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「Wの悲劇」武井咲は、薬師丸ひろ子になれるか  リメークドラマはスターへのオマージュ

 青春時代を思い返すとき、時代の女優は誰だったろうか。

筆者は団塊の世代に続く「谷間の世代」である。戦後の出生率は1950年代末に最低を記録して、その後緩やかな増加に転じる。ポスト団塊の世代の範囲をどこまでに限るかは、人によってさまざまであろう。ここでは少々幅を広げて、80年代初めにかけて少年、青年時代を過ごした人としよう。

 団塊の世代のヒロイン、吉永小百合はすでに、本格女優だった。山口百恵はあっという間にスクリーンとテレビの画面から消えていった。ポスト団塊の世代にとって、団塊の吉永小百合に相当する女優は薬師丸ひろ子であろう、と筆者は考える。先行する世代にも、後続の世代にも認識されたという意味で、ちょっと古くさいが国民的なヒロインである。脇道にそれるが、黒沢明監督の「あかひげ」などで知られる内藤洋子は、筆者にとって忘れがたい女優である。彼女もまた、山口百恵と同じように結婚後、スクリーンを去った。女優の喜多嶋舞は娘である。

 薬師丸ひろ子の映画の代表作である「Wの悲劇」(1984年)が、テレビドラマ化された。これは正確な表現ではない。夏樹静子の原作のドラマ化である。テレビ朝日のゴールデンタイムに登場したドラマの主演は、武井咲(えみ)である。10代の女優が、テレ朝のこの時間帯の主演を務めるのは、上戸彩の「アタックNo.1」(2005年)以来だという。

 4月26日(木)放映の特別拡大版の第1回を観た。ちなみに第2回は5月3日(木)である。

 大製薬会社のトップの座にある和辻与兵衛の亡くなった息子の娘、すなわち孫の摩子が武井のひとつの役である。ドラマの展開のなかで、その謎は解き明かされるのであろう、うりふたつのさつき、が武井のもうひとつの役である。摩子が大富豪の恵まれた娘であるのに対して、さつきはショーパブの掃除のアルバイトをするかたわら、売春もする不良の娘という設定になっている。買春の客がカネを支払わなかったことの腹を立てて、そのあとをつけた路地裏で、さつきはその客をナイフで刺し殺し、カネを奪う。殺人担当の刑事である弓坂圭一郎は、聞き込みから常習的に売春をしている、さつきを突き止め、追及する。

  「これは任意の取り調べですよね」と、さつきは切り返す。「一人暮らしの人間がアリバイなんでどうやって証明できるもんか」と、突き放した直後、さつきは弓坂との間を一息につめて、口づけをする。怒る弓坂。ロッカーにつきとばし、さつきの顔面を両手でおさえるようにして、膝蹴りをロッカーに食い込ませる。

 証拠不十分で警察から放免されたさつきの携帯電話に無言の着信があった末に、「あなたのアリバイを作れるのはわたしだけだ」と、姿を現しのが、摩子である。摩子はさつきに対して、ふたりの人生を交換することを提案して、それぞれは互いの人生を歩みはじめる。

  ドラマの冒頭で、買春行為が終わったあとに、さつきが冷えた出前のチャーハンとスープを書き込むシーン。客がカネを払わないとしって、むしゃぶりつくさつきを客はなんなく殴り倒す。ベットに放り出されるさつきのガウンのすそが乱れる。ショーパブの清掃のアルバイトに入れ替わった摩子に対するショーダンサーの激しいいじめ。清掃していた便器のなかに顔を沈められる。汚水のなかで息を吐く摩子の表情のアップ……

 大富豪の孫娘に成り代わったさつきは、祖父のよる性的な虐待に摩子があっていたこと知る。朝食のテーブルの下で祖父の手が、さつきの膝に伸びる。

  ドラマの狂言回しすなわち、登場人物や背景について説明する役は、ショーパブの経営者である一条春生である。彼女が現在進行形で書いている小説が、このドラマのプロットである、という仕掛けになっている。

  第1回目のドラマは、大富豪である和辻家の複雑な人間関係と、その相続問題が、悲劇的な事件につながることを暗示して終わる。

  武井咲は筆者が注目してきた女優である。携帯電話会社のCMによって、その美貌は世に知られるところとなった。

  スクリーンやテレビの画面に現れては消える美少女たちを観るのは、「楢山節考」の作家である深沢七郎の言葉の趣旨を借りるなら、はかなさを愛することであろうか。スクリーンにデビューする美少女のなかから、スターとなる女優を正確に予言する、作家の小林信彦のひそかな喜びがよくわかる。映画「ALLWAS 3丁目の夕日」で東北から集団就職で自動車修理店にやってきた星野六子役の堀北真希がスターになる、と確信を込めた賛辞を送った。筆者の女優に対する評価は、小林に遠く及ばない。しょせんは結果論ではないか、といわれれば二の句がつげない、そんなレベルではある。

