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AKB48卒業    「マジすか学園」で演技力磨く後輩たち

  「最高の7年間でした」――社会面の白抜きの2段見出しが躍る。「あっちゃん AKB48卒業」の横見出しもついて。マイクと握って熱唱する写真のモデルは、アイドルグループのAKB48のトップだった、前田敦子である。

  8月27日、東京・秋葉原のAKB48劇場で、彼女は、女優に専念するためにグループを卒業するコンサートを開いたのだった。

   弱冠21歳の女性歌手の卒業コンサートは、社会現象となった。グループの本拠地である秋葉原のビルは彼女の大きな写真で覆われたようになり、街路には顔写真の列である。フジテレビのダウンタウンのレギュラー番組である「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」は当日、特別番組として卒業コンサートを実況中継した。

  山口百恵やキャンディーズの引退コンサートは、バブル経済に向かう熱狂の時代の風景としてよく覚えている。「失われた20年」をあとから振り返るとき、「あっちゃん」の卒業コンサートを思い出すのだろうか。

  「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」の特別番組の視聴率は、14%を超えて、前週の2倍だった。

   実況中継の前に、第1部として、前田とメンバーたちが思い出を語りながら、ヒットナンバーを歌う。第2部では前田を中心として、「会いたかった」、「フライングゲット」の初期のヒット曲から、「Everyday、カチューシャ」、そしてラストソングは、「桜の花びらたち」だった。

  メンバーたちはかわるがわる、前田の思い出を語る。板野友美は感情のもつれがあったことをわび、直前に仲直りをしたことを告白する。第1期生のオーディションに落ちて、ファンに飲み物をサービスする「カフェっ娘」から昇格した、篠田麻里子は、前田が暖かくメンバーに迎えてくれたエピソードを話したあと、抱きしめあって涙を流す。

  前田は終始、涙をこらえ、笑顔で卒業する思いを語り、そして、客席に感謝のお辞儀をしたあと、客席を背にしてメンバーに深いお辞儀をする。

  「あっちゃん」は、引退するのではない。卒業するのである。この熱狂はなんなのであろうか。似ている現象を強いて探しだすとするならば、宝塚音楽学校に入学した生徒たちが、卒業し、それぞれが俳優としての道を歩み出す瞬間であろうか。

 宝塚音楽学校に入学したからといって、劇団に入団できるわけではない。「女の園」は、男女交際を禁じられ、厳しいレッスンのなかで競争が繰り広げられている。ダンスからバレー、日舞そして声楽はもちろんのこと、ピアノのレッスンもある。

 「花」「月」「雪」「星」「宙」の組に配属されて、娘役と男役のトップに登りつめる者は、同期のなかでも数少ない。

 日本の興行史のなかで、かつてないイノベーションを起したAKB48のプロデューサーは、秋元康である。秋元は高校時代にラジオの脚本を売り込んだことから、芸能界に縁ができる。稲垣潤一の「ドラマティク・レイン」によって、作詞家と知られるようになる。ホラー小説「着信アリ」は、映画やテレビドラマにもなった。「グッバイ・ママ」では映画の監督もてがけている。

  「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」の特別番組のなかで、メンバーたちにとって秋元とはどんな存在なのか、という質問に対して、「先生」とひとりが答えてほぼ全員がうなずいた。AKB48はやはり、宝塚のような存在である。

  日々のレッスンに手を抜かず、厳しい競争のなかにメンバーをたたき込む。シングルの発売を前にして、ファンの投票によらずにジャンケンによって、センターつまりリーダーを選ぶ、という破天荒な競争もあった。

  秋元が作詞家として、作家として、そしてプロデューサーとして、いかに企画を立てるのかついて書いた『企画脳』(PHP文庫)は、ジャンケンが強いことに意味があることを説いている。

  「『企画脳』のために基礎体力をつけるためには、ジャンケンが強くなくてはいけない。

  なぜか。……みんな似たような能力があって、人間なんてあまり変わらないなかで、どうやって人より前に出て企画を売り込んでいくか……そのときに必要とされるのが、俺はジャンケンが強いという『根拠のない自信』なのである」

  卒業した「あっちゃん」の女優としての進路はどうか。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(2011年)の映画で初めて、主役のマネージャー川島みなみを演じた。

