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フジサンケイビジネスアイ 寄稿

「郊外」という夢から覚めて

東京・新宿から京王線準特急に乗って約30分で京王永山駅に着く。梅雨の間の強い日差しの下、緑にあふれた街路を走る巡回バスの中の乗客はほとんどが高齢者である。

 稲城市と多摩市、八王子市、町田市にまたがる日本最大級の「多摩ニュータウン」はもうすぐ半世紀の歴史を刻もうとしている。バスの停留所がある諏訪地区は、1971年の第1次入居が始まった4階や5階建てのアパートが立ちならぶ。

 多摩丘陵を開発した緩やかな陽の当たる坂道は、いまや高齢者が歩いて上るにはちょっと息が切れる。ニュータウンの人口は、2016年10月現在で約22万4000人。高齢化率は22.2%である。

 建築家の隈研吾さんは「20世紀に登場した『郊外』という形式こそ、ヴァーチャルな都市の先駆者である。様々な歴史、時間が染み付いているはずの『土地』の上に、その場所とは無関係な『夢』を強引に構築する方法で作られた街が『郊外』と呼ばれた」と述べる。「現実のすすけた姿がのぞいて見えてしまった途端に、人々は夢から覚めてしまう」と。

 ニュータウンの地域ばかりではなく、都区部の西側に広がる多摩地区の産官学の連携を目指す「学術・文化・産業ネットワーク多摩」の専務理事である、中央大学教授の細野助博さんを訪ねた。組織の立ち上げから専務理事としてかかわり今年度で17年目を迎える。「これからの活動はバージョン2.0になります」と語る。

 細野さんのバージョン1.0時代を総括する視点はこうだ。バブル崩壊まで大学も住民も大移動してきて、「郊外時代」は多摩地区にとって僥倖(ぎょうこう)だった。バブル崩壊によって首都圏は夢の時代を早々に卒業した。しかし、多摩地区は自治体の危機感が薄く、「平成の大合併」も見送った。

 隈研吾さんの言葉を借りるならば、多摩地区はいま「郊外の夢」からようやく覚めたのである。大学と住民の「都心回帰」によって、将来的な人口減少と少子高齢化の現実に向かい合わなければならなくなった。

 「ネットワーク多摩」が描くバージョン2.0は、大学間の連携と地域の人材育成、国際交流を成し遂げようというものである。多摩地区には戦前から航空機、電機メーカーが集積した歴史から、中小企業のなかにもアジアを中心に拠点を置いているところが少なくない。大学生が都心回帰するなかで、留学生の数は増えている。インターンシップを通じて人材育成ができるのではないか、と細野さんは強調する。

 多摩地区の企業が出資する「多摩未来奨学金」制度や「まちづくり・ものづくりコンペティッション」など、新たな産官学の在り方を模索している。

 多摩ニュータウンの入居者の第1号の人々が夢を見た、諏訪2丁目の団地が再開発されて、戸数を増した高層マンションとして生まれ変わったのは2013年秋のことである。旧住民に加えて若い層が新入居した。地域は新しい夢を紡ぎつつある。

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政治経済情報誌・ELNEOS 9月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 安倍晋三内閣に対する、森友学園と加計学園にからんだ疑惑はいまだにはれてはいない。経営危機に陥っている東芝はようやく二〇一七年三月期の決算発表までこぎつけたが、半導体部門の売却の先行きが見通せないために、上場廃止の危機は去っていない。

「権力は腐敗する」や「資本は暴走する」といった言葉でこうした事態を説明するだけでは十分ではない。

 組織の広報部門は、メディアから得られる世論あるいは「世間の常識」をトップに伝えて、危機管理に当たるのはいうまでのない。しかし、最近の政官財の危機に際して広報パーソンの存在感はまったくない。

 菅義偉官房長官に対する、東京新聞の女性記者の舌鋒鋭い質問が話題になっている。メディア側の論理でいえば、政治部が属する官邸記者クラブが、政局や政策などを取材するのに対して、社会部の内閣記者会は、疑惑を追及する、という役割分担である。

しかし、政府の広報担当のトップとして平日の午前と午後の記者会見をこなす菅官房長官に対する、世論の不信が社会部の背を押している。

 このシリーズでは、日本の組織がなぜ繰り返し失敗するかについて、探ってきた。作家の橘玲氏は最新刊の『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド刊)によって、その問題について新たな視点を示している。

「伽藍(がらん)型」と「バザール型」の組織というふたつの組織の形態について、橘氏は分析している。寺院の建物の伽藍のなかに、人を閉じ込めたような組織と、バザールのように出入りが自由な空間とルールを持つ組織の対比である。

 日本の官庁や大企業は「伽藍型」である。その組織原理は、「年功序列」による終身雇用と、新卒一括採用による「年次主義」である。

 同期の間の激しい競争を招き、その結果としてミスのないのがよしとされる組織風土が形成される。年功序列で終身雇用であるから、組織を途中で逃げ出せなくなる。

 組織に入ったときは「ミドルリスク・ミドルリターン」にみえるが、組織が衰える危険性が高まっているいま、「ハイリスク・ローリターン」になる。

「伽藍型」の典型は官僚であり、大企業である。メディアもそのなかに含まれる。中途入社者も増えてはいるが、彼らにも年齢や学歴、経験などを加味して見なしの年次が与えられる。組織名に編集局など軍隊の組織名の「局」を冠するのも、伽藍型の特徴である。

