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コラム

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日本文明が世界に浸透する

  フジサンケイビジネスアイ 高論卓説 寄稿。

  徳川綱吉の側用人だった柳沢吉保の大名屋敷の庭園である、六義園に接するようにして、世界的な東洋史の文献を所蔵する「東洋文庫」はある。真夏のうだるような暑さは一転して、雷雨となって、慌てて館内に入った。

 閲覧室の開架には、元朝など中国歴代王朝の史伝が並ぶ。所蔵の文献は漢籍のみならず、チベット語やアラビア語、ペルシャ語などに及ぶ。研究者が数人、黙々と文献に向き合ってノートをとっている。戦前の三菱財閥の岩崎久弥氏のコレクションを核として、蔵書が徐々に加えられて、財団法人化してから昨年で90周年を迎えた。

 平凡社が50年以上にわたってシリーズ化している「東洋文庫」のなかにも、そうしたコレクションの一部が翻訳されている。このシリーズは850点以上に及ぶ。絶版になっているものもあり、中古本を求める研究者が多い。

 いま、シリーズのほとんどが、電子書籍で手に入る。日本の電子書籍事業の草分けのひとりである、イーブックイニシアティブジャパンの会長の鈴木雄介さん(71)が15年前に事業を始める際に、「日本の文化を担っていく」という創業の理念の象徴的な電子書籍として取り組んだ。平凡社にも保存されていなかったシリーズの一部もあって、部下たちは古書店街を駆けずり回った。

 小学館の週刊ポストの編集長などを経て、書籍の編集に関わるようになった鈴木さんは、パソコンで編集、割り付けをして印刷所に入稿するDTP(デスクトップ・パブリッシング)の可能性に引き込まれた。さらに、紙に印刷しなくても、それにふさわしい端末によって読書はできるという考えに至った。出版社や電子機器メーカー、などのメンバーを集めたうえ、旧通産省の補助金を得て、端末づくりに取り組んだ。18年前のことである。

 電子立国・日本は、あと一歩でiPadやkindleの先を行くことができたわけだ。鈴木さんは端末の木製のモックまで作った。残念ながらメーカーなどの経営層が決断できないままに、世界初の電子書籍端末は幻に終わった。

 それでも、電子書籍にこだわって起業し、2011年に東証マザーズに上場を果たし、一昨年秋には東証1部に昇格した。「書店の売り場のなかで最も大きな面積を占めている、漫画も日本文化です」。38万冊を誇る電子書籍点数のうち漫画では、日本最大級である。

 「電子書籍は言語の壁を越えていかなければなりません」と、鈴木さんは電子書籍の将来像を語る。日本市場にとどまっている限り発展はない、という考えである。最近、中国語とインドネシア語で漫画を配信する計画を打ち出したばかりだ。

 神田・駿河台にある本社を下ると、世界的な漫画コレクションの「米沢嘉博記念図書館」がある。コミックマーケットの創設メンバーのひとりで早世した、米沢氏が所蔵していた14万冊以上をもとにつくられた。

 「東洋文庫」と漫画をつなぐ地平に、日本の電子書籍の未来はある。それは日本文明の世界への浸透である。

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世界の若者の心をなぜとらえるのか

窪田正孝のキラと、山崎賢人のLの戦いが始まる

 WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿

 世界的に若者の間で知られている漫画「DEATH NOTE」が、日本テレビ日曜ドラマシリーズで始まった(第1回・7月5日)。

  主人公の夜神月(やがみ・ライト、窪田正孝)は、大学生で地元の区役所の職員を目指している。平凡に淡々と流れる人生を望んでいた。父親の総一郎(松重豊)は刑事である。母は幼い時になくなり、高校生の妹の粧裕(さゆ・藤原令子)と3人暮らしである。

