日、東日本大震災は2周年を迎える。「ポスト・大震災」の潮流はいまもまだはっきりとしているものではないが、世界史的な意義をもって地球を洗っているのは間違いないだろう。
巨大地震と巨大津波、そして原発の事故が重なって、世界の思想の転換を迫っている。人々の生き方についても同様であろう。
「自助・共助・公助」のバランスとどのようにとって、「ポスト・大震災」の時代の社会を築いていくのか。
さまざまな情報を集めて、それを人々に伝えることによって、次の時代の社会づくりをうながすのは、これからのメディアの大きな役割である。
「紙」すなわち新聞や雑誌か、「ウェブ」すなわちネットメディアかという不毛な論争は、大震災のさなかに死んだといっていいだろう。
新聞もラジオもテレビも、ツイッターでつぶやき、フェイスブックを活用して、人々に情報を送り続けたのである。
これからのメディアは、ツイッターとフェイスブックのようなSNSを活用しながら、人々の意見や気持ちをくみとりながら、大きく変化を遂げていくだろう。
それが、「ポスト・大震災」時代のメディアのありかたであるとともに、社会をよりよきものに変えていく原動力になることを祈りたい。