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コラム

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 渋谷の夜のスクランブル交差点を下から見上げながら、カメラの目はなめるようにしてゆっくりと林立するビルを映し出していく。どこかうつろな視線である。そして音声がないままに映像は地下のクラブへと進んでいく。

 女優の吉高由里子が、タトゥーを背に入れる美少女を演じた、映画「蛇にピアス」(2008年)の冒頭のシーンである。監督の世界的な演出家である蜷川幸雄の映像は、退廃的な都会の風景のなかに吉高を美しく浮かび上がらせる。

 公開時に二十歳になったばかりの吉高は、この作品で同棲するボーイフレンドとタトゥーの彫り物師との鮮烈な愛欲シーンを初めて全裸で演じた。この年の日本アカデミー賞の新人賞など、各種の新人賞を獲得した。

 フジテレビの月曜ドラマ「ガリレオ」は、物理学者・湯川学役の福山雅治とともに、湯難事件の解決にあたる貝塚北署の刑事・岸谷美砂役として、その吉高が登場している。

 有名大学の法学部出身のキャリアである吉高は、エリート意識を身にまとっている。物理学を応用して事件の謎に迫る福山と、ぶつかり合いながらも協力して解決に至る。

 「君は美人じゃあないよ。顔の部分の比率が美人と認識される比率とは違う」

「でもかわいいっていわれる」

「かわいいと美人は違うでしょ」

 理科系の論理家の設定の福山と、文科系の捜査官の吉高との台詞のやり取りはコミカルである。エリートを演じながらコメディアンヌの隠し味もときにみせる。

 美少女として女優のスタートラインに立った吉高は、20歳代半ばとなって、大人の女優としてどのような道を歩み出そうとするのか。

「ガリレオ」の捜査官・岸谷役にはそんな興味がわくのである。

  第6話「密室る―とじる」(5月20日放映)を観る。

  フェイスブックのつながりによって、大企業の研究所の主任研究員を務める、野木祐子役の夏川結衣が主催する山登りのイベントの宿泊先のペンションが舞台である。捜査官の吉高もこれに参加している。

  夏川の部下の女性がペンション近くのつり橋から谷底に墜落して死亡する。地元の警察は自殺と断定する。吉高は納得しない。福山を連れ立って、再びそのペンションを訪れる。

 吉高は夏川が犯人である可能性が高いと推察している。

 立ちふさがる夏川のアリバイ。死亡した部下は事件の当日、山歩きの疲れを理由として部屋からでてこなかった。鍵がかかった部屋の庭側から、部下の安否を確認したのが夏川にともなった吉高だった。夏川の懐中電灯に照らしだされたガラス窓には、鍵がかかっているのがまざまざと浮かび上がった。

 夏川に犯行の機会があるとすれば、風呂に入っていると主張している時間帯に、部下を部屋から誘い出して、つり橋から突き落とすしかない。

  「女性の勘」から夏川犯人説をいいつのる吉高に対して、福山は物理学者として科学的に迫っていく。吉高が想定する犯行時間帯では、ペンションからつり橋まで山道を往復するのは困難であることを、ストップウォッチを手に歩き、走って実証する。息を切らした吉高が必死にそれを追う。夏川が風呂に入っていた時間では、犯行が無理であることがわかる。

  福山の謎解きは佳境に入って、なぜ死亡した女性の部屋の鍵がかかっていたように見えたのか。

  ストーリーの展開を追いながら、わたしは女優夏川の過去の映像がフラッシュバックするのであった。それは、吉高の鮮烈な映像と重なり合う。

  初の主演映画となった「夜がまた来る」(1994年)は、奇才の監督・石井隆の作品である。夏川は殺された捜査官の夫の復讐を図るために、暴力団組織に入り込み、そのトップの情婦となる。そのことがばれると、薬物中毒にされて売買春のスナックに落とされるのである。

 凄惨な映像美で知られる石井の世界のなかで、夏川は全裸をさらして、その表情とからだ全体を使って迫真の演技をしている。

  この作品によって、夏川はこの年のヨコハマ映画祭の最優秀新人賞を受賞している。20歳代半ばのことであった。

  サスペンスドラマの定石は、毎回ゲストスターを起用して、その俳優が犯人となる。ヒーローとヒロインは、その犯人を追いつめる。

  福山と吉高は、物理学の知識と推理を組み合わせて、夏川の自白を引き出す。動機は、研究者としての夏川が部下に抱いたライバル心と嫉妬であった。

  高い視聴率を獲得して、テレビドラマが成功するためには、そのストーリーが視聴者の共感を呼ばなければならないことはいうまでもない。そして、登場人物のキャスティングである。