 武井咲は、薬師丸ひろ子にはなれない、ましてや吉永小百合にも。それがこれまでの筆者の評価であった。「Wの悲劇」をみて、ひょっとしたら、と思う。

 国民的な女優になる条件として、筆者は常々「声」が大切ではないか、と考えてきた。薬師丸ひろ子の映画の挿入歌を初めて聴いたときの衝撃を忘れない。吉永小百合の歌声を聴いた団塊の世代もそうだったのではなかったか。歌手としてスタートした山口百恵の歌声についても同じような感動をいまでも覚えている。

 それはひとことでいえば、「透明な感じ」ということである。

 武井にはそれが欠けていた。デビューのシングルは、華々しい街頭広告を表参道の駅で観て、その歌声も聞いたがこころに響く透明感がなかった。それは、これまでのドラマでもそうだった。表現を変えるなら、声が通らないのである。

 「Wの悲劇」を観て、発声法がまったくこれまでと違っている、と思った。それは訓練だけではなく、少女から大人への微妙な時期を通過した女優の声であった。

  戦前から戦後にかけて、子役、少女そして大人の女優として、それぞれのステージで開花した、高峰秀子も語っている。娘から大人の女優への転換が最も難しく、子役で終わってしまう俳優は多い、と。

  武井咲「Wの悲劇」が、薬師丸ひろ子「Wの悲劇」のような成功を収めるか否か。

  その時代の美少女を起用したドラマのリメイクは、同じ役を演じた女優へのオマージュ(敬意)がある。「伊豆の踊子」は、田中絹代への。美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵が演じた。武井「悲劇」もまた。演出の片山修は、「木更津キャッツアイ」で薬師丸ひろ子をあさだ美礼先生役とした。今回のドラマのなかで、薬師丸が映画の主題歌として歌った「WOMAN“Wの悲劇から”」を挿入歌として、平井堅に歌わせている。

 片山は1965年生まれ、「谷間の世代」である。         (敬称略)

 WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本

 http://wedge.ismedia.jp/category/tv

 

 

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  世紀の恋の舞台となったテニス場を過ぎて、鳩山通りを下る。両側に広い別荘地が連なる、軽井沢の並木道は、「風立ちぬ」の作家堀辰雄が歩いたという。

 「ご注意ください!ツキノワグマ情報 ハチの巣を食べた痕跡情報」。道路工事のたて看板のような掲示板に驚く。

 地元のNPOの呼びかけである。保護したクマ22頭に発信機をつけて、24時間体制で監視。別荘地や住宅地に近づくと、駆けつけて山に戻す。

 ニホンシカやサルの出没も増えている。軽井沢町のニホンシカの捕獲数は昨年128頭で、前年のほぼ2倍。生態学者の結論は出ていないが、ニホンシカの繁殖によって、ツキノワグマが追われるようにして、里へ下ってきている可能性もある。

 旧中仙道の宿場町だった軽井沢は明治維新後、廃れた。避暑地として軽井沢を発見したのは、宣教師たちだった。高度成長経済の1970年代、リゾート地として脚光を浴びる。そして、バブル経済の時代には、投資先として。

 この町はいま、新幹線通勤で東京に通う住宅地として、さらには団塊の世代を中心とする人々によって、終(つい)の棲家として「再発見」されている。7月1日現在、1万9493人。平成2年の1万5000人台から比べると約4000人も新住民が加わった。

 人生の終着点をみつめるとき、生活を築き上げたいま住むところか、故郷を思うのではないか。地方から都市への民族の大移動のような時代を経て、人々は帰るべき故郷を失った。第三の選択肢として、自然にあふれた町を目指すのはよくわかる。過疎に悩む町村が、格安な土地を斡旋したり、空き家となった農家を無償で貸したりして誘致を競っている。新しい民族の移動の先頭に、軽井沢は立っている。

 「都市デザイン室」――軽井沢町役場に3人の新しいチームが4月発足した。50年後あるいは100年後の町の計画を立てる、という。コンサルティング会社に計画作りをまる投げするのではなく、町内の3つの地域ごとに住民の意見を吸い上げていく。そのたたき台として、堀辰雄らが宿泊した古い旅館や、空き店舗を活用した街づくりなどの案を住民に示したばかりだ。

 「50年計画」に取り組む職員たちが、バイブルと呼ぶ冊子がある。昭和47年に制定された「自然保護対策要綱」である。別荘の敷地面積を約1000平方㍍としたり、建ぺい率を20%にしたり、法律よりも厳しい規制を課した。バブル時代の投資ブームの際にはマンションに対しても規制を加えた。バブル経済のなかで、列島の各地にリゾート地が生まれたが、いまは見る影もない。バイブルがなかったのである。

