ブログ

コラム

このエントリーをはてなブックマークに追加

NHK連続テレビ小説「まれ」

スイーツが作り出す青春の未来を描く

WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿

 希(まれ・土屋太鳳)は忙しい高校3年生である。石川県輪島市の海辺のかつては村であった、外浦地区の各所に備えられたスピーカーから早朝、その日の天候や海の状態などを告げる。

 走ってかけつける先は、母の津村藍子(常盤貴子)と弟の一徹(葉山奨之)と一緒に間借りしている、桶作元治(田中泯)、文(田中裕子)の家である。弟とともに文を手伝って、野菜を収穫する。その野菜を輪島の朝市で母と売る。

 そして学校である。放課後も市の一角にある喫茶コーナーでアルバイトをする。

  NHK連続テレビ小説「まれ」は、数々の事業に失敗した父の津村徹(大泉洋)が、自己破産をして、縁もゆかりもない外浦村に引っ越してくるシーンから、物語は始まる。

  映画やドラマに広げれば、土屋太鳳は、学園を舞台にした物語によってスタートなった、美少女たちの系譜に連なる。「狙われた学園」(1981年)の薬師丸ひろ子であり、「時をかける少女」(1983年)の原田知世である。「桐島、部活やめるってよ」(2012年)の橋本愛も。

 連続テレビ小説「あまちゃん」のコンビである橋本と、能年玲奈は、「告白」(2010年)にも登場している。

  土屋太鳳は、テレビ東京の学園ドラマ「鈴木先生」(2011年)と、同名の映画化作(2013年)では、長谷川博己が演じる鈴木先生が恋愛感情と妄想の対象となる少女を演じた。「まれ」の放送開始にあたって、再放送された「真夜中のパン屋さん」(2013年)では、深夜営業のパン屋に住み着く謎の高校生を演じた。

脇役ではあるが、黒沢清監督の「トウキョウソナタ」(2008年)の中学生役も忘れがたい。リストラされた父親が自殺をして残される少女である。

 これまでの役柄をみると、謎を秘めていたり、影を帯びていたりして、懸命に生きようとしながらもどこか息苦しさを感じさせる役どころが多かったように思う。

 希の明るさといったらどうか。輪島が望む美しい日本海の波が日の光を反射して輝くようである。美少女は娘役から大人の女性に脱皮しなければならない。20歳を迎えた土屋太鳳が取り組む希は、女優としての成長をかけているのだろう。

 第1週の「魔女姫バースデーケーキ」(3月30日~4月4日)によって、小学校時代の希と家族、そして外浦地区に移住して出会う人々がいきいきと描かれる。この週の最終日にいたって、高校生の希が登場し、小学校時代の同級生たちも成長した姿をみせる。

 希も同級生たちも、小学校時代の子役の表情を対比してみせるのであるが、まるでそれが実際に年齢を重ねたようにみえた。これもまた過去の映画「二十四の瞳」(1954年)を思わせる。学園ドラマというジャンルがそうであるように、映像の世紀といわれる20世紀の映画とドラマは、作り手によってその糸が紡ぎ継がれていくのである。

 希と父の徹は、誕生日が同じである。菓子作りが好きでパティシエになることを夢見ていた希は、バースデーケーキを作る。ところが、地区の祭りの準備の会合ですっかりよってしまった徹がよろけて、希がみせようとしていたケーキが畳に落ちて崩れてしまう。

