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ELNEOS 「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦

 三菱自動車工業が燃費の算出に不正を繰り返していた問題は、経営が息詰まる事態を迎えて、日産自動車による増資を受けて、実質的にその傘下に入ることになった。三菱グループの名門企業が独立性を失う岐路はどこにあったのか。

 同社が不正を明らかにした四月下旬、家電量販店から私宛に送られてきた書面からまずは説き起こしたい。

 拙稿を執筆しているノートPCの東芝製「dynabook」のバッテリーお一部に発熱して、発火する恐れがある、という内容だった。

 同封の東芝の説明書によれば、交換が必要かどうかの確認にはまず、バッテリーをはずして製造番号と型番をネットの判定サイトに入力する。もうひとつは、PCにアプリケーションを落として自動的に判定する。

 バッテリー、発熱、発火、交換の確認サイト……携帯電話会社の広報を担当していた一〇年前の記憶が蘇る。それは、コールセンターに入電した顧客からの一本の電話が端緒だった。携帯電話を充電中に発熱、発火して本体が黒こげになったというのである。

 社内の技術陣の検討によって、バッテリーの発熱、発火が疑われた。あの年は暑い夏だった。気候が事故を加速するとの見方もあった。

 製造していたのは、北欧のメーカーだった。経営層とともに、日本法人との原因究明の会議がもたれた。

 相手側は、「原因を調査中である」の一点張りであった。

 パワーポイントを使って、相手が説明していた一瞬、英文でバッテリーの発熱、発火の可能性を確認する援用のホームページが映し出された。相手方の表情にしまったという表情が浮かび、そのスライドは瞬間的に消えた。

 暑い夏が深刻な事故につながりかねないことを重大視していた、経営層は「メーカーにまかしておくわけにはいかない。自分たちで公表しよう」とつぶやいた。 「嘘をつくな!」と私は相手方をなじった。

 ここから、トップが堰を切ったように迅速な行動に出る。

 携帯電話のメーカーのトップに電話して、バッテリーが発熱、発火の原因であることを認めさせる。さらに、電池を製造していた日本のメーカーにも電話して、交換を急がせるように説得する。ここに至って、すでに水面下で進められていたバッテリーのリコールは、進展する。

 実にその数は、世界で四千六〇〇万個に上ったのである。

 三菱自工の燃費不正問題は、供給先の日産自動車からその数値に疑問が呈されたことから、発覚した。取締役社長兼CEОの相川哲郎氏が日産からの情報を知ったのは一カ月近く経ってからだった。

 消費者の利害にかかわる重大な瑕疵を正すのはトップの責任である。記者会見において、相川氏は「悪い情報をトップに上げる規律が徹底していなかった」と語った。トップが情報から疎外されていたことが、日産の傘下に入る運命が決まっていたといえるだろう。

 ところで、私のPCである。アプリによって交換の必要がわかり、専用のページで住所などを入力すると、一週間も経たずに新品が届いた。

 

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綾瀬はるかの用心棒バルサの悲劇

藤原竜也の帝と高島礼子の呪術師が綾なす異界の謎

 WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿    http://wedge.ismedia.jp/category/tv

  NHKが放送開始90周年を記念した、大河ファンタジー「精霊の守り人」(毎週土曜日夜9時)の第1シリーズが始まった(3月19日)。

  大河の冠に恥じることなく、ドラマはこれから3年間にわたって展開する。

  第1シリーズは、第4回「決戦のとき」(4月9日・再放送4月16日午前0時10分)に至って、主人公の女用心棒であるバルサ(綾瀬はるか)と、新ヨゴ国の第2皇子であるチャグム(小林颯)をめぐる冒険譚(ぼうけんたん)にひとまず休止符が打たれる。