難病のために入院してマネージャーができなくなった、親友にかわってチームを甲子園まで導く前田の演技は、アイドル映画のそれではなく、鑑賞に耐える。

 テレビ東京の深夜枠のドラマ「マジすか学園」はいま、シリーズ3である。AKB48のメンバーが演技を競う。秋葉原の劇場が、実演を学ぶ場所であるのと同じように。今回のシリーズの設定は、不良少女たちが入れられている刑務所が舞台である。

 島崎遥香が主役のパルを演じている。前田はシリーズ1で主役を務めた。

  秋元は『秋元康の仕事学』(NHK出版)のなかで、AKB48は小劇団やロックアーチストと同じように、その成長の過程がファンにみえる、といっている。

 「ドキュメンタリーである」と。

  前田が卒業しても、AKB48のドキュメンタリーは続く。          (敬称略)

 

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TBS「黒の女教師」 異色の主人公と現代的なテーマ

 「愚か者!」――都立国文館高校の生物教師である高倉夕子(榮倉奈々)の鋭い声が響きわたる。その直前の一瞬、ドラマの敵役である男優の顔に長い足が繰り出し、回し蹴りが決まって、敵は倒れる。

  学園の問題をともに解決する、古典教師の内田すみれ(市川実日子)と美術教師の藤井彩(小林聡美)が横に並んでそろう。

  「課外授業はこれで終了です」と、夕子は告げる。

  TBSの金曜ドラマ「黒の女教師」のエンディングである。

  2012年7月20日放映の第1話と27日の第2話を観た。夕子とすみれ、彩の3人の女教師は、学園内の被害者となった教師や生徒から、カネを取って、被害者に代わって加害者ともいうべき敵を社会的に葬る。リーダー役の夕子がその復讐劇のシナリオを書き、彩は学園内の情報を探る役、すみれはネットを利用して加害者を追い詰める。

  復讐の対価を求めるのは、時間外の課外授業であるという理由からである。深夜の学園の美術室で3人は、依頼人となる被害者を待つ。トランプのババ抜きをしながら。画面は驟雨に打たれる学園の正門を映し出し、そしてずぶ濡れになった依頼人が部屋のドアを開けて、カネをつきだす。

  第1話は、脱法ハーブが、テーマになっている。法律上は違法ではないが、使い方によっては心身ともに異常をきたす。新人の女教師である青柳遥(木村文乃)が担任をしている、クラスの女子生徒が、脱法ハーブを売る店のオーナーにだまされて、校内で買い手を増やす手先となる。このオーナーは大学生で、司法試験をすでに合格して法律事務所に入ることが決まっている。

  第2話のテーマは、教師と女生徒との恋愛である。有能な社会科の教師の及川(柏原収史)は、予備校の経営者の娘と婚約していずれ義父の跡をつごうという上昇志向の強い人間である。その一方で女生徒と肉体関係を結んでいる。

  復讐を依頼するのは、第1話では新人の女教師、第2話では教師に捨てられる女子生徒である。

  脱法ハーブを売る店の学生オーナーに対しては、次のようなシナリオを作る。彼が使っているたくさんの高校に売り込み役を果たしている女子高校生に対して、すみれが彼のパソコンに侵入して、店へ集合するようにメールを送る。最後にオーナーの妹が現れる。脱法ハーブの中毒症状を呈している。

   第2話の敵役である、社会科教師の及川には、他の高校の教師たちを招いた公開講座という舞台を設定して、被害者の女子高校生を登場させる。言論の自由と人権の問題に関する授業である。彼女は質問する。「ブログも人権侵害になることがあるのでしょうか」と。すみれによって、彼の匿名のブログは実名化され、かつ被害者の女子高校生との交際について赤裸々なブログを書き込んでいた。

  学園ドラマの主人公の設定としては異色であり、奇抜でかつ現実離れしている。しかしながら、そのテーマは現代的である。さらに、敵役の設定もまた、時代を象徴するような人物である。

  それは、大ヒットした日本テレビの「家政婦のミタ」のシナリオと同じようなものを感じる。かつてストーカーのように付きまとわれた義理の弟によって、夫と子どもを殺されたミタ。笑顔を浮かべることを自ら禁じて、雇い主の命令に対して「承知しました」とこたえる。視聴率はすべりだしこそ10%台だったが、回を重ねるごとに話題を呼んで、最終回は40%という驚異的な数字をたたきだした。