 「努力をしても、カネをつぎ込んでも、人生は変わらない」とつぶやく人生観の持ち主だった。

  原作は2003年から2年半余りにわたって少年漫画誌に連載された。海外でも翻訳本が出ている。

  この作品がいったなぜ、世界の若者の心をとらえているのだろうか。ドラマは、原作の登場人物の性格を変え、また新たな登場人物を造形しているようである。

 主人公のライトが歩む時間と出来事の数々が、若者のいまを描いていくのだろう。

  主人公役の窪田正孝は、「Nのために」(TBS)や「アルジャーノンに花束を」(同)などの最新作など、青春群像を描いたドラマのなかで抜きんでた演技をみせる若手俳優である。「デスノート」でもまた、窪田の演技に魅せられる。

  ライトのバイト先の居酒屋に現れた、高校時代の同級生の不良青年が「デスノート」の最初の標的となった。バイクに乗ったその不良青年に、友人とともに路上の脇にはじき飛ばされそうになったうえに、現金30万円と引き換えを条件とし携帯電話を奪われた。

  ひとり帰宅を急ぐライトの頭上を、死神のリュークが羽ばたきながら、「デスノート」を落としていく。自宅に持ち帰って、仕様書を読むと、その人物の顔を思い浮かべながら名前を書くと、40秒後に心臓麻痺によって死ぬというのである。その後、ライトは詳細にその仕様書を読むと、死因と、死亡時刻も設定できることがわかってくる。

  半信半疑で、さきほど強請られたばかりの不良青年の名前を書いた。翌日、自宅にライトの携帯を持ってきた警察官から、彼が事故で死んだことを告げられる。葬儀を遠くで眺めていると、参列者の会話から、死因が心臓麻痺であることを知る。

  ライトが「デスノート」を使ったのは、父親が過去に捕まえた殺人犯が仮出所後に、母子を人質にとってたてこもった事件である。犯人の名前を書くと、不良青年と同様に心臓麻痺で死に、人質になった母と子どもの身代わりになった父親は無事に救出される。

  ふたりの人間を殺してしまうことになったライトは、苦悩のどん底に落ちてビルの屋上から飛び降りて、自殺を図ろうとする。

 そこに死神・リュークが現れる。

「デスノートを使えば大金持ちになることだってできる」

 デスノートをビルから投げ捨てるライトに向かってこういう。

「もし殺人犯がノートを手に入れたらどうなる?」

  ライトは、凶悪な犯罪に手を染めた、人間を次々にデスノートに名前を書くことによって、殺していく。

  荒唐無稽ともいえるストーリーと、CGによって画面を躍る死神との対話という設定にもかかわらず、ドラマに引き込まれるのはなぜなのだろうか。

 それは、この物語が世界の若者に受け入れられる、理由の一端を示しているようである。

  世界経済は右肩上がりの時代はとうに過ぎて、主要国と欧州中央銀行による流動性の確保によって、かろうじて経済崩壊をまぬがれているようだ。ギリシャをはじめとする経済破たんのなかで、失業に苦しむ若者たちの姿は、ひとりギリシャだけではない。

  若者たちには、切り拓くべき地平は見えてこない。過去を美化するのは間違っているだろう。しかし、彼らの閉塞状況はいま、戦後の歴史のなかで最も過酷ではないのか。

 金融ビジネスのなかで、カネの流れを手中に入れ、起業によって自己実現できる若者は、一握りに過ぎない。

  諦めのなかで、ジリジリとした焦燥感に焼かれるような気持ちでいるのではないのか。現代の青年たちは。

  ライトは50人以上もの人間をデスノートのよって、殺していく。彼の前に立ちはだかるのは、世界の未解決事件に挑むL(山崎賢人)である。ライトの殺人をあばき、ライトを追いつめていく。

