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コラム

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内田有紀と池脇千鶴の「心理劇」は背筋が凍る

イヤミスには終わらないのか

WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿    http://wedge.ismedia.jp/category/tv

 NHK BSプレミアム「はぶらし 女ともだち」(毎週火曜夜11時15分)は全8話中の5話が、7日に一挙再放送された。高校時代の同級生だった、真壁鈴音(内田有紀)と古澤水絵(池脇千鶴)が繰り広げる「心理劇」は、回を追うごとに視聴者を増やし、初回からの展開を観たいのだろう。

 第1話「予感」から欠かさず観ている私もドラマの展開が待ちきれない。そればかりか、初回から背筋に震えが走る。

 シナリオライターとして成功を収めている鈴音(内田有紀)の自宅のマンションに、雨のふる深夜、水絵(池脇千鶴)が6歳の息子の耕太(手塚勇輝)を連れてやってくる。「夫と離婚して働いていたが、リストラされて、再就職口を探す2日間だけ泊めて欲しい」というのである。

 鈴音にとって、水絵は高校の合唱部で一緒だったという以外は、さして親しい仲ではなかった。それが20年ぶりに訪ねてきたのだ。深夜でもあり、断りづらかった鈴音は、水絵親子をマンションに入れる。

 「はぶらしがなくて、あったら私と耕太の分を貸してくれない。明日にはコンビニで買って返すから」と、水絵はいう。

 鈴音は買い置きの、はぶらし2本差し出す。

 翌朝、水絵は借りた、はぶらしを水絵に差し出す。

 「どうもありがとう。これ返すから」と。

 新品を返すならわかるが、使ったものを平然と返す水絵に、鈴音はちょっと表情を固くする。

 「はぶらし 女ともだち」の原作は、近藤史恵である。脚本は横田理恵と森山あけみ、鹿目けい子の3人が回ごとに担当している。

 ドラマは、原作にはない鈴音の不倫相手である、プロデューサーの柳井護(尾身としのり)らを加えて、水絵のよって鈴音の日常が崩れていく様子がより浮かび上がる。

 水絵がやってきた2日目の朝、鈴音が起きると時刻はすでに午後3時半を回っている。頭が重いのは、前夜に水絵とふたりでワインを飲んだなごりかと思う。

 水絵親子はマンションにはいない。ふたりは橋の欄干のそばにすわって、コンビニで買ってきたと思われるサンドイッチを食べている。

 マンションに戻ってきた水絵は、再就職活動がダメだったことを鈴音に告げて、1週間だけおいてもらえないか、と頼むのだった。鈴音は押し切られる。

 その後、鈴音がたまたま水絵のバックにつまずいて、中身が散乱したときに、睡眠薬がはいった袋をみつける。

 「水絵がワインに睡眠薬を入れたのではないか」と、鈴音のなかに疑惑が広がっていく。

 そして、耕太が深夜に突然発熱する。鈴音は水絵とともに、耕太をタクシーで病院に連れていったばかりか、保険証のないふたりのために治療費も負担する。

 マンションに帰ってからは、水絵の再就職活動のために耕太の世話をする。

 ところが、水絵が耕太のために用意したうどんの替わりに、いっしょにカップ麺を食べた結果、耕太の体調が悪化する。

 帰ってきた水絵は、鈴音を責め立てる。水絵の髪が明らかに美容院にいってきたことがわかると、鈴音は水絵に反発する。

 「就職活動をしていたと思ったら美容院?」

 「鈴音は2週間おきにカットにいっているからわからない。私はね、4カ月もいってなかったのよ。就職するには身だしなみも大事なのよ」

 耕太の体調が悪化したこともあって、鈴音は水絵の再就職がきまるまでマンションにいることを許すのだった。

 鈴音の日常に水絵が徐々に入り込んで、鈴音の生活は崩されていく。ドラマのシナリオに危うく穴をあけそうになった。さらに、スランプに陥る。

 不倫相手のプロデューサーの柳井(尾身としのり)は、鈴音をカバーするために別の女性脚本家を入れる選択をする。

 柳井は水絵を呼び出して、当座の生活資金だとして、カネを差し出して鈴音のマンションから出ていくように頼む。水絵のために鈴音のテンポが狂って、創作活動に支障がでているというのである。

