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コラム

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  サスペンスの謎解きは、幕が下りる瞬間にすべての出来事が、すーっと1本の線で結ばれる。まるで幾何学の補助線を引いて問題が解けるかのように。

  NHKよる☆ドラ(火曜日夜)の「書店員ミチルの身の上話」は、連続10回の最終回にあたる3月12日放映に向けてドラマはクライマックスを迎えようとしている。

 このコラムのシリーズは、ドラマを紹介するにあたって、初回あるいは第2回からうかがえるストーリーと俳優について批評してきた。

 今回はちょっと趣向を変えてみよう。「書店員」は第7回までみた。回を重ねるごとに、このドラマは緊張感が高まって、最後の謎解きがどうなるのか、その展開に引き込まれているからである。

  戸田恵梨香が演じる書店員のミチルが、街角の小さな宝くじボックスでバッグから取り出した宝くじが当たっているかどうか、読み取り機で調べてもらうシーンから、ドラマは始まる。

  売り場の中年の女性(田島令子)が驚きの表情を浮かべる。

 「お嬢さん、1等の2億円です」

  ドラマのタイトルバックに戸田恵梨香の上半身が流れるように映し出されて、語りが入る。ミチルが長崎の小さな町の書店員であることを告げ、宝くじに当たったことが彼女の人生を暗転させることが予言される。

  語りの主は、ミチルを妻と呼ぶ。第7回に至るまで、ミチルは独身であり、しかも「妻」と呼ぶ夫役は登場していない。この夫はいまのところ声だけで、配役は大森南朋である。

  よる☆ドラは、1回が30分である。タイトルバックと次回の予約、そして前回の要約部分を除けば20分のドラマの展開である。全10回であるから、長めの映画1本分といえるだろう。

  普通の日常を生きる人物が、ある出来事を契機に不条理ともいえる事件に巻きまれていく。それがサスペンスの醍醐味ではないか。

  いまさら、ヒッチッコックを持ち出すまでもないが。「北北西に進路を取れ」は、広告会社の社長役のケイリ―・グラントが打ち合わせに入ったホテルで、ベルボーイが名前を読んだ人物とスパイ組織に間違われる。無実の殺人犯として警察に追われる身となる。そして謎の美女エバ・セイント・マリーとのラブストーリーとなる。その果てに彼女との結婚という幕切れが訪れる。

  「書店員」のドラマの展開は、1話ごとにミチルの運命が暗黒に包まれていく。

  ミチルが当たりくじかどうか確認した宝くじは、勤務する書店の同僚から頼まれて買ったものである。冒頭のシーンは働いている長崎の町ではなく、東京である。

  宝くじを買った直後に、不倫関係にある東京の出版社の社員、豊増(新井浩文)が帰京するのに、気まぐれについていってしまったのである。

 長崎の実家と勤務先に、嘘に嘘をかさねるうちに、会社も首になって東京に住むことになる。

  そして、第1の殺人が起きる。ミチルは同じ町出身で弟のようにかわいがっていた、東京の大学生である竹井(高良健吾)を頼る。新たに借りたアパートの一室で惨劇は起きる。

 結婚を約束した地元の宝飾店の跡継ぎの久太郎(柄本佑)が訪ねてきたとき、たまたま部屋にいた竹井を慕う女子大生の高倉(寺島咲)が、けんかの末にミチルともみあう久太郎をフライパンで殴り殺してしまう。

 竹井と高倉は、冷静に布でくるんで、竹井のアルバイト先の料理学校の車で、久太郎の死体を富士山麓の樹海に捨てにいくのである。

  第2の殺人はそのように直裁的な描写は避ける。ミチルの不倫相手である豊増が、会社の使い込みがバレて追いつめられる。穴埋めのために、ミチルが宝くじの当選金のなかから500万円を用立てて、自分の部屋に置き、翌日にはなくなっている。

