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政治経済情報誌・ELNEOS 4月号寄稿 ほまれもなくvそしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

「特に集団思考の強いグループに特徴的にみられるのは、結果へのコミットをせず……実行を担保するにあたっては……手続きと年次ヒエラルキーを重視し、無謬性に固執するがゆえに改善を否定し、そして形式主義に基づく組織の操作でその場を乗り切ることを是として信じて疑わないマインドセットである」(「なぜ『異論』の出ない組織は間違うのか」・宇田左近著)

 宇田氏はマッキンゼーのコンサルタント出身で、郵政民営化にかかわり日本郵政と郵便事業株式会社の専務執行役員を務めた。福島第一原子力発電所の事故後に、日本の憲政史上初めて国会に設置された、事故調査委員会において、報告書をまとめる調査統括になった。

 この著作の解説のなかで、調査委員会の委員長である黒川清氏は、次のように指摘する。

「『集団思考型(Groupthink)マインドセット』というのは実に根深い問題だ。『集団思考の愚』というのは世界共通の課題ではあるが、特に日本社会では根深い問題である」

 本稿執筆時点で、東芝の不正経理問題の成り行きや予断を許さない。パソコン部門で始まった問題は、原子力部門の子会社である、米ウエスチングハウスが、日本の民事再生法に相当する「チャプター・イレブン」の適応を申請する方向が明らかになった。

 大阪府内の国有地をめぐる、「森友学園」の問題もまた、補助金申請に際して虚偽の工事費を提出するなど、土地取引の実態解明は進んでいない。国有地を管轄する財務省理財局と、出先機関である大阪財務局が、森友学園に対してどのような対応をとってきたのか、その責任も不明である。

 東日本大震災から六年を経て、あの時に原発事故のみならず、政府の混乱のなかで、黒川氏と宇田氏が指摘した「集団思考型マインドセット」の罠に、日本の組織は依然として陥ったままである。

 調査委員会の参考人質疑などを終えるたびに記者会見を開いた、委員長の黒川氏は、記者たちが公開されているのを見聞きしながら「委員長の言質を取りたがる雰囲気は最後まで変わらなかった」「規制の虜❘❘グループシンクが日本を滅ぼす」)と、日本のメディアを批判する。

さらに、「基本的に、日本のジャーナリストは、ジャーナリストとしての基本的な姿勢を教育、訓練されていないし、認識していないか、あるいは認識していても発揮できないと思っている。問題を『自分のこと』として真剣に考え、どう行動するかが問われているのだ」と述べる。

広報パーソンは、そうしたジャーナリストたちを御しやすいと考えてはならない。経営層や広報部門が意図する方向で報道されることが、広報戦略である、という誤った認識が主流になることを恐れる。

「集団思考の愚」に陥ってはならない組織の要が、広報部門である。企業の危機を先送りできても、いずれ組織は死に至る病に侵される。宇田氏は言う。

「『その時自分だったらどうするか』を一人称で考えてみる必要がある。国民として、組織のトップとして、あるいいは組織の一員として」と。

 

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フジサンケイビジネスアイ 寄稿

リーディング・イノベーション宣言の落とし穴

  JR川崎駅に隣接した、再開発ビルのなかに「東芝未来科学館」はある。東芝の歴史を振り返りながら電気や半導体、エネルギーなどの分野について学べる展示が並んでいる。4月の連休とあって、親子連れの入場者であふれんばかりだった。

 未来科学館の前身は1961年にさかのぼる。現在の場所に移転、リニューアルしたのは2014年4月のことである。東日本大震災による東京電力福島第1発電所の事故のためか、東芝の原子力発電の取り組みは、ささやかなパネルで紹介されている。

 そしていま、債務超過に転落する危機を回避するために、分社化して株式を売却する半導体部門の大きな柱である「フラッシュ・メモリー」についてもまた、会場の片隅に追いやられているかのようである。

 このメモリーは、東芝の研究者だった舛岡富士雄さんが1980年代に発明した。いまでは、携帯電話やデジタル機器の記憶媒体としてなくてはならない。舛岡さんから四半世紀前にメモリーの仕組みについて取材した思い出が懐かしい。このメモリーが、インテルが独占的な地位を確立しているCPUとクロスライセンス、つまり技術の導入にあたって金銭で支払う代わりに技術を交換する、と東芝の当時の幹部から秘かに聞いたときの驚きは忘れない。

 未来科学館のアトラクションのなかで、小学生の生徒たちをひきつけていたのは、復元した江戸時代のからくり人形である。茶碗を盆に捧げ持って子どもたちに近づき、それを受け取ると一回りして戻っていく。創業者のひとりである、田中久重は「からくり儀右衛門」と呼ばれたように、子ども時代からさまざまなからくりに没頭した。