  「家政婦のミタ」のヒットの大きな要因は、現代を象徴するテーマ性にあったと考える。ミタが通う一家の主人の不倫とその結果、妻が自殺する。高校生の娘の上級生との肉体関係、4人の姉弟の兄弟愛、亡くなった妻の妹と主人公の淡い恋愛感情……

  ミタ(松嶋菜々子)の人生を縦糸にして、ひとつの家庭のドラマが横糸になって、現代の家族問題を織り成している。

  榮倉奈々の「黒の女教師」にも、そんな予感がする。なぜ、夕子はそして、すみれと彩は「課外授業」をするようになったのか。第2話のラストシーンで、夕子がある邸宅を訪れて、チャイムを鳴らすが、入ることを断られたのはなぜか。第1話で、転校したばかりの男子生徒が夕子のポケットに札束を突っ込んで、課外授業を依頼するが、それはなんなのか。その瞬間に男子生徒が夕子に口づけする理由とは。

  学園ドラマといえば、やはりTBSが1979(昭和54)年から2011(平成23)年にかけて、30年以上にわたって放映した「3年B組金八先生」がある。舞台の設定は、桜中学というどこにでもありそうな中学校であった。テーマの現代性が、長きにわたって視聴者をとらえたのであろう。筆者の少年時代のドラマでは、日本テレビの「青春とはなんだ」があった。原作は石原慎太郎、脚本に倉本聰の名前がみえる。いま思えば贅沢な布陣である。

  学園ドラマは世に連れ、であろう。「黒の女教師」の奇抜な設定もわるくはない。あるいは、現実の学園で起きている最近の事件の数々を思うとき、設定が現実離れしているほうが、テーマが視聴者に届きやすいのではないだろうか。 (敬称略)

 

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梅ちゃん先生 「戦後」は遠くなりにけり 昭和生まれの女優

  「下村先生なんておかしいよ、梅ちゃん先生でいいよ」

 近所で食堂を開いている三上康子(岩崎ひろみ)がいう。

 東京・蒲田で開業したばかりの下村梅子(堀北真希)が前夜、食中毒にかかった5人の工員を救った。そのお礼に現れた同僚が、「下村先生」と呼びかけた瞬間であった。徹夜に近かったその治療の疲れから、机に突っ伏している梅子を母親の芳子(南果歩)が揺り動かす。

 「患者さんですよ、梅ちゃん先生」

  NHK朝の連続小説「梅ちゃん先生」のなかで、主演の堀北真希が初めてタイトルンの名前で呼ばれたシーンであった。第16週(7月9日~14日)「ちいさな嘘の、大きな本当」を観た。

  シリーズは、終戦直前に蒲田が空襲に遭って焼け野原になったシーンから始まる。女学校に通う梅子が、浮浪児を助けたことをきっかけとして、医学部の教授である父建造(高橋克実)に当初は反対されながらも、女医の道を目指していく。

 朝の連続小説ではおなじみの女性の成長の物語である。戦後の混乱とその後の経済成長のなかで日本人がどのように歩んできたか。これも連続小説の大きなテーマである。

 「小さな嘘の、大きな本当」は、梅子に思いを寄せる、父建造の教室に所属している研究医の松岡敏夫(高橋光臣)の揺れる気持ちが縦糸になっている。そして、隣家の部品製作所の工員の退社騒動がからみあう。本当の気持ちをなかなか率直に表現できない、青春時代に特有の甘い香りのする感情劇である。松岡役の高橋の演技が、連続ドラマを観る楽しみになる。理知的過ぎて、恋愛感情を表現する方法を知らない。青森の素封家の娘との縁談を断って、大学の研究室に戻って、梅子と再会しても、うまく気持ちをだせない。突然、梅子が胸に飛び込んできて、ぎこちなく肩を抱く。

  連続小説は、若手女優の登竜門である。平成に元号が変わる直前に生まれた堀北真希は、若手とはいえ、いまや堂々たる人気女優であり、過去のシリーズの女優とは比較にならない。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズの青森から集団就職で、自動車修理工場で働く星野六子役で、古くさい言い回しではあるが「国民スター」となったといえよう。梅子と松岡を演じる堀北と高橋をみていると、大物女優が若手俳優を育てる、といった趣(おももむき)がある。ほめすぎだろうか。青年医師を演じる高橋が上手くスターである堀北を支えているといったほうがよいのかもしれない。