  「ガリレオ」のこの回のキャスティングをしたプロデューサーと演出家には、吉高と夏川それぞれの鮮烈な映像のイメージがあったのは間違いないであろう。

  女優が鮮烈な映像に出演する覚悟とはなんなのだろうか。全身をさらして、からだを投げ打って、自らの可能性を切り開こうという強い意思であろう。

  夏川はその賭けに成功して、本格女優の仲間入りを果たした。吉高はどうか。「ガリレオ」の演技は、その試金石である。(敬称略)

 

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 多崎つくるは「駅鉄」なのか。村上春樹氏のベストセラー「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の主人公をめぐって、鉄道ファンのあいだで論争が起きている。「駅鉄」とは、駅を訪ねるファンのことである。

 論争を引き起こしている理由は、私鉄に勤務する多崎が駅舎の設計などをする部署に働いていることもあるが、物語の終幕にかけて、新宿駅の夜のプラットフォームが延々と描写されているからだ。

 新宿は1日当たりの乗降客数が365万人にも及ぶ。世界一といわれる。渋谷が300万人、池袋が250万人、そして大阪梅田が230万人である。

 東京と大阪の二都にいま、これらの駅を中心とする地域に、大きな人波が打ち寄せている。JR大阪駅北側の再開発地域「うめきた」に、商業施設が4月末に開業し大型連休中にかけて367万人が訪れた。

首都の変化は、鉄道の相互乗り入れによってもたらされた。横浜と渋谷間の東急東横線と、渋谷と池袋を結びさらに西武、東武線につながる東京メトロ副都心線が3月16日つながった。

 連休中に渋谷から新宿で映画を観ようとした私は、満員のためにかなわず、新宿御苑でサンドイッチを頬張った。人波に押されるようにして、電車を乗り継いで下町の散歩に逃れた。

多崎つくるほどではないが、駅の人波をみつめてみるのは興味深い。

 地下鉄の東京メトロ銀座線は、渋谷の谷間を突っ切って、同線の渋谷駅は地上2階部分にある。東横線と副都心線がつながってから、かつてならラッシュアワーの時間帯でも、始発の乗客のほとんどがすわっている。

東横線の渋谷駅が地上から地下に潜ったため、乗降客は銀座線の駅までビル4階分ほどもある移動を嫌ったのである。その代わりに、地下でつながる半蔵門線でひとつ目の表参道駅に向かう。そこでは同じフォームで銀座線に乗り換えられる。

 表参道を乗換駅にするようになった通勤客がこれから、どのような行動にでるだろうか。帰宅の途中に地上に出て、飲食や買い物をするようになる。

人波の変化をみすえれば、そこには商機がある。東横線と副都心線の乗り入れは、渋谷と新宿の「百貨店戦争」の引き金となった。渋谷の東急対新宿の伊勢丹である。

 大阪が発祥地の高島屋は、首都の戦後の広がりを見事にとらえて新店を次々に開いて、成長を遂げた。昭和34(1959)年の横浜店、44(1969)年の玉川店……。「世田美が、百貨店のフタを開けてみた。」を惹句にした世田谷美術館の展覧会(6月23日まで)は、二都の市場を切り拓いた商人の歴史を綴る。

 東京の町の魅力として、「崖」の存在を上げたのは、永井荷風の随筆「日和下駄」である。江戸以来、切通しの上に次々と町ができていく。

 近松門左衛門の文楽「心中天網島」の冒頭は「北新地(きたのしんち)河庄の段」であり、治兵衛と小春の道行の「橋づくし」の段で語られる天満や難波の地名は、現代に続く町の発展を物語る。

 文学作品も読みようによっては、商機をつかむビジネス書になる。

 

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  「あとひとつよろしいですか?」

  水谷豊が演じる警視庁特命係の警部、杉下右京が犯人を追いつめる質問を放つ。

  テレビ朝日のヒットシリーズ「相棒」はシーズン11が今春終了して、いまは平日の午後に過去のシリーズが再放送されている。

 その視聴率は回によっては、この時間帯としては異例の10%を超える。週間の視聴率のドラマ部門でベスト10位に入ることもある。

  プレシリーズは「土曜ワイド劇場」で2000年6月から3回。シリーズ1は2002年2月から放映されている。杉下右京の相棒役は、初代の亀山薫(寺脇康文)から神戸尊(及川光博)、甲斐享(成宮寛貴)と代わった。