 原作は、上橋菜穂子氏の同名のベストセラーのシリーズ本である。初巻は1996年で2007年まで書き継がれて、全10巻と作品集や短編集も刊行されている。

 いまなぜ、「精霊の守り人」なのだろうか。シリーズの完結後から10年後に、アニメやラジオドラマ化がなされた。作者の上橋氏は当時、次のように書いている。

 「こういう日が来ていることが、なんだか不思議でなりません。物語のなかで、異なる世界が近づいたり離れたりする、不思議な縁について書きましたが、現実の世界でも、こういう<縁>というものがあるのでしょうね」

 物語が書き続けられたときは、冷戦が崩壊して、それまで知られていなかった東西の現実が、それぞれに属していた人々に怒涛のように迫り来た。それから10年近くの歳月を経て、世界はさらに混迷のなかで、テロを持ちだすまでのなく、いまいる所があっという間にまったく違う状態になってしまう。

 「生きろ!生きるんだ!生きることは死ぬことよりもつらいんだ!」

主人公の女用心棒のバルサは、危機に遭遇するたびに、皇子チャグムにそう叫ぶ。

 その言葉に、ファンタジーが現実世界を撃つ力がある。混迷の時代に、3年間のシリーズは、その瞬間、瞬間と重なり合う展開になるのではないか。

 第1シリーズの舞台となっている、新ヨゴ国はかつて海のかなたからやってきた王族によって創られた。建国神話では、初代の帝が水の魔物を退治したことが英雄譚として記されている。

 夏至の祭りの夜、第2皇子のチャグムの口から、集まった多数の人民を包み込むような水の気泡が流れだす。帝(藤原竜也)は皇子に水の魔物がとりついたと考えて、天文の運行を観察して、国政の助言にあたる星読博士の最高位である、聖導師(平幹二郎)に皇子の殺害を命じる。水の魔物を退治したという建国神話を根底から覆すからである。

 舞台俳優でもある藤原と、平のやり取りはギリシャ悲劇の舞台のようである。国の威信を守らなければならない帝が、我が子を殺害しなければならない苦悩。星読み博士としてのありたっけの知識を使って、帝に服従しながらも国と皇子を救う手立てを考えぬく、聖導師の心の葛藤。ふたりの演技が火花を散らす。

 チャグムを乗せた御車を引く牛を射て、谷に落とそうとしたとき、たまたま川辺にいたバルサが、水に飛び込んで皇子を助ける。

 チャグムの母親である、二ノ妃(木村文乃)は、帝の殺意を感じ取って、バルサにチャグムを預けて王宮から逃がすのだった。

 新ヨゴ国が建国される以前の先住民のヤクーの間では、この土地には同時にふたつの世界が存在していた。目に見える「サグ」と、目に見えない「ナユグ」である。

 さらに、地上に住む人間のほかに、水と土のなかに住む者がいる。

 呪術師の老婆トロガイ(高島礼子)は水に住む者との交信することによって、皇子チャグムに宿ったものの正体を見極める。白髪とメイキャップ、セリフ回しによって、高島礼子とは思えない、怪演である。

 チャグムはときに胸のあたりが青白く光る。それは、100年ごとに子ども産みつけられる精霊の卵であった。この精霊の卵は子どものなかで成長して、生まれることができれば、日照りの旱魃を一変させる雨を降らす。建国神話とはまったく異なる。

 さらに、目に見えない「ナユグ」の世界に住む魔物が、その卵を食べようと狙っている。卵を宿した子どもは八つ裂きにされる。

 チャグムとバルサは、帝が放った刺客と、この魔物の両者から追われることになったのである。

 「精霊の守り人」が、ファンタジーの主要な読者である、少年少女から幅広い年齢層に広げてきたのには、ファンタジーを超えて、現実に突き刺さる表現やセリフに満ちているところにある。ドラマもまたそれらを生かしながら、展開していく。

 「不幸がいくら、幸福がいくらあった。あのとき、どえらい借金をおれにしちゃった。……そんなふうに考えるのはやめようぜ。金勘定をするように、過ぎた日々を勘定したらむなしいだけだ。おれは、おまえとこうして暮らしているのが、きらいじゃない。それだけなんだ、ってね」