  梅ちゃん先生「戦後の日本人」を語る――月刊文藝春秋6月号の堀北真希の聞き書きである。国民雑誌といわれた文藝春秋の中吊り広告に、若手女優の名前が躍ったのはいつ以来のことであろうか。国民スター・堀北真希の面目躍如である。聞き書きは文藝春秋編集部によるから、女性誌や芸能誌とは一味違う彼女の実像が浮かび上がる。

  「私はギリギリ昭和生まれで、誕生日の3カ月後に平成になりました。当たり前のように、部屋にお花を飾ったり、いい香りのするキャンドルを置いてみたり、ただ楽しむためだけのモノにお金をかけることができます。それはそれですごく幸せなことです。しかし、ゼロの状況から今の豊かな暮らしに至るまでに、当時の人たちがどれほど頑張ったか。それを忘れてはいけないなと思っています」

  連続小説が、戦後にこだわってきたことの意義があらわれている。団塊の世代に次ぐ筆者にとって、戦後は遠い存在とならうとしている。物心ついたころには、高度経済成長にかけあがっていく時代であった。

  「梅ちゃん先生」は、戦後の歴史について、ニュース映画の映像をつかって、ていねいに解説している。今回の第16週は、昭和30(1955)年が舞台である。朝鮮戦争後の好景気のなかで、人手不足が、梅子の隣家の部品製作所まで及んでいるのがわかる。

 思えば、梅ちゃん先生は筆者の父母の世代の大正生まれである。梅子の父は明治生まれであろう。連続小説は、祖父母、父母、子、そして、筆者の子どもの世代に戦後を追体験させる。それは、堀北真希の世代である。戦後を生きた人々が懐かしく観るばかりではなく、それらの人々に育てられた人々が、過去を思う瞬間を経験しているのであろう。

 そして、2011年3月11日に起きた、東日本大震災と巨大津波、原発事故である。終戦直後の風景と震災後のそれは、現実ばかりではなく、心象風景もまた重なり合う。

  堀北真希は、文藝春秋の聞き書きのなかで、次のように語っている。

  「クランクインは、終戦直後の東京・蒲田の焼け野原を再現したオープンセットでした。……戦後のバラック街や闇市が再現されています。大量のがれきや、実際に木材や家具を燃やしただけでなく、廃材に墨汁を吹き付けて焦げたように演出しているのです。あまりにリアルなセットに立ったとき、真っ先に思い浮かべたのは、3・11のニュース映像でした」

  「梅ちゃん先生」が、戦後の焼け跡から立ち上がる人々を描くとき、大震災後の人々にも勇気を与えているのだろう。                   (敬称略)

 

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「もう一度君に、プロポーズ」 脇役からヒロインへ

     テレビはケ(日常)である。

     生活そのもの――送りにとって受け手にとっても。俗。聖なるものとの出会いまでの厖大(ぼうだい)なディテイル。日付のあるドラマ。

  『お前はただの現在にすぎない』(萩元晴彦・村木良彦・今野勉)――テレビ界で読み継がれるテレビ論の名著から「お前に捧げる18の言葉」のひとつを紹介する。お前とは、テレビのことである。共同著者の3人は1960年代にTBSを辞め、日本で初めてのテレビ番組制作会社であるテレビマンユニオンを設立した。1969年に刊行され、長らく絶版状態が続き、古書市場では驚くほどの高値だった。テレビ番組の制作を志す人々のバイブルともいえる。2008年に朝日文庫に入ることによって広く読まれるようになった。

  「日付のあるドラマ」とはなんとも、卓抜なテレビの定義なのだろうと思う。テレビの草創期を作った青年制作者たちの気負いも感じる。テレビはジャーナリズムでも映画でもない、と3人はいっている。

  ドラマのシリーズに曜日を冠にするようになるのは、必然であったろう。その曜日が持つ、ニュアンスがにじむ。フジテレビが切り拓いた月曜夜は、週明けのビジネスパーソンにまだエネルギーが満ちている。「日曜劇場」はいまでは遠い思い出となりそうではあるが、家族がそろう団欒に合う。疲れがにじむような週末の日常には、しっとりとした情緒が欲しいと考えるが、いかがだろうか。