  シーズン5「殺人ワインセラー」は2006年12月に放映された作品を観る。相棒は寺脇康文演じる亀山である。

  高層マンションからの飛び降り自殺を装って、高利貸しの社長が殺害される。この社長が融資をしている、佐野史郎が演じるワイン評論家は、フランスの高級ワインを揃えた大きなセラーを有するレストンを経営している。

  佐野はかつてソムリエを務めていて、ワインの試飲会で参加者の評論家たちのいたずらで、高級なワインと偽って安いワインを味あわせられ、高級なワインと誤った過去がある。

この屈辱をバネにして、ワイン評論家として地位を築き上げた佐野は、高利貸しの社長との会食で、彼が選んだワインが食事と合っていないことを指摘して恥をかかせた。

 自分が受けた屈辱と、他人に与えた屈辱が重なり合う。

 「あとひとつよろしいですか?」

  佐野とその妻に対して、右京は事件のあった夜にふたりが自宅で飲んだワインの種類を何度も尋ねるのである。

 その晩、佐野が自分のレストランのセラーから持ち帰ったワインである。佐野はそのワインが最高級であったことを繰り返し、右京に主張するのであった。

  殺人現場が早々に佐野のワインセラーである推定はついていたが、犯人を特定する決定的な証拠はなかった。状況証拠は、佐野のコレクションのワインを抵当にしてカネを貸した社長が、佐野に浴びた屈辱を晴らそうとして、借金の代わりにそのワインを手に入れようとしたのではないか、という推測である。

  ドラマは幕切れまで緊張感が途切れない。

 最終場面は、佐野が主宰するワインの試飲会となる。

 右京があの夜、佐野夫婦が飲んだワインがなんであったのかにこだわる理由が明らかになる。

 ソムリエに右京が密かに頼んで、試飲会に供したワインが事件を解き明かす。その微妙な味わいを判断できるのは、佐野ひとりであった。そのことを誇るが故に、殺人事件の犯人が明らかになる。

  「あとひとつよろしいですか?」

  警視庁のキャリアから特命係に左遷されながらも、きちんとした身なりを崩さず、当庁後は高級なマイカップで紅茶を飲む。

 右京の決め台詞は、そうした風情とは対極にある、よれよれのレインコートをまとって、葉巻をくわえたベテラン警部の得意のセリフでもある。

  ピータ・フォーク演じる、コロンボである。「刑事コロンボ」シリーズは、日本で放映されたのは、1968年から一時中断をはさんだ2003年制作のふたつのシリーズだった。

 シリーズ中の最高傑作のひとつといわれるのが、「別れのワイン」(1973年)である。

 ワイナリーの経営者が弟を殺害し、ワインセラーに死体を隠蔽する。経営者がアリバイづくりのために、ニューヨークに出張にでかけ、秘書が隠蔽に加担する偽の証言も得る。状況証拠はそろっている。

  謎解きのクライマックスは、コロンボがこの経営者と秘書を高級レストランに招待して、あらかじめ経営者のワインセラーから持ち出したワインを供する場面である。経営者しかそのワインの味の劣化がわからない。

 死体の隠蔽から発見までの、気象の変化とワインの関係が解決の伏線となる。

  「相棒」シリーズの「殺人ワインセラー」は、コロンボシリーズの傑作「別れのワイン」に対するオマージュ(敬意)である。

  「相棒」シリーズの魅力は、名作ミステリーに対する大いなる敬意と、それをしのいでみせようという監督と脚本家の意地にある。

  「相棒」の映画版「絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン」(2008年)は、クリント・イーストウッド演じるサンフランシスコ警察殺人課のハリー・キャラハンが主人公の「ダーティハリー」シリーズに対する、オマージュである。

 冒頭のミニカーによる爆破計画、犯人に都内を移動させられ、振り回される相棒……。

  ブルース・ウィリスが演じるマクレーン刑事の「ダイ・ハード3」(1995年)もまた、「ダーティハリー」へのオマージュである。小学校で子たちが歌わされるシーン、犯人たちがスクールバスで逃げようというシーン……