 バルサは、チャグムにそういうのだった。

 チャグムとバルサの逃避行には、バルサの幼馴染で薬草師のタンダ(東出昌大)、そして呪術師のトロガイがつかず離れずに助ける。

 チャグムは、自らに宿した精霊の卵を孵して、旱魃を防ぐことができるだろうか。逃避行のなかで、成長を遂げていくチャグム役の小林颯の演技がいじらしい。

 

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台湾の九份(きゅうふん)と熱海の戦略

 WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿    http://wedge.ismedia.jp/category/tv

 台湾の「2・28事件」は終戦後に日本に代わって統治権を握った国民党が、1947年に台湾人を弾圧して多数の死者をだした。残留していた日本人も事件に巻き込まれた。その遺族のひとりが事件の補償をする財団に対して、賠償を求めた台北高等行政法院の裁判で、日本人としては初めて請求が認められた。今年2月中旬のことである。

 この事件は、国民党が1980年代後半まで戒厳令を敷いていたこともあって、台湾国内では半ばタブーとされ、国際的にもあまり知られていなかった。

 戒厳令が解除された直後に侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督が「悲情城市(ひじょうじょうし)」(1989年)の映画によって、事件に翻弄される台湾人一族の運命を描いた。ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を獲得した。ロケ地の舞台はかつて金鉱によって繁栄していたが、寂れてしまった九份(きゅうふん)である。急峻な坂道の両側に日本時代からの古い歓楽街が並んでいる。

 昭和天皇陛下の終戦の詔勅がラジオから流れるなかで、海運業を営む一族に子どもが生まれる。祖父から3代の大家族が記念写真を撮る。国民党に逮捕された台湾人の知識人たちは日本の歌謡曲を歌った後、刑場に引きずり出されていく。

 知られざる台湾史に衝撃を受けた、私が九份を訪れたのは10年余りたった後である。映画のロケに使われた建物が保存され、坂道には観光客があふれていた。ひなびた建物や路地に魅力があることを地元の人々が改めて知って、観光客を呼び込む努力が続いているのである。家族や友人たちが台湾旅行にいくことを知ると、舞台となった映画と九份の観光を勧める。

 ロケ地になることによって、観光客を呼び込もうという試みは多くの自治体でなされている。世界的な名画の舞台の九份や、かつては「二十四の瞳」、最近では「八日目の蝉」の小豆島を目指すのはちょっとハードルが高い。

 「ADさん、いらっしゃい!1年365日、24時間対応!」。熱海市役所の観光経済課が、テレビ番組の現場の制作を取り仕切る、アシスタント・ディレクター(AD)に呼びかけてから3年近くが経つ。熱海の見どころを紹介する番組づくりに協力するサービスは無料である。ホームページに担当者の携帯電話番号、メールアドレス、フェイスブックのアカウントが公開されている。ロケバスの移動ルートの情報の提供や、出演者のメイク、着替え場所の助言など多岐にわたっている。

 熱海の宿泊者数は昨年、13年ぶりに300万人を超えた。テレビの紀行物やグルメ・温泉物によって、新しい観光客をひきつけている。私も先日そんな紀行番組に誘われて、熱海を訪れた。岸辺から間近にみえる初島に渡った。周囲4㌔の小島からは、海に浮かぶようにして、富士山が遠くに見えた。食堂で海鮮丼を食べ、干物をたくさん買った。

 「まち・ひと・しごと創生本部」によると、平成28年度予算における地方創生の関連予算は、約1兆5500億円に及ぶという。映像がもたらす地域の吸引力の向上には、巨額の予算はいらない。

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黒柳徹子役の満島ひかりが、豊かな感性を表現

テレビのいまに元気はあるか

WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿    http://wedge.ismedia.jp/category/tv

 日本のテレビ放送が始まったのは昭和28(1953年)2月、それから63年余りの時が経つ。テレビの草創期からいまも「徹子の部屋」などで現役を続ける、黒柳徹子を主人公とした、NHK「トットテレビ」(第1回4月30日)が始まった。