 殺人は、部屋に入るミチルを尾行するようにゆっくりと走る、竹井のアルバイト先の車によって暗示される。

  そして、竹井はミチルに携帯電話をかけて、一緒にミチルのフィアンセを処理した高倉が自殺したことを告げるのである。

  上京後に頼って、竹井の部屋にころがりこんだミチルであった。不倫相手の豊増に対して、竹井は「ゲイ」だから大丈夫といっていた。

 その竹井に恋人の高倉が現れる。

 子どものころは、ミチルにまとわりつくように従っていた竹井が、殺人現場の血で汚れた床を冷静にふき取る様に、意外な感じにとらわれる。

  長崎の小さな町の書店員だった、明るい性格のミチルが、竹井によって追いつめられていく。

  戸田恵梨香は、子役からの演技歴は長い。成人になってからも、脇役で演技力を磨いて、主演級になった女優である。現代を代表する美貌の女優のひとりであることは間違いない。

 それでありながら、平凡な女性の感情の揺れを表現できる演技派でもあると思う。

  「女優の恐怖の表情を撮るのが楽しみである」と、ヒッチコックは語ったという。

  「書店」のなかで、 戸田恵梨香はラストに向かってどのような恐怖を味わうのであろうか。そして、語りの夫役の大森南朋はどのように登場して、ミチルを幸せに導くのだろう。

  極上のサスペンスは、ハッピーエンドに決まっているだが。

 (敬称略)

WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本

http://wedge.ismedia.jp/category/tv

 

 

 

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 経済事件の闇は、容疑者の逮捕によってもそのすべてが明らかにはならない。

 広報パーソンは具体的な経済事件から、感覚を研ぎ澄まして、自らが属する組織のために役立つ教訓を得ようと務める。

 経済事件の連鎖のなかで、広報パーソンが正気を失わないためには、犯罪の裏に潜む伏流を知っておかなければならないだろう。

 筆者が敬意を払っているのは、初代内閣広報官の宮脇磊介氏の箴言である。このシリーズでも紹介した。

 バブル経済崩壊後の不況のカゲには、反社会的勢力が巣食っている。「ヤクザ・リセッション」と宮脇氏は呼ぶ。

容疑者の有罪が確定したとしても、事件の闇の全体像が必ずしも明らかになるものではない。

 ソフトバンクの子会社である、インターネット接続サービス会社を襲った「個人情報漏えい事件」もまた、その闇はいまも深い。

 広報パーソンが経済事件から、教訓を引き出す、新しい手がかりとして『マネーの闇』(講談社oneテーマ新書・一橋文哉)を勧めたい。ペンネームの筆者はこれまでその個人情報をいっさい明らかにしない。デビュー作でグリコ・森永事件を追及した『怪人21面相の正体』などで知られる。大手新聞社の事件記者たちのチームのペンネームであるともいわれるが、その真偽はわからない。

 ただ、その作品に一貫しているのは、反社会的勢力による企業に対する攻撃の深層をえぐろうとする取材力のすさまじさである。

 最新作は、その集大成ともいえる。戦前、戦後を通じた数々の経済事件をとりあげて、その闇をかぎりなく暴こうとしている。

 最近のスマートフォンのアプリを悪用して、個人情報を無断で外部に送信させる事件について、一橋はいう。

 「実は今、こうした個人情報を売買するビジネスが、闇社会で大流行しているのだ。

 住所や家族構成から車のナンバー、携帯電話番号まであらゆる情報を扱う。入手先は役所や大企業をはじめ、パソコンや携帯電話を売るメーカーの人間や、取り締まりに当たる警察官、法的手続きをする司法書士まで含まれる」と。

 闇の勢力に対する捜査陣の体制はどうだろうか。

 「警視庁によると、11年に警察が解析した情報量は約330万ギガ・バイトで、4年前に比べて6・6倍に増えている。こうした事態に対応するため、警視庁は警視庁をはじめ主要警察本部を中心にサイバー犯罪に関わる専従捜査員を、ここ2年間で650人増員し、計1000人としたが、全く足りていないのが現状だ」と、指摘している。

 いわゆるサイバーポリスは増強されている。当たり前の話ではあるが、彼らは犯罪を捜査するのであって、企業などの組織は独自に防御の構えをとらなければならない。

 ソフトバンクグループは、内部の強力なネット技術者たちが犯人を追い詰めた。個人情報は犯人たちの手に渡りはしたが、警察が押収し、2次流出には至らなかったのである。

エルネオス(ELNEOS)は、定期購読雑誌です。

定期購読は

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 電子版は

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倒産の危機に立ち向かう7人の侍たち 「経済ドラマ」の新しい地平線を切り拓いたか