  Lとライトの戦いは、正義と悪の戦いとして描かれてはいない。そこにまた、現代の若者たちの苦悩があるのではないか。

  正義とはなにか。社会は正義によって運営されているのか。若者たちを取り巻く環境は、単純にその答えをだせそうにもない。

  ライトとLの戦いを上から眺めるようにして、謎の美少女ニア(優希美青)が登場する。どちらが勝つのか楽しんでいるようである。

  ニア役の優希は、朝の連続テレビ小説「あまちゃん」(NHK)のご当地タレントのユニット・GMTの一員だった。その後、ドラマと映画の出演が続いている。

  ドラマは、この3人の視点が絡み合って、重層的に若者たちの希望と挫折の物語が綴られていくのだろう。

  父親ながら刑事として、大量殺人事件の犯人としてライトを追っていく、松重豊の渋い演技と、妹役の藤原令子の可憐さも見どころになる。

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NHKスペシャル ニッポンの肖像

超金融緩和時代の教訓とこれからの日本を見通す

WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿

  戦後70周年をきっかけとして、さまざまな分野の過去と現在、未来を考える「NHKスペシャル ニッポンの肖像」のなかから、「豊かさを求めて」をテーマとした第1回「“高度成長”何が奇跡だったのか」(5月30日)と、第2回「“バブル”と“失われた20年”何が起きていたのか」(5月31日)をご紹介したい。

  原稿を書いているいま、さきほど23日の東京証券取引所の日経平均の終値は2万0809円42銭で取引を終えた。実に2000年のITバブルのピーク時の2万0833円に近づく水準である。

 米国のFRBのイエレン議長が今年中にも「ゼロ金利政策」から利上げの方向性を示唆して、世界の市場は神経質な展開となっている。

  世界の基軸通貨であるドルを握っているとともに、金融大国である米国が現代の金融市場を主導するとともに、大きな波乱を巻き起こしている。

  NHKスペシャル「“バブル”と“失われた20年”」は、当時の映像を駆使するとともに、政府や日銀の幹部だった人々に対するインタビューによって、バブルが膨らんでいく過程を丁寧に追っていく。いまでは想像できないことではあるが、日本は米国とともに世界経済をけん引する「G2」と呼ばれる存在だった。

  1985年9月の「プラザ合意」がバブルの発端だったと、番組のナレーションは告げる。財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」に苦しんでいた米国が、輸出の拡大などのためにドル安の容認を主要国に同意させたのである。

  当時の日銀理事だった、佃亮二氏は次のように振り返る。

 「俺たちはバブルの戦犯だ。あのとき理事だった仲間と飲むとそういう話になる。あの時に俺たちは(バブルを防ぐことが)きちんとできなかった」

  プラザ合意に基づいて円安に誘導するために、日銀は86年に入って3回にわたって利下げをした。しかしながら、米国はさらなる利下げを迫る。

  宮沢蔵相とベーカー財務長官による合意である。87年2月には公定歩合は2.5%と、戦後最低水準となる。

 当時の日銀副総裁だった、故三重野康氏の日銀が保存している証言録によると、同氏は総裁である大蔵省出身の澄田智氏に、公定歩合の引き下げはバブルをさらに膨らませるから避けるべきであることを強く進言していた。宮沢―ベーカー合意は事前に知らされず、まったくの寝耳に水であった、という。

  89年12月29日、東京証券取引所の平均株価は3万8000円台をつけた。都心部を中心とする地価の高騰は、郊外の住宅地に拡大していった。

 そして、年が明けたバブルは崩壊する。

  「“高度成長”」の物語は、その設計者としてひとりの大蔵官僚に焦点をあてる。故下村治氏である。

  戦後の闇市を歩き回って、下村氏は庶民の消費意欲の旺盛さと、市場にあふれる商品の価格と量をメモして回る。そこには、経済成長のけん引役となる、消費意欲と生産意欲があった。

  ケインズ理論を学ぶことから経済の実態の解明をはじめた、下村氏は独自の理論を打ち立てる。それは、経済成長のためには、企業が設備投資をしやすくする環境を整えることである、というものである。