 「わたしは夢が大嫌いです。人生は地道にこつこつと」

 小学校で課題の「夢」という作文にそう書いて、読み上げる希。公務員になるのが将来の人生と決めた。

 大きな夢を追っては失敗して、家族に迷惑をかける父をみてきたからである。

 ひとたびは反省して、地道に働くことを誓った徹であったが、再び上京して希が高校生になっても帰ってこない。

 どこにもないような破天荒な家族にみえて、妻の藍子は徹に対する愛を失ってはいないようである。

 第2週「告白シュークリーム」(4月6日~11日)に至って、徹が帰ってくる。ここでも、希が作ったクッキーやシュークリームが登場する。

 パティシエに向かって進もうとする希の未来を暗示している。番組宣伝では、すっかりその方向性を明らかにしている。ドラマの展開によほどの自信があるに違いない。

「まれ」の放映は、BSプレミアムでは、早朝の7時30分からである。その直前に、「あまちゃん」の再放送がある。

 海辺の地区に住む希といい、輪島編の後にパティシエの修行にでる首都圏編があることといい、「あまちゃん」の展開を彷彿(ほうふつ)とさせる。冒頭で紹介したアナウンスシーンからして、天野アキが住む袖が浜の情景を思い浮かばせる。

 ドラマで登場する菓子は、東京・自由が丘で店舗を構える辻口博啓による。世界的なパティシエの辻口はドラマの舞台となっている石川県出身である。その菓子の数々はドラマに彩(いろどり)をつけていくことだろう。

 映画やドラマのスタッフに、フードコーディネーターの文字が大きくエンドロールに出るのは最近のことではないだろうか。

 フィンランドを舞台にした映画「かもめ食堂」(2006年)で、鮭の定食やおにぎりなどをアレンジした飯島奈美。新宿が舞台の「深夜食堂」(2009年)の親しみやすい和食も手掛けている。

 希がどんなスイーツを作り上げるのか。それには、彼女の成長の物語が重なっていくのだろう。

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

ELNEOS 5月号  「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦

 メディアの報道に対して、企業が抗議、その形は内容証明郵便によるのが一般的である、あるいは名誉棄損の訴訟を起こすべきか、広報パーソンが直面する大きな試練である。

 メディアの出身であり、広報の実務を担ったわたしは、ふたつの視点から眺めることができると思う。そして、忘れてはならないのは、憲法が保障している表現の自由と企業の関係をどうすべきか、という根源的な視点である。

 もとより、憲法は国家権力の暴走を止めるために、国民が国家と契約をするものである。しかし、企業つまり資本も暴走して消費者である国民の利益を損なる可能性もある。

 広報パーソンと法務部門は、企業のブレーキ役である、とする、大企業に成長させた起業家の言葉を、このシリーズで紹介したことがある。

 メディアの報道に対して、法務部門は名誉棄損の損害賠償訴訟を起こした場合に、勝訴するかどうかの視点に立って事案を検討する。

 広報パーソンの視点はそれよりは幅広く、企業の名誉が毀損(きそん)されたかどうかに加えて、メディアつまり社会と企業が今後どう対応していくのか、あるいはメディアが担う言論の自由と企業の利害が衝突しないかどうか、十分な検討が必要である。

 ここからは、メディアの立場と企業の立場、そして消費者の立場の三つの視点から、メディアと広報パーソンの名誉棄損に絡む攻防を考えていきたい。それぞれの視点を混濁させずに、できるだけ明快にしながら話を進めていこう。

 メディアの報道は、事実とその評価・解釈から構成される。新聞記者の駆け出し時代に、このふたつは厳格に区別して書くことをくどいほど指導されたものである。

 ふたつはひとつの新聞や雑誌の記事や、テレビの報道番組になる。あるいは、ふたつを分けた形で、評価・解釈については「解説」となる。後者は取材記者の解説の形となったり、識者のコメントとなったりする。

 さて、報道が企業の名誉を毀損した場合に、広報パーソンはいかに対応するのか。

 あきらかに事実に誤りがあれば、メディアに対する申し入れとその解決は比較的容易である。

 わたしも新聞記者時代に企業の役員異動の記事において、名前を誤って書いてしまって、企業からの指摘で訂正したことがある。また、どの分野にも専門家はいるもので、さきごろ沈没した海域で発見された、戦艦武蔵が艤装つまり船体に各種の設備を取り付けた造船所を、船体の造船所と同一と誤ったことあった。訂正したのは勿論である。