 旧日本軍では陸軍大学や海軍大学の卒業成績が一生ついてまわる。現代の国家公務員上級試験の成績順も同様である。

加計学園の獣医学部新設をめぐって、官邸の関与を指摘している、前文部科学省事務次官の前川喜平氏が、上級職試験の四番であったことが伝わっている。上位は旧大蔵省、通産省である場合が多いが、四番であれば将来の事務次官はほとんど約束されていた。

「バザール型」はいまやグローバル・スタンダードである、と橘氏は強調する。

 無責任体制を生む「伽藍型」組織のなかで、広報パーソンはいかにあるべきか。社会にとって自らが何をもって貢献するのか、を常に考えていくしかない。その先には、「バザール型」組織への転身も考えられるかもしれない。       

 

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政治経済情報誌・ELNEOS 8月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 インターネットの普及によってより自由な空間が創造できるという「ユビキタス」社会の理想は崩れた。米中央情報局(CIA)の元職員であるエドワード・スノーデン氏が暴露した文書は、米安全保障局(NSA)が、個人の通話とメールの受送信先の記録、SNSの履歴など、あらゆるメタデータを収集している事実を明らかにした。

「スノーデン文書」に基づいた調査報道の分野で、英ガーディアン紙とともにその分析と取材に当たった、ジャーナリストのグレン・グリーンウッド氏の著作『暴露』(・二〇一四年・新潮社刊)によれば、NSAの情報は「ファイブ・アイズ」と呼ばれる五カ国によって共有されている。すなわち、米国と英国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアである。

 さらに、「一般的にアメリカの友好国とみなされる民主国家―フランス、ブラジル、インド、ドイツなど―さえ諜報対象国に含まれていた」という。日本もこれらの国のなかに入っている。政府のみならず、企業、個人の情報も対象であることはいうまでもない。

「スノーデン文書」によって、独のメルケル首相の携帯電話も盗聴されていたことが発覚すると、独政府は間髪を置かずに米政府に抗議した。

 さて、日本はどうか。『暴露』によれば、NSAの「すべてを収集する」という戦略の観点から、運用技術の責任者は二〇〇九年に三沢のある諜報施設について運用能力の向上をほめたたえる。「衛星で感知した瞬間に信号を自動的にスキャン・復調する機能を開発。われわれの計画は“すべてを収集する”というスローガンにまた一歩近づき、今後もさらなる進歩が期待される」と。

 NSAと情報共有の関係にある「ファイブ・アイズ」と日本の関係に変化があったのではないか。NHKの「クローズアップ現代+」が、スノーデン氏の活動を支える米NPОとともに新たな日本に関する十三のファイルに関するスクープであった。

「すべてを収集する」方針のもとにデータベース化された情報から、個人名やメールのアドレスなどで一括して検索できるプログラムが、米政府から日本政府に提供されたというのである。「スパイのグーグル」と呼ばれる「XKEYSCОRE」である。

 番組のインタビューに応じたNSAの元幹部であるトーマス・ドレイク氏は次のように語った。

「日本向けに特別に組み替えたバージョンを提供した。米は日本から情報の収集、分析の結果を共有できる。日本の立場が一ランク上がったことを意味する」

 スノーデン氏本人も登場して、日本人に対して警鐘を鳴らした。

「日本社会は、国民のプライバシーを大事にする国だったが、変わりつつある。世界の国を対象にした、『報道の自由度ランキング』も落ちている。知る権利があって、自由で開かれた社会はある」と。彼は横田基地など、日本の勤務の経験もある。

『暴露』の筆者であるグリーンウッド氏に接触を試みたスノーデン氏がまず要求したのは、メールの監視がほとんど不可能なアルゴリズムを使ったソフトをダウンロードすることだった。

 企業活動に対する共産圏によるインターネットを通じた諜報活動もある。世界はより「監視社会」の様相を深めている。

           (この項了)

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政治経済情報誌・ELNEOS 7月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 インターネットの普及によって、あらゆるものがコンピューターにつながり、その空間のなかで自由な議論が進み、新たな産業が生まれていく――「ユビキタス」社会と呼ばれる理想の社会が実現する夢が語られた。

 しかし、あらゆる情報を収集しようとする国家と技術の進化は、この世界を監視社会に変えてしまった。

インターネットによって、プライバシーが侵害される時代に我々は生きている。企業もその例外ではない。広報パーソンは「ユビキタス監視社会」に関心を払うべきである。

 米国家安全保障局(NSA)による大規模な個人情報の収集を告発した、米中央情報局(CIA)の元職員であるエドワード・スノーデン氏が四年前に暴露した事実は、世界を揺るがした。NSAの膨大なファイルは「スノーデンファイル」と呼ばれる。