 水絵は激高して、カネを地面にたたきつける。

 「調子を狂わしているのはあなたのほうでしょ。不倫をして。女の37歳って、どういう時期かわかる?」

 水絵役の池脇千鶴は、年齢を重ねるごとに女優として脱皮を遂げている。不動産会社の美少女のCMで知られるようになり、NHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」(2001年)の主役も演じた。

 そして、日本アカデミー賞優秀女優賞を獲得した「そこのみにて光輝く」(2014年)の大城千夏役である。主役の佐藤達夫役の綾野剛とともに、海辺の街で心理劇を繰り広げる。池脇は貧しい家庭のためにからだを売り、病気で寝込んでいる父に対するすさまじい介護の様子を淡々と演じている。

 読後に嫌な感じが残るミステリーを「イヤミス」と呼ぶ。原作の「はぶらし」のラストシーンは、そうとばかりはいえない。ドラマの展開はイヤミスであるが、果たしてどうか。

 松本清張はかつて、森繁久弥との対談において、代表作の「砂の器」の映画(野村芳太郎監督・1974年)が小説を超えた映像であることを高く評価している。

 小説とそれをもとにした映像作品は、まったく別の表現形式を持ちながら、同じテーマを読み者と観る者に伝える。

 

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“創業者”の決断は将来を決める

フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 寄稿。

 「3年間のご愛顧ありがとうございました」。閉店を知らせる画用紙大の小さなポスターの文字は、コーポレートカラーの赤である。マクドナルドの店舗のなかで日本最大だった、原宿表参道店が1月15日に営業を終了した。

 JR原宿駅から青山通りに抜ける表参道に面した、ビルの2、3階部分にその店はあった。東京を代表する街から、「マック」が消えることは業績の低迷の象徴的な出来事といえるだろう。日本マクドナルドホールディングスの株式について、米国の本社が持ち株の一部を売却する意向であることが報じられたのは、昨年末のことである。

 東京都世田谷区にある駒沢大学の入り口と並ぶようにして、スターバックスの駒沢1丁目店が開店したのはクリスマス・イブ。ログハウスのような店は、店内に入っても木材の壁や木造りのテーブルなど、オフィス街の「スタバ」とは趣を異にする。コーヒーだけではなく、ワインとビールが飲める。

 街がしゃれているという感覚は、「スタバ」とユニクロ、そして無印良品の店舗があるかどうかだといわれる。

 スターバックスの創業者である、ハワード・シュルツ氏は「発足時の決断が事業の推進だけではなく、企業の将来にいかに重要な影響を及ぼすか、わからない」(「スターバックス成功物語」)と述べている。

 ニューヨークの大企業の幹部だったシュルツ氏が、たまたま訪れたシアトルの街で「スタバ」の前身である、コーヒー豆の販売と主とするコーヒーショップの味の虜(とりこ)になった。それまでの成功を投げ打って、その会社に入社し、独立してさらには元の会社を買収して基盤を作った。街の人々が憩う店づくりを目指した。

 「ハンバーガーですか?私は食べませんよ。人間は子どもの頃においしいと感じたものを大人になっても食べるものです」。日本マクドナルドの創業者である、藤田田氏にインタビューした際に印象に残った言葉である。「子どもたちに食べてもらえれば、大人になっても食べるようになります。いずれ日本人は米国人のように背丈が大きく、金髪になりますよ」と、お得意のジョークである。

 「ユダヤの商法」は藤田氏が、日本第1号店を銀座三越に開店して大ブームを起こした、1971年に書かれた。著作は、95の原則を掲げたうえで、「女と口を狙え」と説く。アクセサリーとハンドバックの輸入商として「第1のユダヤの商法」を成功させた、藤田氏は、ハンバーガーを「第2のユダヤ商法」の応用と位置付けた。

 「スタバ」の地域に溶け込む店づくりは、シアトルから駒沢に続いている。「マック」は、デフレ経済のなかで低価格路線によって、サラリーパーソン層をとらえた。その後の経営不振は異物混入事件のせいばかりではないだろう。東京の下町の「マック」に入った。小さな袋をプレートに載せられた。開封すると、そこにはスーパーマリオの小さな人形が。藤田氏の決断の大きな要因である、子どもを思い出したようだ。

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TBS「わたしを離さないで」

「人生は短い」のテーマに綾瀬はるかが挑む

 WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿    http://wedge.ismedia.jp/category/tv

手術室の横たわった人が開腹されて、肝臓のような臓器が摘出される。心拍を計測する器機は心肺停止のゼロの横線の連続を表示している。緊急措置を取るかを尋ねる看護師に対して、「4回目だからからもういらない」と医師は冷徹に告げる。