 軽井沢の「50年計画」は、少子高齢化が進む日本のなかで、豊かな自然と共生する街づくりの新しいバイブルを作り出してくれるだろうか。

 帰りしなに見上げた浅間山の山麓を、発信機を付けたツキノワグマが動き回っているさまを想像すると、この町を愛する人々の気持ちが伝わってきて、きっとよい計画ができると思った。

  (2012年9 月4 日 フジサンケイビジネスアイ フロントコラム に加筆しました)

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 東京・新橋はサラリーマンの街である。猛暑の黄昏時、雑居ビルの地下にある、九州料理の居酒屋に入ると、テーブル席は満員で、カウンターとなる。開店して間がない店に連れてきてくれたのは、都市銀行の役員だった。もう25年近く前になる。

  「新橋の支店長をしているときにね、この店を出したいって、融資を頼みに来た若い経営者に、見どころがあって貸したんですよ。どうです、満員でしょ」

 あの時の彼のうれしそうな顔を思い出す。

  「金融は経済の血液だ」と自信を持って言い切る、銀行家たち。それは銀行が、地域に信頼される時代でもあったろう。

 都心の繁華街に近いメガ・バンクの支店の窓口を訪れる。母の老後の資金である定期預金を更新するためだ。「こちらへ」と、男子行員はテーブル席に誘導する。机上には、さまざまな金融商品のチャート図がある。

  「保険はいかがでしょうか」。一時払い終身保険の説明を始める。

 契約時に保険料を全額払い込むと、死亡保障とともに貯蓄性がある。ただし、中途解約を行った場合に、経過年数によっては払い込んだ保険料を下回る。つまり元本保証でない。

  いわゆる銀行の窓口販売、「窓販」である。生命保険ばかりではない、国債や投資信託、金投資など、あらゆる金融商品が購入できる。

 「定期預金でいいんです。母が老後のために苦労して貯めたおカネなんですから」と私はこたえる。

  国民生活センターは、こうした「窓販」による一時払い終身年金保険について、注意喚起するリポートを4月にまとめている。「相談事例を見ると、高齢者がトラブルに遭うケースが多い。消費者は保険であることを理解できず、預金と誤解したまま契約が結ばれるケースが目立った」と。全国銀行協会が東京、大阪など各地に設けている相談と苦情の受付窓口の件数も、2011年度は3年前のざっと2倍の約2万2000件にのぼっている。

  金融の自由化は1990年代から、金利の自由化とともに、普通銀行や信託銀行、長期信用銀行などの専門性の垣根をとっぱらう業態の自由化が進んだ。それと同時に「窓販」の取り扱い金融商品の種類が拡大した。銀行の店舗は、元本保証の商品ばかりを売る場所ではなくなったが、お年寄りたちはいまだに銀行を信じ、それがまだわかっていない。

  「護送船団時代」の銀行家然とした大銀行の役員たちを懐かしがっているのでない。いま顔の見える、信頼できる銀行家はいるのであろうか。おカネとは、人間の人生の喜怒哀楽の結晶である。それを託するにはそれなりの人物が求められる。

 ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)の設定をめぐる不正をめぐる事件は、世界のトップバンクもまた、「銀行家」なき時代であることを物語る。「バークレイはまさに始まりにすぎない」――ニュース週刊誌タイム最新号のカバーストーリのタイトルである。その金利を決めるシティのメンバーに日本のメガ・バンクがいることが記事にある。そのトップの顔が思い浮かばない。

   (2012年7月30日 フジサンケイビジネスアイ フロントコラム に加筆しました)

 

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 ある大学のシンポジウムに参加するため、シンボルの講堂を脇にみながら、緑あふれる並木道を歩く。ベンチャーの勉強会の参加を勧誘するポスターがあちらこちらに。大学闘争の余韻が残るたて看板が乱立していた母校を思うと、歳月を感ぜずにはおかない。

 団塊の世代が駆け抜けた、祭りのあとの1970年代末、ポスト団塊の我々世代は、石油危機後の不況のなかで、就職氷河期を生き抜かなければならなかった。

  我々の子どもの世代である大学年生たちはいま、実質的には入社試験といえるインターンシップや就職セミナーで、親の世代と同じように氷河期を戦っている。

 「ベンチャー」を立ち上げた慶応大学4年生の男子大学生が、投資名目で資金を集めたまま海外に出国していることが明らかになったのは、そんな時である。少なくとも数億円単位の資金を集めた可能性があるという。