 スノーデン氏は自らそのファイル

がプライバシーを侵害している事実を分析して明らかにはしない。それはメディアの調査報道の仕事である、と明確に述べている。

「スノーデンファイル」について、英国のザ・ガーディアンと協力して数々のスクープを放った、ジャーナリストのグレン・グリーウッド氏は、このファイルがスノーデン氏によって、的確に分類され、しかも文書を読み解くために専門用語の辞書までもが作成されている事実を明らかにしている。(『暴露』グレン・グリーンウッド著、田口俊樹氏ら訳)

「スノーデンファイル」のうち日本に関係する一三のファイルが四月下旬に明らかになった。このファイルの報道にかかわってきた、米国のNPО「インターセプト」と、NHKの協力による。その主要な点については「クローズアップ現代+」が報じた。NHKは今後もこのファイルの分析を続ける、としている。

 今回の報道の最大の焦点は、米国が大量監視プログラム「XKEYSCОRE(エック・キー・スコア)」を日本政府に提供していた事実である。このプログラムは「スパイのグーグル」と呼ばれる。

 NSAはすべての情報を収集する。個人の通話、メール履歴、SNS……発信者と受信者を記録する「メタデータ」として保存される。

「XKEYSCОRE」プログラムに特定個人の名前やメールアドレスを入力すると、その人に関するすべての情報が閲覧できる。

 NHKのインタビューに対して、スノーデン氏と同様にNSAを告発した、元技術部門のトップであるウィリアム・ビニー氏は、このプログラムを「民主主義を破壊しかねないウィルス」と断じる。

 NSAに対する日本側の対応先である、防衛省はこのプログラムが日本に提供されたかどうかついて、回答を避けている。

 犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の構成要件を改めて、「テロ等準備罪」とする改正組織犯罪処罰法が六月一五日、徹夜国会の末に成立した。国会審議のなかで、政府は「共謀罪」は将来的に通信傍受の対象となる可能性も示唆している。

「XKEYSCОRE」プログラムと「共謀罪」を結ぶ線はあるのだろうか。

         (この項続く)

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政治経済情報誌・ELNEOS 6月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 説明責任とは、単に説明するだけではない――東京大学大学院教授の山本清氏の『アカウンタビリティを考える どうして「説明責任」になったのか」』(NTT出版刊)を手がかりにして前回、欧米で生まれた「アカウンタビリティ」の歴史は古代アテネ民主制に遡り、市民に対して納得する説明をできなかった場合は処罰されるという厳しい概念であることを学んだ。

 しかも、アカウンタビリティが「説明責任」と翻訳されたのは、2000年代初めに外来語をできるだけ日本語に訳そうという国立国語研究所による。

 アカウンタビリティを担う企業経営者や政府高官、政治家らが、欧米とは異なる「説明すれば済む」という姿勢を取る傾向が強まっている。

 国家と資本は歯止めがなければ必ず暴走する。アカウンタビリティを問う立場にあるメディアや、政府・与党に対する野党もまた、「説明」を求めるだけに終わっている。

 東芝は5月15日、監査法人意見が出るのも待てない状況のもとで2017年3月期の決算を発表した。債務超過額は五四〇〇億円の巨額にのぼった。

 記者会見において、出処進退を問われた、細川智社長は「(社長)指名委員会の決定に従う」と述べた。

 世界標準のアカウンタビリティに従うとすれば、東芝が巨額の債務超過になぜ陥ったのか、誰がこうした事態を招く経営判断をしたのか。株主や従業員、工場を各地に立地している社会的責任から市民らの幅広いステーク・ホールダーに対して、納得のいく説明をして、それが十分ではない場合は罰せられる、という認識が、細川社長からは感じられない。

 政府・与党に対する野党の批判は、アカウンタビリティではなく、首相や閣僚らの失言の追及に絞って、党勢の回復の転機を探っているようだ。

「テロ等準備罪」の国会論戦は、安倍晋三首相が「そもそも罪を犯すことを目的とする集団」と答弁したことから、民進党の追及はこの「そもそも」の文言が、安倍首相のいう「基本的に」という意味があるかどうか、辞書に記載されているかどうか、という点を争点にしている。

 政治学・行政学上のアカウンタビリティが確立されるきっかけとなったのは、1986年に起きた米国航空宇宇宙局(NASA)のスペースシャトルの爆発事故だった、と山本氏は強調している。

打ち上げ当日の天候ではリングの接合部分に異常が生じる恐れが予想されていた。それにもかかわらず、打ち上げられたのは、当時のレーガン大統領が事業化に強い意欲を持っていたのと、議会が予算を削減しようとしていたことなど、複数の要因が重なり合った。

アカウンタビリティの担い手が複数であることに加えて、それらの利害が複雑に絡まっている。

こうした延長線上に新たなアカウンタビリティが生れている、と山本教授は指摘する。つまり、中央銀行や会計検査院あるいは原子力の規制機関など、政府や国会から独立した組織の問題である。

こうした新たな論議について、日本はこれから深めていく必要がある。

(この項了)

 

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