  ストレッチャーに移された手術後の人間は、介護士の保科恭子(綾瀬はるか)に委ねられる。保科は病院内の一室にストレッチャーを押して入り、運んできた人の腕に注射を打って、円筒形の装置に送り込む。焼却処理を思われるボタンを押す。

  TBS金曜ドラマ「わたしを離さないで」は第1回(1月15日)の冒頭から、衝撃的な映像で始まる。感情をまったく表情に現さない、綾瀬はるかの演技は彼女の女優人生のなかでも初めての挑戦ではないか。

 原作は、日本生まれで英国に帰化したカズオ・イシグロである。ノーベル文学賞に近い作家といわれている。ドラマの舞台は、原作の英国から日本に移している。

 タイトルバックに流れる映像が暗示しているように、これは遺伝子操作の物語である。卵子にピペット状の細い管によって精子の遺伝子が入れ込まれていく。

  物語は、20年前の森と高いレンガ塀に囲まれた、施設の「陽光学園」から始まる。ドラマは綾瀬のモノローグで進展していく。綾瀬の演じる恭子と、土井友彦(三浦春馬)と酒井美和(水川あさみ)の3人は、この学園で幼少期から思春期を過ごすことになる。

  閉じ込められた空間のなかで、3人と仲間たちは育てられている。ドラマは、過去と現在が交錯しながら進んでいく。

  脚本の森下佳子は、カズオ・イシグロの静謐(せいひつ)は筆致を壊すことなく、原作がもつテーマをドラマの形で鋭く、観客に提示している。「わたしを離さないで」は、映画や舞台にもなっているが、連続ドラマにしようという、TBSの制作意欲にはみるべきものがある。

  「天皇の料理番」や「下町ロケット」など、評判になるドラマをこのところ手掛けて、視聴率競争において、フジテレビをしのいでキー局の3位となり2位のテレビ朝日の背中もみえてきた。「ドラマのTBS」といわれた1970年代から80年代を彷彿(ほうふつ)とさせる。

  月刊文藝春秋は「2月新春号」において、カズオ・イシグロと綾瀬はるかの対談を掲載している。今回のドラマをきっかとしている。「国民雑誌」の文藝春秋がドラマの主人公と原作者の対談を組むのは珍しいのではないか。

  カズオ・イシグロは、原作のテーマについて、次のように語っている。

   「人生は短い」ということを書きたかった。あらゆる人がいずれ死を迎えます。誰もが避けられない「死」に直面した時に、一体何が重要なのか、というテーマを浮き彫りにしたいと思ったんです。

  恭子(綾瀬)や友彦(三浦)、美和(水川)らが、隔離されて育てられているか、その謎は、第2回(1月22日)に明らかになる。陽光学園の校長である神川恵美子(麻生祐未)が子どもたちを集めた。

 「あなたたちは、『提供』という役割をする天使です。そうした特別な存在な在なのです」と。

  ドラマの冒頭の衝撃的なシーンが何を意味するのか、その一端が明らかになった瞬間であった。

  学園の体育教師として赴任してきた、堀江龍子(伊藤歩)は校長の神川の教育方針に抵抗する。そして、友彦らに「君たちは本当のことを教えられていない」と告げる。サッカー選

手を夢見る友彦に、そうした人生もありうるというのである。

 しかし、それはかなわぬ夢である。臓器提供者としての運命が決まっているからである。

  iPS細胞によって、人間の耳の形の軟骨を背中に生じたマウスの映像が発表されたのは、つい最近のことである。同じ遺伝子を持つ「クローン」は、羊ではすでに作られている。

 遺伝子工学の先には、さまざまな可能性が唱えられている。

  「わたしを離さないで」は、臓器の提供を前提として作られた子どもたちの物語である。

 その使命故に彼らは天寿をまっとうできない。

  カズオ・イシグロは語る。

   臓器提供のために作られた美しく若いクローンが、普通の人なら70~80年かけて経験する人生を、わずか30年という短さで経験す  る話にしようと決めたんです。

 

 ドラマのカメラワークは、女優たちのアップを美しく描き出し、バックの風景もまた美しい。

  第3回(1月29日)以降では、恭子と友彦、美和が思春期を迎えて、ドラマの結末まで続く3人の交錯する恋愛模様が描かれていく。それは短い人生を燃やす愛となる。

  学園の校長の神川と、学園を訪れては子どもたちの絵や彫刻などの作品を買い上げていく、マダムと呼ばれる女性(真飛聖)が秘めている謎とはなんなのか。3人の若者たちの物語に絡み合うようにして、ふたりの女性の正体も明らかになっていくのだろう。