 広報パーソンとして、インターネット接続サービスの子会社が個人情報を漏えいした事件が、犯人の刑事裁判が終了するなど、ひとつの節目を終えた後、朝日新聞の夕刊がネット上にその個人情報のファイルがある、という報道をした。

 子会社のエンジニアが慎重にファイルを調べた。ファイルはウィルスが仕組まれていて、開くとパソコンが動かなくなる。新聞社はファイルを開かずに記事にしていた。抗議をしたところ、訂正となった。

 (この項続く)

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

 ELNEOS 4月号寄稿。

 トップを批判するタイトルがついた雑誌をさりげなく見せて、高額の勉強会に誘う出版社の担当者。ベテランの週刊誌記者の取材に応じると、数時間後にはネットにそのありさまがアップされる。

 さらには、ある筋から紹介された危機管理の専門家が阿吽(あうん)のうちに危機対応の顧問の就任を前提としながら、著名な雑誌に論評を書くことを告げる。

 広報パーソンとして経験したことどもは、明らかに法令に抵触しかねないぎりぎりの「攻撃」であると受け取ってもよい。あるいは、メディアの倫理上、許されざる行為といってもよいだろう。

 こうした「攻撃」に対する「防御」こそ、神経戦である。一瞬なにが起きたか分からず戸惑うばかりである。

 対処の原則はいうまでもない。法令違反ぎりぎりを攻めて、結果として金銭的な要求ととれる案件に対しては、拒否である。

 そのいいようについては勿論、細心の注意を払わなければならないが、「攻撃」の側が法令に関する認識を有していないと察した場合には、そのことを告げる。

 メディアと企業広報は、表と裏の関係である。どちらが表でどちらが裏ということではない。読者に真実を伝えるという意味で不即不離の関係にある。

 広報パーソンとなった私が、広報室の書架を一覧して安心したことがある。一般読者ではなく、企業の広報や総務担当者向けの高額な雑誌やニュースレターの類(たぐい)が一切なかったのである。

 そこには、メディアを通じて消費者に企業の真実を伝えようという強い意思が感じられた。新聞記者時代の私にトップを紹介してくれた、ベテラン企業広報の先駆性を物語る。トップと親しかった、オムロンの創業者が送り込んだ広報パーソンの堀功氏による。

 神経戦の元凶がどこにあったのか。ジャーナリストの伊藤博敏氏が執筆した「黒幕 巨大企業とマスコミがすがった『裏社会の案内人』」(小学館刊)を読んでわかったことが多い。

 情報誌「現代産業情報」の発行人だった故・石原俊介氏(二〇一三年四月没)の評伝である。企業の広報や総務部門ばかりではなく、反社会的勢力や捜査当局などにも幅広い人脈を持って、企業の不祥事に関する情報を伝えた。

 情報の交差点となった石原氏は、企業の顧問を務めながら、主宰している情報誌で厳しく指弾することがあったという。

 石原氏のビジネスモデルは、捜査当局が反社会的勢力や、それとからんだ企業の不祥事に厳しく法令を適用することによって衰退していったと、伊藤氏の著作から読み取れる。

 バブルにかけあがっていく日本経済と、その崩壊の過程で、石原氏は情報の分析の力を発揮した。

 それは、企業広報と総務部門と石原氏らの情報誌との「蜜月」時代でもあったのだろう。「黒幕」が消滅しても、その時代に生きた経験者が、私を神経戦に追い込んだのではなかったか。

「黒幕」が去れば、いずれ後続者たちの時代も終わるはずである。

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

 次の災害まで「災間社会」の課題

「いのちの防災地図~巨大災害から生き延びるために~」

WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿

「災間社会」とは、歴史学者の磯田道史氏がとなえている。東日本大震災後の社会のありように対して「災後社会」と呼ばれてきたことに対して、歴史の光をあてる。

 列島に生きる私たちは、襲ってきた災害と次の災害までの時間を生きている。

  東日本大震災の犠牲者に対するレクイエム(鎮魂歌)を奏でながら、そこから教訓を読み取って、次の災害に備える準備をしなければならない。

  NHKスペシャルは、東日本大震災によって引き起こされた社会の変動を示すビッグデータを積み重ねることによって、災間社会の課題を探り続けている。シリーズのFile.4「いのちの防災地図~巨大災害から生き延びるために~」(3月10日放映)である。