 からくり人形に驚く子ども姿をスマートフォンで撮影する、親の意識下に東芝のかつてのCMソングが流れているように思う。私もそうだった。東芝はかつてテレビの「日曜劇場」の単独提供スポンサーだった。「光る 光る 東芝」で始まり、最後は「明日を創る技術の東芝がお送りする」とナレーションが入る。「技術の東芝」はいまも、人々を科学館に足を運ばせるのではないか。

 東芝が新しいコーポレートブランドとして「Lading Innovation」を掲げて、「TOSHIBA」のロゴタイプと組み合わせたのは2006年のことである。この年は奇しくも、東芝が2016年4~12月期の決算発表の延期に追い込まれた要因となっている、米国の原子力発電子会社のウエスチングハウスを買収し、原子力事業を経営の柱にしようと図ったときである。

 「技術の東芝」の象徴的な存在である舛岡さんはその後、研究現場からはずされる形になったことから退社して、母校の東北大学の教授となり、名誉教授となったいまも研究を続けている。教授時代にメモリーの特許の発明の対価を求める民事訴訟を提起、和解となったときに、東芝から支払われたのは8700万円だった。

 東芝は皮肉にもいま、イノベーションの成果ではなく、かつての技術によって経営危機をしのごうとしている。

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政治経済情報誌・ELNEOS 3月号寄稿 ほまれもなくvそしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防

「次に来る時代」を読む②

 企業や組織の広報部門は、経営情報を収集する先端に位置する。

 新聞や雑誌などのニュースのクリッピングまず、広報部門の大きな役割である。それは役員や幹部社員らの経営層の元に届けられる。

 諜報機関の「インテリジェンス」の情報源は、八割が公開されているものであり、残りが人的な接触による「ヒューミリエント」である、といわれる。

 経営層が多岐にわたるメディアを総覧することは困難である。定期購読の新聞や雑誌には限りがある。広報部門が経営層に代わって、情報を収集することになる。

 情報を選択する視点はどこに置くべきなのだろうか。この項目では、次の時代に来るものを読む機軸を設定することが大事ではないかと説いてきた。

 最新刊の『<インターネット>の次に来るもの』(ケヴィン・ケリー著、服部桂訳・NHK出版刊)が、それに役立つ必読の書ではないか。

「近未来の私の一日は、いつもこんな感じで始まる❘❘台所にトースターより小さな錠剤製造マシンがある。……パーソナライズされた錠剤を一つ(あるいは二つ)作ってくれるのでそれを飲む。日中は私のウェアラブル・センサーでトラックキングされることで薬の効果が一時間ごとに計測され、クラウドに送られて分析される」

「私の個人のアバターがオンラインにいて、どの小売店にもアクセスする。それは私の体のすべての個所の完全な計測データを持っている。……私のプロフィールは、まるでアバターのようにユバーサル・ユーで管理されている。……朝起きると、私の最新のストリーミングの中から私が朝に最も知りたいニュースをフィルタリングして届けてくれる」

「IоT(Internet of Things)」つまりインターネットがあらゆるモノの端末につながる未来を描きながら、さらに我々の生活がどのような方向にあるのかを論じている。ビジネス書としてベストセラーになっているのもうなずける。

 新しい時代の端緒は、著者のケヴィン・ケリーが指摘しているように、一九八〇年代のデジタル情報革命である。

日本の企業のなかでも、富士フィルムのように、デジタル化が進んだ先にそれまでのフィルム需要が激減することを読んで多角化に成功した企業もある。デジタル化のスピードが想定よりも急速だったことは、首脳によって繰り返し語られている。

デジタル化が気泡に終わった歴史が語られることがある。アップルのiPhoneと同様の商品を三洋電機が試作していたり、ソニーは実際に音楽の配信事業を始めたりしたが、それはiTunesのようなオープンなプラットフォームではなかったために失敗に帰した。

メディアが伝える公開情報から、企業の次の戦略に役立つ情報を選択する、広報部門の責任は重大である。業界や自社に関する情報のみに限定してはならないだろう。また、メディアが大きく取り上げている話題が必ずしも将来の経営に役立つわけでもない。繰り返しになるが、情報を選択する機軸が必要なのである。

(この項了)

 

 

 

 

 

 

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エルネオス 田部康喜 「広報マンの攻防」 寄稿

 広報パーソンは組織における神経細胞の結節のシナップスである。消費者をはじめとする対外的な情報発信をいかにするか、シナップスを通過する情報を精査する。

 もうひとつの機能は、社会にとって重要な情報にもかかわらず、組織のなかで過小評価されているか、華々しくはみえない活動を掘り起こすことである。

 こうした広報パーソンの役割は、このシリーズで幾度も述べてきたように、ジャーナリストのそれと変わらない。組織の真実を消費者に伝えるという意味において、ジャーナリストと広報パーソンは裏表の関係にある。どちらが表裏かは問題ではない。