 NHK東京放送劇団の5期生で、同時にテレビの放送開始に向けて俳優の養成の第1期生にあたる、黒柳役は満島ひかりである。トットは黒柳の幼少からの愛称である。自分の名前である徹子をうまく発音できずに「トット」といったことからきている。

 テレビの草創期から、発展をとげるテレビをめぐる群像劇は、黒柳の著作である「トットチャンネル」と「トットひとり」を原作として、毎回30分枠のテンポのよい展開のドラマに仕上がっている。

 草創期のテレビのなんと元気があったことか。「電気紙芝居」と悪口をいわれた、新しいメディアを切り開いた人々の多彩な顔ぶれに驚かされる。第1回は黒柳が放送劇団に入って、悪戦苦闘する様子と、これから繰り広げられるドラマの主要な人物が紹介される。俳優の渥美清(中村獅童)や森繁久彌(吉田鋼太郎)、劇作家の飯沢匡(大森南朋)、脚本家の向田邦子(ミムラ)……。

 トット(満島ひかり)の父の守綱(吉田栄作)はNHK交響楽団のコンサートマスターを務めたバイオリニスト、母の朝(安田成美)は声楽でのちにエッセイストになる。戦時中の尋常小学校を1年で退学処分になったトットは、トモエ学園(東京・自由が丘)で、個性を尊重される教育に救われる。戦後、音楽学校に入学してオペラ歌手を目指すが夢は果たせない。

 彼女が目指すようになるのは、「母親になって、子どもに絵本を読めるようになりたい」ことであった。それにはどうすればよいのか。

 「テレビジョン」の放送に向けて、NHK東京放送劇団が新たに俳優の養成にあたることを決めて、その候補の若干名を募集していることを、トットは新聞記事で知る。

 第1次試験の会場になった、当時は東京・内幸町にあったNHKに行くと応募者が6000人以上であることを知る。トットはこの中から女性9人、男性8人の計17人のひとりに選ばれたのである。

 養成期間に入って、トットは個性が出てうまくいかない。ラジオドラマの背景となる「ワイガヤ」つまり通行人の声を複数の養成の同僚とやるシーン。戦地から戻った兵隊が路傍で倒れる。トットは大きな声で「大丈夫ですか。死んでないですか」と。

「ワイガヤ」は目立ってはいけない。しかし、トットは考える。人が倒れたら大声で心配するのではないかと。

 テレビの音楽番組で、歌手の笠置シズ子がヒット曲「買い物ブギ」を歌っている後ろを通行人として通るシーン。トットは笠置をじろじろと眺めながら通る。ディレクターにその演技を注意されると、「だって、道で歌っているひとがいたら、どうしてかとみるんじゃないですか」。ディレクターに「今日は帰ろうね」と、スタジオの外に押し出される。

 廊下で待っていたのは、養成の先生である大岡龍男(武田鉄矢)である。彼はトットにいう。

「トットさま。どうしてあなたが受かったかわかりますか。筆記試験の成績は悪かったし。それはね、テレビジョンという全く新しい分野で、演技もなにも知らない無色透明なまっさらなひとが一人ぐらいいてもいいかと思ったのです」

 トットにチャンスがめぐってくる。ラジオドラマである。インドの王様から中国の皇帝に献上された三匹の高貴な子ザルの物語。作者の飯沢匡(大森南朋)は、それまで子役にやらせていた声を初めて、大人の女性にやらせようと考えた。東京放送劇団の団員だけではなく、外の劇団の団員も参加する、おそらく日本で初めてのオーディションをおこなった。

 三匹のサルの末弟である、トン坊役をトットは割り振られた。兄役のヤン坊とニン坊を繰り返し交代させながら、トットはトン坊のセリフを繰り返させられる。「ほかの役もやりたい!」というトット。オーディションが終了して、「またダメか」とつぶやく。