  ドラマの視聴率は、第1回が一ケタである。最近、視聴率とは別に、視聴者の満足度でドラマの優劣を競うアンケートが重要視されてきた。秋のドラマでは菜々緒主演の「サイレーン」などが注目された。「わたしを離さないで」の私の満足度は高い。

 

 

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WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿    http://wedge.ismedia.jp/category/tv

NHK大河ドラマ「真田丸」は先が見えない現代と重なる

「三谷組」の演技も楽しみに

 2016年新春スタートのNHK大河ドラマは、三谷幸喜・作の「真田丸」である。ドラマや人形劇で取り上げられてきた、真田十勇士の物語は少年少女時代の思い出と重なる読者も多いのではないか。

  「真田丸」はそんな先入観をまったく裏切る真田家の物語になりそうだ。NHKは早くも出版の形をとって、前編13話の内容を紹介するムック本を出している。

 三谷の意欲は、真田幸村として知られる、武将の名前を歴史的に正しい「信繁」(堺雅人)として登場させることにも表れている。

  「物語作家としては、敗れていった人たちのほうがドラマチックに書けるということもあります」と、三谷は述べている。

  大河ドラマの脚本は、「新選組!」(2004年)以来である。この作品では近藤勇の生涯に焦点をあわせた。

  信繁と勇についても「この2人に共通しているのは、『敗者』であること。時代を作った人よりも、時代から取り残された人たちの人生に、僕は興味があります。この世の中は、何かを成し遂げられずに人生を全うする人のほうが圧倒都的に多いわけですから、そういう人たちの代表として、彼らを描きたい」と。

  「大阪夏の陣」から33年前から、ドラマ「第1話・船出」は始まる。信繁は「夏の陣」において、徳川家康を自害のあと一歩まで追い込んだ。戦国武将として長くその名が残っている理由である。

 信繁の父・昌幸(草刈正雄)と母・薫(高畑淳子)の次男として生まれた、信繁は兄の信幸(大泉洋)とともに、真田家の生き残りをかけて戦国時代を生き抜こうとしていた。

  真田家はもともと、昌幸の先代の幸綱が武田家に仕えていた。昌幸の代になって真田家を最初に襲った危機は、その武田家の滅亡である。

  武田信玄なきあと、息子の勝頼(平岳大)があとを継いだが、義弟が織田信長(吉田鋼太郎)側についた裏切りによって、窮地に陥る。

  昌幸(草刈正雄)は勝頼に対して、自らが本拠を置く上野(こうずけ)・吾妻(あがつま)軍の山城にいったんは引いて、態勢を整えて反撃にでることを進言する。しかし、勝頼は別の家臣の岩殿城に撤退することを決断する。

  それでも、昌幸は次のように言上する。

  「われらからも御屋形様にはなむけを差し上げます。御屋形様のお手勢百、岩殿へお連れください」

  自らの手勢を割いてまで、勝頼に忠心を尽くした結果、真田家の人々は、本拠地に撤退する道すがら、野盗と化した百姓に襲われることになる。

  「敗者に惹かれるといいましたが、『滅びの美学』は好きではありません。信繁は、死に花をさかせるためではなく、あくまでも勝つつもりで大阪城に入ったと思いたい」と、三谷はいう。

  真田家の前には、幾つもの分かれ道が待ち受けている。「関ケ原」の戦の前には、佐野の犬伏の地で、父親の昌幸(草刈正雄)と兄の信幸(大泉洋)、信繁(堺雅人)が会談して、昌幸と信繁は石田三成方に、信幸は家康方につくことを決める。

  映画などで「三谷組」と呼ばれる、常連の俳優たちが脇を固めているのも、ドラマの展開を三谷らしい自由自在にしていくことだろう。

  昌幸(草刈正雄)と敵対する武将の室賀正武に西村雅彦が、秀吉の正室・寧(ねい)に鈴木京香が配されている。

  信繁の兄として物語のなかで存在感を示す、信幸役の大泉洋は、映画「清須会議」(2013年)で秀吉を演じた。同じ映画で、丹羽長秀を演じた、小日向文世は今回、秀吉である。