 倒産の危機にあるタクミ電機の会長である譲原三郎(岸部一徳)は、ひそかに7人の社員による再建のための戦略室を立ち上げる。営業部長から子会社に左遷の形をとって、その室長になる矢作篤志(唐沢寿明)らに彼はいう。

 「奇跡を起こせ」と。

  ドラマのナレーションは、これは過去の話ではなく現在も企業のなかで、進行形であると告げる。

  NHKのテレビ60年記念ドラマ「メイドインジャパン」である。1月26日(土)から3週連続で放映された。再放送に加えて、いずれ再々放送もあろう。

  「7人の侍」たちは、室長の矢作のもとに、技師長の西山慶吾(国村隼)、財務課長の柿沼雄二(吉岡秀隆)、過去の大量リストラを手掛けた宇崎英作(平田満)らである。

  東京・大田区の町工場から世界的な家電メーカーに成長したタクミが、テレビや半導体の不振によって、メインバンクから見放されて借り入れの返却を迫られ、その期限つまり余命は3カ月しかない。

  タクミが経営の立て直しにかけていたのは、電気自動車向けのリチウムイオン電池である。大手自動車メーカーとのまとまりかけていた契約が、中国の電機メーカーであるライシュの低価格の製品との競争に敗れる。

 そして、ライシュの製品の核となる技術が実は、タクミが開発したものであることがわかる。

 再建の方策をまかされた室長の矢作と同期で、8年前のリストラで切った迫田貴弘(高橋克実)がその開発にかかわり、ライシュに持ち込んだことがチームによって解明される。

  「経済ドラマ」というジャンルがあると、わたしは考える。ジャーナリズムとドラマの融合である。現実に起きている経済事件の本質が、虚構のドラマによって深い感動を呼ぶ。さらに、そのドラマは近未来を予言する。

 フィクションとノンフィクションの重なり合うところに、経済ドラマの限りない領域があると思う。

  NHKの経済ドラマなら、真山仁原作の「ハゲタカ」(2007年)である。銀行員として、中小企業を倒産に追い込んだ過去を持つ、ファンドマネジャーが日本企業に買収、再編を仕掛ける。その対象は大手電機であり、玩具メーカー、老舗の旅館など多岐にわたる。

 ジャーナリスト出身の真山氏の精緻な取材がベースにある、原作を巧みに生かしている。フィクションとジャーナリズムが融合されている。

  主役のファンドマネジャーを演じた大森南朋は、この作品が海外の賞を獲得したこともあって、一躍日本を代表する俳優の仲間入りを果たした。

 ラストシーンで、大森が倒産させた中小企業をひそかに訪れて、路傍に落ちたネジを拾う。彼がファンドマネジャーを辞めることが暗示される。

 リーマンショック後に、激烈なマネーの世界から抜け出す人々をみた。ドラマの予言性である。

  「メイドインジャパン」もまた、現実の企業の経営危機について取材した経緯が、チーフ・プロデューサーの高橋練によって、明らかにされている。

多方面に取材をした結果として、ドラマのなかにさまざまな企業が透けてみえるようである。パナソニック、シャープ、トヨタ……。

   「メイドインジャパン」は、創業者一族の経営判断の誤りが、経営危機を招いた大きな要因であるというシナリオである。テレビや半導体事業の継続のために、8年前にリチウムイオン電池の開発を、タツミ電機いったん中止した。その技術が中国企業に結果として移転し、競争に敗れる。

   「ハゲタカ」が企業買収や再編に関する、金融の新しい潮流をていねいに説明しながら、そのターゲットになった企業の業界の環境についても描いた。

   「メイドインジャパン」は、日本の製造業が直面している危機の要因について、経済ドラマの隠し味であるジャーナリズムの要素が弱いように映る。

   産業界で働く人々は、自らの身に降りかかっている運命が、なにによってもたらされたのかいま、ようやくわかってきている。

   インターネットによる情報革命をきっかけとして、製品のデザインやコンセプトを決めて、世界的に最適な部品調達と組み立て地を選ぶ、製造過程の革命に日本企業は遅れたのである。本社と下請けを垂直に統合した生産モデルが行き詰まった。

   「日本式モノづくりの敗戦」(野口悠紀雄著)のなかで、野口教授が指摘している「ファブレス化」である。本誌がなんどか取り上げている中国の巨大組み立て専門工場もまた、その生産過程のひとつのブロックである。