  次の巨大災害は、南海トラフ地震である。今後30年間に起きる可能性は60~70%と予測されている。震度7の地震が発生し、九州から東名阪に至る広範囲に、最大で34mの津波が襲う。

 地震直後から1週間で、避難者は東日本大震災の19倍に相当する950万人にも及ぶ。大阪で77万人、名古屋で37万人と推定されている。

  長年にわたって南海トラフ地震の脅威について警告してきた、高知大学の特任教授である岡村眞さんは次のように語る

 「防災とは最悪の事態をイメージする力です」と。そして、ビッグデータの解析によって、新しい防災地図を作る必要性を力説する。「イメージする力は、次の災害で生き残る希望につながります」

  高知市の下知地区の防災地図づくりが実例である。

 この地区の住人は、1万6000人。1946年に発生した「昭和南海地震」の際には、1カ月間も水没した。

  南海トラフ地震では、地震発生から30分後に3~5mの津波が襲うと推定されている。避難のために指定されているビルは27棟。住民全員を避難させるのは難しい。

  岡村さんらは、1000種の情報を重ね合わせた地図をまず製作した。さらに、全国の10階以上の建物の情報の分析をしたうえで、下知地区の建物を改めて検証した。

 その結果は、最大5mの津波が地区を襲った場合でも、計60棟に避難すれば助かることがわかった。

 こうした新しい防災地図に基づいて、地区の住民が短時間に避難する戦略的な計画を立案しようとしている。

  また、長い間にわたって地区が水没する可能性を踏まえて、住民が「疎開」する計画づくりも進んでいる。戦時中の米軍による空襲を逃れようとした疎開が、災間社会で蘇る。

  疎開先の選定にも、ビッグデータが使われた。土砂崩れなどで地区の周囲の道路が使えなくなる。しかし、1本は残る。その先の40㎞離れた仁淀川町が候補地である。

 地区の代表が、その町を訪れて宿泊先や日用品を取り扱っている店舗などを調べている。古い小売店に入って、塩や砂糖などの在庫をみて、「コンビニなどより災害には強い」とうなずく。

  東日本大震災の被災地では、巨大地震から1カ月の間に計724人が亡くなっている。いったんは避難して、命を失ったのはなぜなのか。水や医薬品、食糧などが被災地に十分に届かなかったのである。

  東洋大学教授の小嶌正稔さんは、震災前後の物流のビッグデータから、燃料の供給が十分でなかったことが大きな原因である、と指摘する。

  地震発生の翌日、トラックの動きは震災前の12.5%の水準まで落ちる。主要道路のガレキの撤去は、自衛隊や民間業者が中心となって進んだが、それでも貨物トラックの動きは回復しなかった。

  京都から宮城県を目指した、物資輸送のトラック運転手はいう。

「予想もしなかった光景に直面した。ガソリンスタンドが閉鎖されていた」

 ガソリンを売りつくしてしまったスタンドが続出したのである。長距離トラックは、帰りの燃料のめどがたたないと前には進めない。

  ガソリンを輸送するタンクローリーは、実はガソリンが陸揚げされる港と、スタンドを往復するように効率的な狭い地域とコースを設定されている。仙台港と塩釜港の拠点が津波にやられると、震災地は深刻なガソリン不足に陥った。

  つまり、ガソリンの輸送路は、タンクローリーのよる長距離輸送を前提としていなかったのである。

 しかも、震災地以外の地域には、余剰のガソリンが大量に存在した。システムが輸送を阻んだのである。そして、物資の輸送に滞りがでて、水や医療品などの不足によって、亡くなった被災者がいたと考えられている。