 しかも、日本経済には10%成長が10年間続く、潜在成長力がある、という主張につながった。

  1960年7月に首相になる、池田勇人氏が政権につく前の勉強会で下村氏と出会い、「所得倍増」のわかりやすい政策目標を掲げたのである。

 高度経済成長は、下村氏の予測を超えて、1954年から20年にわたって続いた。

  下村氏の証言をビデオに収めた過去の映像が紹介される。番組のなかで、もっとも印象的なシーンのひとつである。

  下村氏は証言する。

 「本当に千載一遇の幸運を、われわれはほぼ100%生かしたといえるでしょう」

  設備投資が急増する背景には、日本の戦前から戦中にかけて培われていた技術力と、「人口ボーナス」と呼ばれる団塊の世代を中心とした若い労働力もあった。

 高齢者は少なく、子どもの年齢が低いので、若い労働者は賃金を消費と貯蓄に回すことができる。貯蓄は銀行を通じて、再び設備投資に回る。

  下村氏の存在は、日本の将来について、その設計者の必要性を物語る。

  「ジャパン・アズ・ナンバー1」といわれたとき、米国は衰退に向かっている、と思われた。日本は21世紀に繁栄を謳歌するものと考えられた。

  番組のコメンテーターの経済評論家・堺屋太一氏はいう。

 「規格大量性生産の産業が廃れたアメリカを負けた、と勘違いをしていたんですね。実はアメリカの産業構造の変化が正しかったのがいまわかっているんです」

  野口悠紀雄氏は語る。

 「アップルのように、ブランドを確立するのと、販売は自分でやるが、商品の製造は中国を利用しているんです。高度専門サービス業ともいえる分野で、米国は発展を遂げているのです」

  NHKスペシャル「ニッポンの肖像」シリーズは、「日本人と象徴天皇」を4月に取り上げ、今回の経済分野、そして6月の「世界の中で」は外交問題をとりあげている。いずれも、新たな証言を掘り起こして、これからの日本の将来を照射している。

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日テレ「花咲舞が黙っていない」は続編も好評

テレ朝「エイジハラスメント」、フジ「リスクの神様」……

WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿

「お言葉を返すようですが……」。東京第一銀行の内部不正を調査する臨店班の活躍を描く「花咲舞が黙っていない」シリーズが夏ドラマで再登場して、視聴率も一人勝ちの状態である。主人公の花咲(杏)の決め台詞が今回も「お約束」である。

  帝都物産の新人女性社員の吉井英美里(武井咲)が、総務部員となって、社内のハラスメントと戦う「エイジハラスメント」も、「花咲」を追走している。こちらのお約束は、英美里が握り拳をぐっと固めて「テメェ、五寸釘ぶちこむぞ!」とつぶやいて、理不尽な上司らに挑む。

  企業ドラマは、その内部に観客の視点を誘う。表面的には知っているようで、実ははっきりとはわかない企業の実態を見せていく。

  ドラマは、普段は知りえない人々の喜怒哀楽を見せてくれる。そこには、事実の風刺という「戯画」(caricature)がある。

  「花咲」第4話(7月29日)は、町田支店の融資課の女性行員である、前原美樹(中越典子)が謎のストーカーにつきまとわれている、という事件である。自宅のマンションに忍び込んだ形跡もあった。

 支店長の春日直道(山田純大)と、融資課長の小見山巧(渡辺いっけい)が事なかれ主義で、臨店班の相馬健(上川隆也)と舞(杏)の調査にも非協力的である。

  相馬と舞は、美樹と相談したうえで、帰宅する彼女の跡をつける。マスクで顔を隠した男を取り押さえてみれば、融資課の後輩だった。美樹にあこがれをもった末の行動だったが、自宅に侵入したことは否定する。

 

 美樹は支店が融資して、数億円の負債を抱えて倒産した企業の調査を内々にしていた。自宅に持ってきていたその企業のファイルの一部がなくなっていることに、臨店の相馬は気づく。それは、振込先の一覧だった。

 

 相馬と舞は徹夜で、本店のデータベースからその企業の振り込み実績を一点一点、確認して、ついに不審な振り込み500万円にたどり着く。それは、融資課長の小見山の妻が経営している幽霊会社だった。企業の倒産自体が、小見山と経営者が示し合わせた計画倒産だったことがわかる。振り込みはその謝礼である。