 余談になるが、広報室長として働いていた時、このなかの三人と組んで記者クラブにメディアの一員として加わったなら、他社との競争にかなり勝てると確信したものである。

 さて、組織内の「新しい情報」を掘り起こすためには、世界つまり社会が向かっている方向性を定めるが常道である。ジャーナリストの指針でもある。

 日本経済新聞の元旦の社説は次のようにいう。

「『フラット化する世界』でグローバル化のありようを描いたトーマス・フリードマン氏。近著『Thank you for being late』で、デジタル化の衝撃を『スーパーノバ』(超新星)と名付けた。『iPhone』や『Android』が生まれた〇七年がグーテンベルク以来の技術的な転換点の年だったと指摘している。この間、デジタル技術を使うコストは驚異的に下がった。人間一人分のヒトゲノムの解析費用は、〇一年一億ドルだったのが、一五年には一〇〇〇ドルに下がった」

 日経の社説子は〇七年当時、「超新星」の強烈な明るさを認識できなかったようにみえる。「iPhоne」の専売権を握った孫正義氏はいうまでもなく、「超新星」を見ていた。

 新聞記者時代の私の指針は一九八〇年に日本語版が刊行された「第三の波』(アルビン・トフラー)だった。農業革命と産業続くデジタル情報革命は、すべての産業を変えていくという予言である。デジタル情報革命を声高に唱えていた、日本の経営者は当時、孫氏ぐらいだった。

「Windоws3・0」の日本語版が発売された一九九〇年、デジタル情報革命の視点からみると、日本の電機メーカーが製造していた、「日の丸ОS」をベースとしていたPCがマイクロソフトに席巻される瞬間だった。

 経済面をはじめ多くの面で記事を展開した。ライバルの経済面のトップが「北朝鮮からのマツタケの輸入増える」であったことを覚えている。

 広報パーソンがこれからの指針とすべき著作は『<インターネット>の次に来るもの』(ケヴィン・ケリー著・服部桂訳)だろう。

 次の時代の準備がすでに過去十数年の間に行われていたことがわかる。グーグルは単なる検索サービスではない。創業者たちは、設立当初から人口知能(AI)に検索する人々と検索結果の「知」を学ばせるシステムを構築していたのである。

        (この項続く)

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フジサンケイビジネスアイ 寄稿

 東京・銀座の歌舞伎座の近くに、「スワン・ベーカリー」銀座店はある。パイ地を生かしたレモンのパンを買って食べた。以前住んでいた地域にあった、チェーン店の懐かしい味である。

 宅急便を創業した、ヤマト運輸の故・小倉昌男氏が私財を投じたヤマト福祉財団が、障害者に働く場を作ろうと、銀座に第1号店を開店したのは1998年6月。いまでは、ベーカリーばかりではなく、カフェの業態も加わって全国で29店にもなる。小倉氏は障害者に月額10万円の支給する目標を成し遂げた。各地の作業所が月額1万円だった常識を打ち破った。

 小倉氏が社長時代に、景況に関するインタビューで数回会ったことがある。宅急便の創業に当たって、運輸業の免許などを巡って中央官庁に訴訟を起こすなど、戦う経営者のイメージとは異なって、学者然とした丁寧な物腰に驚いたものだった。

 ノンフィクション作家の森健氏は、最新刊の「小倉昌男 祈りと経営」(小学館ノンフィクション大賞)によって、小倉氏の内面を描いて、表面的な経営者としてではなく、人間としての相貌を描いた。小倉氏は妻と同じカトリックに改宗して、深い信仰の世界に入った。会長を退任後、障害者の支援に没頭する。こうした背景に、小倉氏が家庭的な悩みを抱えていたことを、森氏は明らかにする。妻は自死したと考えられ、娘は長らく精神疾患に苦しんでいた。

 ガンを患い、最期を悟った小倉氏は、精神疾患が完治した娘の家族と暮らすために、ロスアンゼルスに向かう。

 銀座の街は、創業者の思いが残された場所である。ホンダの創業者である本田宗一郎氏は、社長を退任後、この地の古いビルに事務所を構えた。私財を投じて、若手の工学研究者に奨学金を支給する「財団法人作行会」や、科学技術の振興の「ブレーン・サイエンス財団」などの活動を続けた。

 ランドマークである、ソニービルはいうまでもない。開業から半世紀を経て、来年春には解体作業が始まり22年に新ビルが完成する。これに合わせて、当初からのショールームは来月、近くの新築のビルに移転する。創業者の井深大氏が、幼児教育に精魂を込めた理由は娘の知的障害であったことは知られている。

 小倉氏がそうであったように、本田氏も井深氏も最期は静かなものであった。

 創業者たちの去就をめぐって、さまざまな出来事があった。ソフトバンクグループの孫正義代表は、いったんはトップの座を譲ろうと考えたが翻意した。日本のコンビニエンスストアの創業者である、鈴木敏文氏はトップの座を追われた。大塚家具やロッテの「お家騒動」は記憶に新しい。

 「死の直前に走馬灯のようにめぐる自分の人生に、満足できるように生きていこう」と、孫氏が幹部たちに語っていたこと思い出す。創業者とは、人生の終着点まで生き抜く気概を持った人々である。

 

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