  そして円高である。「アベノミクス」の理論的主柱である、イェール大学の浜田宏一名誉教授が「アメリカ経済は日本経済の復活を知っている」のなかで、欧米のメディアを引用しながら説くように「日本の経営者ばかりを批判するのは間違いである」という視点である。

  円高の正体が、浜田教授が指摘するように、日銀の無策にあるとしても、欧米の財務当局者からいま、円安の動きを容認する発言がなぜ出ているのか。

   これもまた、フィクションとジャーナリズムが融合して、経済ドラマとなるテーマである。

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吉村作治先生 古希記念エッセー集 寄稿

2013年2月1日刊

 東日本大震災は、戦後の日本社会を問うばかりではなく、世界の人々がこれからの生き方について考える歴史的な転機になっていることは、いうまでもないことでしょう。

 2011年3月11日を境として、「戦後社会」は終わり、「災後社会」が始まる。作家の猪瀬直樹先生の歴史の見方です。冷戦後も日本人は、ディズニーランドのような、安逸な暮らしを続けてきましたが、震災後の日本人は厳しい内外の現実に向き合わなければならないというのです。

 こうした災後社会にあって、「知の巨人」として、吉村作治先生のこれからのありようがあるのではないかと思います。

 私事にわたりますが、会津若松で生まれ、幼少年、青年時代を仙台で暮らしました。東北出身者には、未曾有の災害がどうして故郷を襲ったのか、気持ちの整理がつかぬままに、いまだに心安らがぬ日々が続いています。

 そうしたみちのくの地である、岩手県花巻市博物館において、2012年9月から11月にかけて、「吉村作治の古代七つの文明展」が開かれたことは、故郷の人々をどれほど勇気づけたことでしょう。エジプト文明やオリエント、ギリシャ文明と並んで、東北の縄文時代の出土品の数々を展示して、「縄文文明」と名づけられたのです。

 三陸沿岸の震災地の取材を続けております私にとって、花巻での吉村先生のトークショーのご発言には、目を開かされました。

 吉村先生はいつものように優しいまなざしで観客を見渡されて、こうおっしゃったのです。

 「大震災を人は災害というが、自然からいわせるとしたら単なる『自然活動』なのです。人類の文明は、自然と戦うのではなく共生することによって育まれてきました」

 「戦後社会」は高度経済成長のなかで、自然をあたかも征服したかのようにして、豊かさを手に入れてきました。「災後社会」をどのように築いていくべきなのか。

 人類の数万年に及ぶ歴史のエッセンスをぎゅーっと絞って、吉村先生が発するお言葉が災後社会の指針となる予感がしています。

 古希をお迎えになられたことを心よりお喜び申し上げるとともに、いまだ衰えぬチャレンジ精神にただただ感服するばかりです。

 その吉村先生がまた震災地のいわき市に本部を置く、東日本国際大学と協力して「復興学」を2013年春から始めようとなさっていらっしゃいます。

 日本は、そして世界は、先生の思想から学ぶことになります。                            (了)

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NHKドラマ10「いつか陽の当たる場所で」 上戸彩の今日性とは

 古い日本家屋の薄暗い居間で、綾香(飯島直子)と芭子(上戸彩)がそれぞれニンジンと長ネギをマイクにみたたて手に握り、PUFFYのヒット曲である「アジアの純真」を歌う。

   白いパンダを どれでも 全部 並べて

   ピュアなハートが 誰かに めぐり会えそうに 流されて行く

   未来のほうへ

  NHKドラマ10「いつか陽の当たる場所で」第1回(1月8日放映)である。タイトルは「前科ある二人」。

 ドラマのスタートは、上戸が女子刑務所から7年間の刑期を終えて、出所するシーンから始まる。誰も迎えはなく寂しそうに道を歩み始めた上戸に、飯島が駆け寄ってくる。刑務所の仲間で先に出所したことがわかる。

 田園風景のなかを走る電車に乗り込んだふたりが目指すところは、上戸が住むことになる亡くなった祖母が残した、東京の下町である谷中の2階建ての住宅である。

 上戸の出所に備えて、自分も同じ町内に住み始めたことを飯島は告げる。

  第2回「強くなりたい」(1月15日放映)と合わせて、ふたりの過去と、上戸の隣りに住む老夫婦や飯島が勤めるパン屋の主人、そして上戸の家族たちが紹介されていく。

  女子大生時代にホストクラブにはまった上戸は、ホストに入れあげるカネを目当てにして、出会い系サイトなどで知り合った男たちに睡眠導入剤を飲ませて眠らせ、財布から金を抜き取る。