  男子大学生は自らが開発したという株式投資の自動売買機械によって、資金を集めたという。元本保証で、預かった資金は1年間で5倍にする、がうたい文句だった。

 高級ブランドのスーツに身を固め、外国車を乗り回し、六本木のクラブでシャンパンを振る舞う。集めた資金は、投資に回されなかった可能性が高いという。

  経済犯罪は時代相を映し出す。三島由紀夫が昭和25(1950)年に出版した『青の時代』は、前年に起きた「光クラブ事件」がモデルである。東京大学法学部3年生だった山崎晃嗣は、貸金業の光クラブを設立、高利回りをうたい文句に資金を集めたが、破綻し、青酸カリによる自殺を図った。20代の三島は自らの青春を重ねわせていたのだろうか。

  「戦争のおかげで永保ちのする理想を失った人たちが、今日買えば明日腐るかもしれない果物のような夢想のための、理想的な一時期をもったのであった。明日をもしれぬものはかなげな紙幣の風情が、明日をも知れぬ欲望にとってふさわしい道連れのように思われた」

  「光クラブ事件」は石油危機後に再び、ベストセラーと映画によって甦る。高木彬光の『白昼の死角』である。高度経済成長の右肩上がりの夢はついえた。石油危機は「終戦」と同じように、青年たちは価値観の転換を迫られた。メディア・ミックスの天才である角川春樹の仕掛けは、時代相に合致した。光クラブの残党という設定の、主人公である映画は、経済犯罪を繰り返して仲間を死に追いやる、暗澹たるピカレスク・ロマンである。あの時代の青年だった筆者の心象風景である。

  大学の教壇に立っている友人たちに頼まれて、講演する機会は少なくない。ベンチャー企業で働き、自らも社内起業した経験があるからだ。講演を終えると、ベンチャーを立ち上げたいという青年たちが駆け寄ってきて、質問攻めになる。

 「失われた20年」のあまりにも長き敗戦期間のなかで、青年たちはまじめに生きている。海外逃亡中の大学生は小説のモデルにはならない。勘違いのはねっかえり者である。

   (2012年7月11日 フジサンケイビジネスアイ フロントコラム に加筆しました)

 

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「欧州の国々では、政府債務が過大になった結果、返済能力に疑問符がついてきて、金融システムのほうに飛び火をしていく。それが実体経済に影響し、財政のバランスシートにも影響してくる。負のフィードバックが働いている」

 日本銀行の白川方明総裁は昨年8月、危機に揺れる欧州市場の現状について、こう分析している。

 国際決済銀行(BIS)の年次総会が、例年通りなら6月下旬ごろに開かれる。BISは第一次世界大戦のドイツの賠償の問題を契機として生まれた中央銀行の協力機関だ。BISは、国際金融資本が実質的に設立した。メンバーは退任後も、厳格な秘密保持を求められる。年に少なくとも6回は会合を開き、ファーストネームで互いを呼びあう。金融マフィアの陰謀説に絡められること数限りない。「バーゼルクラブ」と呼ばれるゆえんである。

 そこで白川総裁は副議長を務める。白川氏は1972年に日銀入行、バブルの崩壊から金融不安に対する資金の供給など企画や調査部門の中心にいた。理事で退職、京都大大学院教授から2008年4月に総裁に就任した。

 米国の住宅バブルが崩壊しつつあった07年9月発行の「金融財政」に投稿した大学教授時代の論文をみる。

 「金融市場を基点とする経済の変動や混乱の発生頻度が、以前に比べて高まる傾向にある……『バブルの存在は事前的には分からない』といわれることが多いが、筆者も資産価格の上昇は、渦中にあってバブルであるかどうか分からないという立場に立っている」

 翌年に刊行した『現代の金融政策』は、その頻発するバブルに金融政策がどのように対処すべきか、その渦中にあった経験を振り返りながら記している。「物価が安定状態を続ける下で、金利引き上げに対しては理解を得られず、日本銀行が引き上げに踏み切ったのは、1989年5月であった……金融政策はもう少し早めに引き締める方向に転換すべきであった」

 米連邦準備制度理事会(FRB)のエコノミストが2002年に発表した、「1991年から95年初めの時点で金利を2.5%下げていれば、デフレには陥らなかった」とする論文に対しては「適切な教訓の引き出し方であるとは思えない」と反論している。サブプライム、リーマン・ショック、そして欧州危機……欧米各国の政策当局の対策は、日本のバブル後のビデオの「早戻し」のようだ。

 バーゼルクラブで、副議長の白川氏が信認をかけて、挑んでいる論点は明らかだろう。

 冒頭の講演で、白川総裁は日米のバブル崩壊後の経済指標を示してこう語っている。

 「バブル崩壊後の4年間という期間に限って見ると、むしろアメリカのほうがパフォーマンスが悪い」

  (2012年6月15日 フジサンケイビジネスアイ フロントコラム に加筆しました)

 

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