  シャーロック・ホームズの作品のファンたちは、シャーロキアンと呼ばれる。ホームズと相棒のワトソン医師や登場人物についてばかりではなく、事件とその背景について詳細な知識を競い合う。

  「相棒」ファンについて、どう名づけたらよいだろうか。作品のDVDのほとんど全部を持っている、高名な学者の友人と相談することにしよう。(敬称略)

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  アイドルの社会的役割のひとつは、「すっかりおばさんになっちゃったなぁ」と感じさせて、「若さのはかなさ」を「ファンだった人たち」に教えることである。

  2013年4月2日 – 1:35 Twitter 糸井重里

 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の主人公の高校生・天野アキ(能年玲奈)の母・春子を演じる、小泉今日子を観ていると、糸井つぶやきが映像にかぶさるように聞こえてくる。

  ドラマの舞台は、三陸海岸の架空の町・岩手県北三陸市である。春子とアキの母娘は、実家の春子の母つまりアキの祖母である夏(宮本信子)が危篤、という偽の電報を受け取って帰郷する。

 差出人は春子の幼馴染である三陸駅の駅長である。海女のリーダーである夏が老いきたので、かつて後継者と目されながら、高校卒業後に東京に去った春子を呼び戻そうとした。観光振興のために、春子を海女にしたいと考えたのである。

  海女を目指すようになるのは、アキであった。東京に戻らずに母娘は夏の家に暮らすことになる。

 第3週「おら、友だちができた!」と第4週の「おら、ウニが獲りてぃ」は、アイドルという言葉がキーワードとなって、物語が綴られていく。

 アキが知り合った親友のユイ(橋本愛)は、上京してアイドルになることを夢見ている。町おこしのイベントとして開かれた、ミスコンテンストで、ユイは優勝して、夏祭りの山車に乗って一躍地元のアイドルとなる。

 潮が速くなる夕方から海に潜ることを、夏がアキに禁じたのに、それを破って溺れかかったために、アキは海女になる練習からはずされる。ユイがミスコンで輝いたのをみて、アキは勇気づけられ、夏に頭を下げて許しを得る。

  三陸沿岸の旧家には、複雑に入り組んだ廊下や隠し部屋がある。アヤが探索するように家のなかをめぐっていると、母の春子がかつて使っていた部屋が現れる。そこには、1980年代を彩ったアイドルたちの写真が壁に貼られている。春子役の小泉がアイドルだった時代である。

 アイドルを目指す高校生のユイと、ドラマが暗示する海女としてアイドルとなるアキの物語は、ふたりの美少女によって演じられる青春ドラマある。

  アキ役の能年玲奈とユイ役の橋本愛のふたりのやりとりは、若さの美しさと可憐さを感じさせる。その瞬間、瞬間の映像は、観る人々の無意識のなかにある、アイドルの青春ドラマと重なっているのではないだろうか。それは朝に放映される連続テレビ小説のも伝統的な持ち味である、こころに染み入るような余韻ともなっている。

  「あまちゃん」を観ているわたしは少なくとも、ふたりの物語から、薬師丸ひろ子や山口百恵、そして内藤洋子を思い浮かべるのである。主役である彼女たちとともに、脇役として絡み合った美少女たちの面影とともに。映画は「Wの悲劇」あり「伊豆の踊り子」である。

  脚本は演劇家であり、映画監督でもある宮藤官九郎が手がける。宮城県の旧若柳町(現在の栗原市)出身の宮藤が育った町と、卒業した県立築館高校の名前をみると、青少年時代を同じ県で過ごしたわたしには、その美しい田園地帯と名門高校のバンカラの気風がよくわかる。広大な穀倉地帯から北西を見上げれば、岩手県につながる奥羽山脈の名峰・栗駒山がある。

  大和朝廷が北方の守りとした宮城県の多賀城から北に向かうと、作家の宮沢賢治や太宰治、そして板画の棟方志功ら、京や江戸の文化の系列のくくりを超えるような芸術家が生まれるのではないか、というのはわたしの考えである。

  「宮藤ワールド」もまたそうした北の文明の地下水脈が表に出てきたのではないか。宮藤が脚本を手がけた、映画「木更津キャッツアイ」(金子文紀監督)や「GO」(行定勲監督)は、ドラマの筋立てばかりではなく、登場人物のユニークさと演技において、日本映画のどの系譜につながるのか、その位置づけがわたしには困難である。

