野田政権は支持率がさらに悪化して、政権末期の様相である。政府と日銀は共同文書を発表して、脱デフレの新基金を創設、与党民主党は来年度の税制改正にすでに手をつけて、予算編成をも視野に入れている。旧大蔵省、財務省の予算原案、そして政府原案の作成という、自民党政権下の年末の歳時記を与党はめくっている。
国土交通省が政府税制調査会に提出している、景気浮揚策は消費税増税に伴って、住宅の新規着工戸数が減ることを防ごうと、住宅ローン減税を拡充する案である。
国会議事堂を振り返りながら、政党の本部や政治家の事務所が林立する永田町の坂を少し下って、国立劇場にたどり着く。政局に揺れる政治の街を取材がてら、歩き回っていたために開演に遅れる。会場は満員で席につくまでちょっと苦労する。
歌舞伎の通し狂言の芝居小屋となっている劇場の演目は、「塩原多助一代記」である。落ちぶれた浪人の子として生まれ、豪農の養子となり悲惨な人生を歩んだ多助が、炭屋として成功する物語である。
多助を演じるのは、坂東三津五郎。苦労して小さな店を出しながらも量り売りの行商をする、多助が仲間と茶店で一休みする。
「お金が溜まると贅沢をしたくはないのかい」と尋ねる仲間に対して、多助は次のように答える。
「なに、食べられるものを食べていればいいですよ。天が恵んでくださったものを食べていれば」と。
多助の言葉にはっとする。新約聖書のマタイ伝の有名な一節と同じではないか。イエスはいう。「飛ぶ鳥を見よ。撒かず、刈らず、収めず生きているではないか」と。天が与えてくれるものを鳥は食べている。なにを食べるものに、人は煩うことがあろうか、と。
「落語を聴いていれば、人生は生きていける」といったのは、天才噺家の故・立川談志家元である。「塩原多助一代記」は実は、明治時代に活躍した噺家の三遊亭円朝の人情話が下敷きになっている。
欧米の人々が、シェイクスピアの演劇や聖書から人生を学んだごとく、江戸や明治そして戦前、戦争直後も日本人は、歌舞伎や落語によって人生訓を得ていたのである。
「日本人は戦後、芝居を忘れた」といったのは、コラムニストの故・山本夏彦である。娯楽の時間とそれに遣うおカネを削って、日本人が得たものは持ち家ではなかったか。戦前は借家の時代である。作家の森鴎外の旧居を記念する地が、ひとつではないことからもよくわかる。
戦後の自民党の持ち家政策によって、日本人の8割近くが自宅を持ったが、少子高齢化のなかで、空き家が15%近くになっている。
寺山修司にならっていうならば、「ローンを捨てよ、町に出よう」である。芝居や落語、そして映画には人生がある。ついでに食事をしたり、買い物をしたりすれば、立派な景気浮揚策である。人々はすでにそのことをわかっているようである。興行会社の松竹の8月中間決算は、歌舞伎など演劇部門の増収が貢献して、営業利益が黒字転換している。