 朝帰りの上戸が警察に逮捕されるシーンでは、母親の妙子(浅野温子)と父親、弟が自宅の玄関でみつめる。

 「ごめんなさい」と上戸は泣き崩れる。

  飯島の刑事事件は、夫の家庭内暴力に苦しめられた末に息子を守るために、ネクタイで夫の首を絞めて殺す。

  「アジアの純真」は、上戸が刑務所の演芸会で披露して、仲間にほめられた歌である。飯島も歩きながら口ずさむ。その視線の先には、自分の過去を思い出させる、仲むつまじい母親と子どもの姿があった。殺人を犯した彼女は、息子と会えないのである。

  ドラマの原作は、乃南アサの「いつか陽のあたる場所で」と「すれ違う背中を」。上戸のこれまでのイメージをくつがえす、汚れ役である。

 飯島とともに刑期を終えた女ふたりが、過去の人生を背負いながら、陽の当たる幸せな場所に再びたどり着けるのか。

  上戸は歌手としてデビューし、数々のCMに登場し、テレビドラマと映画の間を行き来する女優である。

  「エースを狙え」「アタックNo.1」などのテレビドラマ、そして映画「テルマエ・ロマエ」と、その代表作にはコミックを原作とするものが多いように思う。

  愛くるしい美少女の風貌を20代後半まで崩さず、ユーモラスなしぐさが似合う上戸が、コミックと相性がいいのはよくわかる。

 2012年の邦画の興行成績ではトップクラスとなった、「テルマエ・ロマエ」は、いわゆるタイムスリップ物である。阿部寛のローマ人の浴場設計者が現代の上戸の前に現れる。上戸は売れない漫画家である。

 日本の銭湯に学んで、過去にもどってローマの浴場建設に新たなアイデアを盛り込む、阿部と上戸は、コミカルな演技をこなしている。

  コミックとテレビドラマ、映画がコンテンツとして、あるときはコミックが原作となり、テレビドラマが逆にコミックなり、テレビのアニメが映画の実写版になる。

 日本のコンテンツが、多様さを極めている「相互交流」である。

 これは現代に起きた現象ではない。江戸時代に遡れば、絵草紙が芝居になり、芝居が絵草紙になる。

 現代の映像作品は、江戸時代あるいはそれ以前からの日本の文化の伝統を引き継ぐものである。

  上戸の今日性は、優れたコンテンツといえるCMの世界と、テレビドラマ、映画を自在に行き来するところにある。

 演出家が使ってみたい女優なのである。彼らは次々に上戸に新しい挑戦の機会を与えている。美少女の面影を残す彼女もいつか30代を目前にしている。演出家からみれば、女優としての上戸が脱皮して新たな相貌をみせる瞬間をみたいのであろう。

  「いつか陽の当たる場所で」は、上戸が、友人である飯島や周囲の人々とのふれあいのなかで、人間として成長していくドラマでもある。

  休日の飯島と動物園に遊びに行った上戸は、そこで大学のゼミの友人とその息子に出会う。彼女の袖口からみえた、家庭内暴力による傷を飯島は見逃さない。

  飯島と上戸はその息子を預かることになる。友人が夫と食事にでかけるためだ。

 どしゃぶりの雨のなかを友人が、上戸の家に子どもを連れ戻しにやってくる。

 その直前に、上戸は自宅から宅急便で送られてきた自分のぬいぐるみについて、その子に説明する。

  「わたしはね、習い事も下手だったし。お母さんにほめられたことがなくて。いつもこのぬいぐるみに話していたんだよ。でもね、やっぱり、直接話さないとだめだよ」と。

  顔と洋服に明らかに新たな暴力の跡をとどめた友人が、どしゃぶりのなかを逃げるように立ち去ろうとしたとき、子どもが泣き叫ぶように呼びかける。

  「おかあさん、笑ってよ。僕は笑っているおかあさんが好きなんだ」

  女優上戸の成長ぶりを観るのが楽しみである。

 (敬称略)

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