  金曜ドラマ「もう一度君に、プロポーズ」――TBSの夜10時台のシリーズである。竹野内豊と和久井映見が、倦怠期を迎えようとしている夫婦役を演じている。

 バブルが崩壊したといえ、その余韻が残る1990年前後に活躍のきっかけをつかんだ、若手俳優だったふたりが、ともに不惑を超えて、主役を演じている。いまでは死語となったトレンディドラマの旗手である、フジテレビのシリーズのなかで輝いたふたりでもあった。和久井の「すてきな片想い」「ラブストリーは突然に」……、そして竹野内の「ロングバケーション」「ビーチボーイズ」……。

  「もう一度君に、プロポーズ」。竹野内演じる夫が妻の和久井に、最終回でプロポーズするエンディングを予想させるタイトルは、視聴者に対して挑戦的である。

  和久井が扮する宮本可南子は、図書館の司書である。図書館の近くの公園で、子どもたちに絵本を読み聞かせる練習をしていた可南子と、たまたま昼食をとっていた、竹野内が夫役の自動車整備工の波留は知り合い、結婚する。可南子はくも膜下出血によって倒れ、一命を取り留める。しかし、波留と出会いそして結婚した期間の記憶だけを失ってしまう。手術後にベッドで目を開いて、心配そうに見守る波留に向かって、可南子はいう。

 「どちらさまでしたっけ」と。

 いったんは自宅に戻った可南子だったが、見知らぬ男性となった波留とは暮らしがたく、実家に戻る。

  ドラマは、ふたりの感情をあや織りながら、可南子のかつての恋人と波留に思いを寄せる職場の若い女性整備工が絡む。自宅に残された可南子の日記を読みながら、波留はなぜ妻の記憶が自分に関する部分だけが欠けているか、探ろうとするがわからずに、悩みは深まる。

  「離婚しよう」

 波留は可南子に告げる。

 第6話、2012年5月25日放映のラストシーンである。友人の結婚式が終わったあと、ふたりで残った教会。ふたりもここで式を挙げた。結婚の宣誓のなかで、神父の問いに「誓います」と大きな声で参列者の笑いを誘った波留に続いて、可南子も大きな声でこたえたシーンがフラッシュバックで挿入されたあと、この回はエンディングを迎えた。

 90年代にドラマの主役を務め続けた、和久井の演技に、筆者が最近再び気づいたのは、映画の脇役としてのそれだった。大奥の男女の役割が逆転するという奇想天外な発想の「大奥 男女逆転」(2010年)では、柴咲コウ演じる徳川吉宗の側近の加納久通を。大阪国が存在し、その秘密を大阪生まれの男子が引き継ぎ、王女を守るという「プリンセス・トヨトミ」(2011年)では、総理役のお好み焼き屋の主人の妻を演じた。「ほんまに、大阪の男はしょうがないわ」と大阪弁の和久井のセリフがエンディングである。

  ドラマとは、その設定がどこか非日常的である。和久井が脇に回った2作は、それがずば抜けている。しかし、描かれているテーマは、恋であり、家族であるようなオーソドックスなものだ。「大奥」では主人公役の二宮和也演じる大奥入りした武士と、町娘の堀北真希との恋愛劇であり、「プリンセス」では、父と子のふれあいだった。

 破天荒な設定の主人公をテーマにそくして魅せるのは、脇役の現実感である。非日常のドラマの展開のなかで、観ている者の日常につなぐのが、脇役ではないかと考える。和久井の演技はそのようなものであった。

  主役級の女優から脇役に、そして、「もう一度君に」で和久井は再び主役になった。不惑を過ぎた女優をヒロインにするキャスティングは、脇役の和久井の演技力を知っていれば当然だったのだろう。                 (敬称略)

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日曜ドラマ「ATARU」 栗山千明を輝かせる中居正広

 ドラマをみるきっかけは何だろうか。主演の男優に魅かれてか、共演の女優か、その逆もある。主演と共演の魅力は分かちがたく、ふたりをみたいこともあるだろう。

  視聴率激戦区の日曜夜9時のゴールデン・タイム、TBS「ATARU」と、フジテレビ「家族のうた」はどうだろう。特異な才能で事件を推理するATARUを演じるのは、SMAPの中居正広である。オダギリジョーは「家族のうた」で、売れないロック歌手・早川正義を演じている。