  喜劇作家としてみられる三谷であるが、その作品はユーモアの味付けが少々加えられているとはいえ、人間の権力欲や所有欲、愛欲など逃れられない「業(ごう)」に切り込む作家である、と思う。

  「ザ・マジックアワー」(2008年)は、太陽が沈む刹那の残光のなかに照らし出される美しい風景が現れる時間を、人生に重ねている。劇中劇ともいえる古い映画のなかで、主役を演じた柳澤眞一が、いまでは老人となってコマーシャルの登場人物となっている。それでも、また主役を演じる夢を抱いている。

  夢見ることは、美しい。そんなマジックアワーのセットのライティングは、物語のすべてを現しているようである。

  大河ドラマは、制作者の意図を超えて時代の象徴となる。逆に、時代の流れと異なるときには、あまり話題にならない。

  前作「花燃ゆ」の視聴率の低迷は、主役の井上真央のせいではない。司馬遼太郎がいう「坂の上の雲」を目指した明治維新の時代相は、現代と不具合をきたしている。

 「賊軍の昭和史」(2015年、半藤一利・保阪正康)が話題になったように、維新を成し遂げた薩長閥が太平洋戦争をはじめ、総理だった鈴木貫太郎らかつての賊軍の出身者が終戦に持ち込んだという、歴史の見直しがなされている。

  そして、いま時代はその先行きが、ますます不透明となって読めない。メディアは「老人破たん」を声高に報じるが、その対策は示し得ない。

  時代の動向を感じられない劇作家はいない。三谷の「真田丸」は家族が、この時代をいかにして生き抜くか、というテーマが底に流れているようにみえる。

 

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ELNEOS 2月号  「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦

 歴史は政治史として刻まれていく。経済を基盤として政治や社会が規定される、歴史の発展段階を想定するマルクス史観は誤りである。

 東洋史学の巨峰である、東京外国大学名誉教授の岡田英弘氏の視点である。

 政治が経済すなわち企業の行方を少なからず決定づける。時はいま、今夏の参議院議員選挙に向けて「政治の季節」を迎えている。さらに衆議院議員選挙とのダブル選挙の可能性もささやかれている。

 企業広報に携わっている、広報パーソンはこの季節の動向に注視しなければならない。広報という分野のエキスパートとして、その経験から政治を眺めることは職務にとって役立つことだろう。

 政治なかんずく政党の広報活動の略史を綴った「メディアと自民党」(角川新書)は、戦後の政党の広報戦略について振り返るうえで好著である。筆者は東京工業大学マネジメントセンター准教授の西田亮介氏。いわゆるネット選挙についての研究において先駆者である。

 本書の特徴は、政党関係者のみならず、選挙に関わってきた広告代理店やPR会社などの担当部署の人々に対するインタビューにある。

 人文系の研究において、文献ばかりではなく、インタビューなどの「質的研究」の重要性がとみに高まっている。ノンフィクションの領域とかなり近い。

 主題が脇道にそれた。西田氏の著作の要点は、広報戦略において、自民党のみが、企業のマーケティングやPR、PA(パブリックアフェアーズ・公共的な課題に対する広報)の技法を取り入れた、としている。

 これに対して、民主党をはじめとする野党は有機的な組織対応ができていない、と論じている。

 さらに、重要な指摘は、メディアの側が自民党の広報戦略に対する自覚が薄く、伝統的な政治取材の手法から転じていない、という点である。

 政治学の教科書のなかには、政治の主体として「政治部記者」をあげるものがある。経済部記者が企業社会をつくったり、社会部記者が社会をつくったりする、という表現には違和感があるだろう。

 記者出身者として、政治部記者の政局における役割について、政治の主体となる、という説はうなずける。

 伝統的な政治部記者は、与党の幹部や派閥ごとに記者を張りつけている。これを「番記者」という。それぞれが担当している政治家の動静や発言などを現場の指揮をとる、キャップやデスクにあげることによって、最終的に政局の方向性を打ち出す記事が完成する。

 「メディアと自民党」の筆者である西田氏は、こうした現状をメディアと政治の「慣れ親しみ」の段階と位置付ける。

 「ネットの普及は、メディアと政治の関係を変えようとしている」としながらも、「集合知や市民ジャーナリズムなどという言葉で楽観的な文脈で語られてきた『夢』は一向に現実味を帯びてこず、むしろ政治がメディアに対し主導権を握ろうとする禍々(まがまが)しく、また『戦略的』な行為が露呈している」と警鐘を鳴らしている。

          (この項続く)

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