  政府がこうしたガソリンの輸送の問題について、震災地以外から長距離の輸送を指示したのは、3月17日になってからのことだ。

  東洋大の小嶌さんは、地域別にガソリンを備蓄するシステムを構築すべきだと、提言する。つまり、拠点港とガソリンスタンドを結ぶばかりではなく、災害に備えて、中国地方とか地域別に備蓄基地を整備する案である。

  ビッグデータは、社会の制度までも変える力がある、といわれる。

 政府は来月から、国の機関や会社のビッグデータを、地方自治体に送るシステムを開始する。

  東日本大震災を教訓として、災間社会のありようを示す、NHKスペシャルのこれからのシリーズにも期待したい。

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

 フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 寄稿。

  しゃかいデザイン株式会社の社長である宇田川燿平さん(50)は、地域の工芸品の作り手と消費者を結ぶ、ネットサービスの「てしごとクラブ」を昨秋に立ち上げたばかりだ。陶器や漆器、ガラス製品などに加えて、宇田川さんが企画した商品を産地の職人に作ってもらおうと各地を回っている。

 宇田川さんは2004年7月、20歳代で起業して社長を務めるシステムコンサルタントの企業を、東京証券取引所マザーズ市場に上場した。39歳のときのことだ。ITバブル崩壊後の上場は業務内容が評価されてのことだったが、リーマンショック後の業績悪化の責任をとって、2009年秋に退社した。

 「人間としてどうあるべきかを、改めて考えた」という。その答えが浮かんできたのは、ここ数年のこと。「まず自分の手でやってみる」という原点に帰ることだった。広島県などの地域振興に関わったり、中国の都市計画のコンサルタントをしたりしたことも回り道ではなかったという。そして、ネットとモノづくりを融合するアイデアにたどり着いた。

 広島県尾道市の対岸に位置して、尾道水道を構成する向島に、かつては船の帆に使われた帆布(はんぷ)を加工してバッグなどを作る製造所を、宇田川さんが3月中旬に訪問するのに同行した。

 立花テキスタイル研究所は、埼玉県出身の新里カオリさん(39)がたまたま旅の途中で立ち寄った尾道市が気に入って、大学時代に学んだ染色技術を生かそうと設立した。「帆布だけではない。地域の歴史を掘り起こすといまに通じるものが見えてくる」という。

 向島ではかつて帆布に織る綿が栽培されていた。染色だけではなく、綿の栽培からやろうと思い立って、自分の畑ばかりではなく、地元のNPOにも声をかけて年々栽培面積を増やしている。島のはずれにある、廃屋となっている企業の保養施設を利用して、地元のこどもたちに染色を経験してもらうことも考えている。

 宇田川さんが手がけているネットビジネスは、単なる販売のプラットフォームではない。地域の工芸品を作っている人々を文章と動画で紹介するとともに、新たな販路や製品開発を目指している。

 新里さんに手渡した新商品のアイデアは、ちょっと大きめのトートバッグで、中にスマートフォンとPCがそれぞれ収まるポケットがある。宇田川さんは図面だけではなく、百貨店の紙袋を自分で加工した見本も持参した。

 「産地の共通する悩みは後継者難だが、伝承しようと地元以外の人が住み着く例も出ている。ネットと連動すれば、日本の優れた工芸品が守れる」と語る。

 日本の上場企業数は2014年に7年ぶりに増加に転じた。新規上場企業が77社に及んだことと市場から退場した企業が減ったからだ。新興市場の新規企業をみると、ビッグデータの解析や、人材のマッチングなどIT技術を取り込んだ事業が多い。

 向島の山頂から瀬戸内海の島々と海が広がっていた。秋からその実がはじけるという白い綿の波が見えるようだった。起業は雇用を生むのはいうまでもない。宇田川さんのような再チャレンジ組も加われば、今度はITバブルではない。

このエントリーをはてなブックマークに追加