  共演は、中居の相手は、警視庁刑事・蛯名舞子役の栗山千明である。オダギリジョーは、カメラマン・青田洋子役の貫地谷しほりである。

  ふたつのドラマは、春の新番組、いわゆる改編によって、2012年4月15日同時スタートした。ともに第5回となる5月13日、新聞の朝刊の芸能ニュースは、オダギリジョー主演のフジ「家族のうた」が、視聴率の不振から、第8話で打ち切りになる、と報じている。前回の平均視聴率は3.1%であった、と。

  オダギリジョーは筆者が注目している俳優のひとりである。西川美和監督の「ゆれる」(2006年)で、写真家の早川猛を演じた。恋人の川端智恵子役は真木よう子、兄の稔役は香川照之である。真木との男女の心理的な駆け引きにおけるオダギリの演技は、智恵子の死をめぐる裁判劇の伏線となる。

  週明けの仕事が頭の片隅をかすめる日曜日の夜、女優・栗山千明に魅かれて、筆者は「ATARU」を春の改変では選んだ。「ATARU」は、いわゆる事件もので1話ごとに殺人事件の謎解きがあるシリーズである。 5月6日放映の第4回を振り返る。中居は「チョコザイ」と名乗る。特別な領域に関して才能を持っているサヴァン症候群の男の設定である。栗山との会話は成立していない。

  殺人事件ではなく事故として取り扱われる「捨て山」といわれる事件を結果として、栗山と解決する。短い言葉を発して、捜査の方向性を決める。

  この回は、単発飛行機の操縦士が離陸しないでフェンスに激突、死亡して見つかった事件である。チョコザイは、もう一機の単発機が事故にあった飛行機の上をかすめるように急接近したのが原因で、死亡した飛行士が激突したことを明らかにし、殺人事件の解決へと導く。  犯人は、操縦士の指導教官であったかつての恋人であった。死んだ男がこころがわりして、別の女性と結婚することを恨んだ犯行だった。

  チョコザイは、事件の捜査の「開始」と「終了」を短く英語でつぶやく。事件が解決すると瞬間的に眠りに入り、涙がほほを伝う。

  中居のチョコザイには、ほとんどセリフらしいセリフはない。刑事・蛯名役の栗山は、事件現場に行ったり、聞き込みに行ったりする、その行動によって舞台回しを演じるとともに、チョコザイに好意を寄せる感情を表現する。

  栗山の演技力に筆者が魅入られたのは、NHK連続ドラマ「ハゲタカ」の放送記者役であった。大森南朋が演じる元銀行員のファンドの経営者と、経済事件をジャーナリストとして切り込む。栗山の人生と大森の数奇な人生が絡み合うのが、ドラマの魅力だった。

  主演男優と女優が、そのドラマを成功に導く方程式があるとするならば、筆者は男優が女優に光りをあてるような演技がいいのではないか、と考える。あるいは、そうした設定のドラマは観るものをゆったりとした気持ちにさせて、くつろがせるのではないだろうか。

  オードリー・ヘップバーンのデビュー映画「ローマの休日」で、グレゴリー・ペックが演じた新聞記者役は当初、ケリー・グラントが予定された。脚本を読んだグラントは、物語の主人公が自分の役ではなく、オードリーが演じた王女であることを理由にして断ったという。ペックは即座に引き受けた。

  さらに、映画のタイトルのトップに彼女の名前を出すように製作会社にいったのである。「この映画で彼女はオスカーを受賞する」と予言して。

   オダギリの「家族のうた」はこころ動かされながらも、打ち切りの報道まで、観ることはなかった。5月13日の第5回を観た。相手役の貫地谷しほりもまた、感情の起伏を生き生きと表現できる美貌の若手女優である。NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」で、落語家を目指す主人公を演じて、豊かな才能をみせて観るものを驚かせた。

  主人公のオダギリの演技が直線的に正面に出て、貫地谷の魅力を光り輝かせていない。打ち切りが決まったのは予定されていた11回の途中であるから、即断はできない。ドラマは終盤にかけて、ふたりの演技がハーモニーを奏でたのかもしれない。オダギリはもともと、女優を輝かせる男優である。真木よう子を本格派女優の道の入り口に導いたのは「ゆれる」の共演であった。沢尻エリカを一躍スターにした映画「パッチギ!」でも、酒店の若旦那として重要な役回りを演じている。

  「家族のうた」の打ち切りは惜しい。オダギリと貫地谷のために。(敬称略)

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