 「あまちゃん」もそうした宮藤ワールドで繰り広げられるドラマである。

  そのなかで、アイドル・小泉今日子は笑顔を隠した、奇妙な母親役を演じて、観る者を飽きさせない。歌手でデビューした彼女の女優としての可能性を見せたのが映画「怪盗ルビイ」(1988年・和田誠監督)である。作家の小林信彦が、アイドル映画の最高傑作としてあげる作品である。スタイリスト役の小泉が、実は怪盗で、相手役の隣人の真田広之を相棒に誘い込んで盗みを企てる。

 イラストレーターとしての卓越した才能のほかにも、宮藤同様に多彩な活躍で知られる和田誠が、監督として小泉の魅力を引き出した。

  「あまちゃん」の小泉は、糸井のいうように「若さのはかなさ」を感じさせるばかりではなく、アイドルが成熟して、日本を代表する女優としての存在感を示している。

 アイドルが演技派女優に生まれ変わる。ファンの喜びである。

  「あまちゃん」の物語の設定は、2008年夏から始まる。三陸の青い海の風景をあしらいながら、陽気なテーマ曲で毎回開幕するドラマは、東日本大震災の2011年春に向かっていくのであろう。                            (敬称略)

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  「首相動静」

 「自民『女性の悩み聞きます』ネットワーク機関創設へ」

 それぞれのタイトルのURL(ネット上の掲載位置の情報)をクリックすると、新聞社のニュースサイトに飛ぶ。

 ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)のツイッターである。

 それでは誰がいったい「つぶやいている」のであろうか。

 なんと民主党の「公式アカウント」つまりツイッターによる広報戦略の窓である。自民党ではない。

 美術家にして作家の赤瀬原平氏がかつて、三省堂の「新明解国語辞典」の改定新版について言葉の意義を読み解いて、「新解さんの謎」(文春文庫)のベストセラーを書き記した。犯罪の容疑者を割り出すプロファイリングのように「新解」の編集意図を読み解いていく。「女性に厳しく、カネを持っていない」と。

 「政党ツイッターの謎」がそれぞれの党のアカウントにあふれている。ライバルの党の動静について、ニュースなどを「リツイート」つまり転送している。所属議員などのブログなかりではなく、有識者のブログをリツイートしている現象も多くみられる。

  日本維新の会は、選挙の際に推薦した首長のツイッターをしばらくしてから、要約の形でつぶやいている。即時性や同時性が特性であるツイッターの使い方としては、やはり謎である。

  企業広報の戦略を練った広報パーソンなら読み解くことは容易である。

  政党そのものに広報戦略がないかあるいは、ツイッターなどのSNSについてできる人、おそらくは若手に任せきりなのである。

  政党に限った現象ではない。政治家のツイッターの謎も多い。その政治家との関係がうかがえない人のツイッターをリツイートしたり、関係のない本の紹介についてリツイートしたりする。

  政治家ではなく担当者のアカウントと化している。政治家のつぶやきは、口頭の言葉か書いた文章を代理でつぶやいているのであろう。

  インターネットを使った選挙運動を解禁する公職選挙法の改正案は、このコラムを執筆中の四月中旬に衆議院本会議を全会一致で通過した。今夏に予定されている参議院選挙がその解禁後の初の選挙となる。

  この改正案に至る過程で、メールによる選挙活動をどの範囲まで認めるか、あるいはなりすましや中傷についてどのような措置をとるのかが論議の中心となった。

  バーチャルとリアルの世界の間になにか隔たりや壁があるかのような問題の設定ではないかと思う。

  インターネットはすでに二十年近い歳月を経て、ふたつの世界は混然一体となっている。

  企業広報の専門家たちには常識である。ホームページやSNSのアカウントを持たないのは、ひとつの世界の半分を失う、つまり企業の存在感は不完全となる。

  いったい何を、どのような手段で、どのように伝えていくのか。広報戦略こそが重要である。

  政党も政治家も企業広報が至っている地点まで、たどり着いていない。

(この項続く)

エルネオス(ELNEOS)は、定期購読雑誌です。

定期購読は

http://www.elneos.co.jp/order.html

 電子版は

http://www.zasshi-online.com/Search/ProductList?page=1&sort=1&skey=%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%82%B9&stype=0&sbn=0

 

 

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