 しかし、トットに歩み寄った飯沢は、トン坊は彼女にやってもらうというのだった。トットは飯沢に歩み寄る。「私は日本語が変だし、話し方も変だといわれます。日本語も話し方も直しますから」という彼女に、飯沢はいう。

 「直すことはありません。あなたのそのままがいいんです」

 トットの目に涙がにじむ。

ラストは、賑やかに「買い物ブギ」と登場人物たちの乱舞である。

 第1回の重要な役である、養成の先生の大岡龍男は、俳人であり写生文の名文家としても知られ、私小説作家でもあった。脚本家の飯沢匡は、朝日新聞出身で、講和条約締結によって、日本が占領から独立した後を待って、原爆の被災地の悲惨な状況を写真誌「アサヒグラフ」に特集した編集長としても知られる。

 原作の黒柳の著作は、テレビばかりか芸能史を築き、亡くなった人々に対するレクイエム(鎮魂歌)でもある。ドラマはそれらの人々を生き生きとよみがえらせる。

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「幸福の経済学」が照らし出す不幸

フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 寄稿。

分厚い週刊誌大の封筒が自宅に届いた。独立する前に働いていた、ベンチャー企業を含むITやソフトウェアの企業が加盟している「厚生年金基金」が解散する。厚生年金基金は企業年金を退職者に支給する。運用の資金は国の厚生年金を代行して運用する部分と、企業が拠出する部分からなっている。国の厚生年金の代行部分を返上した後に残った財産をどのようにするか、という加入者に対する確認書類である。

 私が加入していた厚生年基金の予定利回りは5.5%だった。超低金利時代に利回りを確保するのが困難になり、政府は平成26年4月の厚生年金法の改正に基づいて、基金の解散がしやすくした。選択肢は一時金としてもらうか、第1年金と名付ける残った財産を原資とする企業年金に移行するかである。いずれも、従来の年金よりも支給額は低い。

 厚生年金基金の数は、同年度末には444と10年前から243も減っている。企業年金連合会によると、企業年金の支給額(代行型)の平均は平成26年度末で約57万円。基金の解散はシニアにとって痛手である。

 経済学者の野口悠紀雄氏は、「金融政策の死」のなかで、「年金制度は長期にわたって存続する制度なので、金利と深い関係を持っている。年金額は金利の変化によって大きな影響を受けるし、金利について誤解が、制度に大きなひずみを与える」と、指摘する。「積み立て不足の原因は運用の失敗と言われることが多い。確かにそれも無視できないが、基本は、高すぎる利回り想定に基づく高すぎる給付水準である」。

 国民年金と厚生年金もまた「設計ミス」と、野口氏は断じる。昭和40年の予定利率は5.5%で、給与に対する厚生年金の平準保険料は6.9%、国民年金の平準保険料は403円だった。「このような低い保険料では制度を維持できないことがわかってきた。そこで厚生省は、制度改定ごとに保険料を引き上げ、給付額を切り下げてきた」。野口氏のいう「過去の誤りの訂正過程」は続き、シニアの生活設計を狂わせる。

 「幸福の経済学」の先駆者である、キャロル・グラハム氏らの研究によると、先進国ではおおむね、年代別の幸福度が40代半ばまでは低下して、その後は60歳以上にかけて幸福度が再びましていく「U字型」の傾向をたどる。ところが、日本では加齢とともに幸福度の下降に歯止めがかからない。日本の研究者たちはその原因の究明に窮しているようにみえる。一国の1人当たりのGDPが一定以上になると、その国の平均的な幸福の水準は伸びなくなる。これを「幸福のパラドックス」を経験した日本が、新たな課題に直面している。

 グラハム氏の著作「人々を豊かにするものは何か」を援用するならば、「人々は不確実性に適応するのが難しい」。超低金利時代はまさしくそれだ。不確実性は年金にとどまらず、生命保険の保険料の引き上げや預貯金の金利の引き下げなどにも及んできた。「幸福の経済学」は、英国などでは厚生政策を立案する基盤となっている。

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