  舞の追及に小見山は、白状する。しかし、こう抗弁する。

 「銀行のためにどのくらい働いて、どのくらい利益をあげたかわかっているか。それなのに、同期に出世で抜かれて、支店長にもなれずに」と。

  舞の決め台詞があって。ストーカーを装った隠ぺい工作に対して、「人間としてやってはいけないことです」と。

  現代の企業では、ドラマのように上司がストーカー行為に対して、事なかれ主義を貫くのは問題視される。銀行の内部で支店の融資課長が、親族の幽霊会社に振り込みを誘導する事件は、ちょっと考えにくい。

  しかし、ドラマには、企業の官僚体質と出世競争を描くには、こうした「戯画」は必要である。観客もそれをわかったうえで、銀行の内部をのぞいた気分になると思う。

 「エイジ」第4話(7月30日)は、海外勤務から花形の繊維1課長に就任した、小田みどり(森口瑤子)が巻き起こすハラスメント騒動に、英美里が立ち向かう。

  小田は、一般職を徹底的に差別する。総合職にも容赦がない。「成果主義」の権現である。耐えかねたふたりの一般職が、小田のパソコンを隠す事態となる。

  英美里は上司の総務課長の大沢百合子(稲森いずみ)に相談したうえで、小田に知られないように一般職からパソコンを取り戻そうとする。英美里に土下座を要求するふたりに対して、ヒールを脱いでひざまずく。「これも給料のうちですから」と。

  小田のハラスメントは止まない。

  英美里の決め台詞あって、小田にいう。

 「あなたは優秀な課長だと思っているけれど、どこの会社にもいるレベルです。部下を成長させられない課長なんて最低です」と。

  毎回繰り広げられるハラスメントの数々は、現代の企業では表面的には抑えられて、水面下に潜んでいるようである。ハラスメントは罰せられるのが常識である。

「エイジ」の戯画は、日本企業の内部に潜む根深いハラスメントを明らかにしている。

 「戯画」ならよいが、「偽画」(fake)は、企業ドラマの本質を傷つける。ふたつの違いはなかなか難しいが。

  フジテレビ「リスクの神様」は、米国でもリスク管理の第一人者となった、西行寺智(堤真一)と、彼の部下となった神狩かおり(戸田恵梨香)の物語である。

 「偽画」がちらついて、ストーリーに深く入れないことを述べる前に、日本を代表する俳優である堤と戸田の魅力にひかれて毎回見ていることを告白しなければならない。

  そのうえで、自走式掃除機が火災を起こしたふたつの案件の解決のために、ひとつは使っていたクリーニング店に建て替え費用と、息子の就職を世話する条件をだしたことと、ふたつ目のケースでは、主婦に現金を渡したうえに、浮気の証拠写真を渡している。

  企業の常識からすると、これはリスク管理ではなく、かえってリスクを高めることである。

 と、正面切って反発するのも、観客としては大人気ないのかもしれない。

 

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ELNEOS 8月号  「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦

 メディアが名誉棄損の訴訟に敗訴する事例が増えている。

週刊文春の記事によって名誉を傷つけられたとする、元女優の訴えに対して、東京地裁は五月末、発行元の文藝春秋社に四四〇万円の賠償と同誌に謝罪広告をだすことを命じた。

 東京地裁はその後、読売新聞の報道によって、中国に情報を流していたされた、元代議士の訴えに対して、同社に三三〇万円の支払いを命じた。

 メディアの報道は、社会の利益に沿うものとして、公人である個人を批判する。法人格を持つ企業もまた、その社会的な存在と広範な影響力から、報道の対象となる。

 企業とはどうあるべきなのか。メディアの側にいても、企業の側にいても、わたしの念頭から離れることはなかった。いまでもその煩悶は続いている。

 いうまでもなく、法律上の規定に基づいて設立されるのが、法人格である。英語のlegal parsonalityがまことに分かりやすい。人格parsonalityを持つのである。

 これを補助線として考えるとき、企業もまた個人と同じような人格を問われるのではないか。

 資本主義社会において、企業は利益を上げることを求められる。この責任を果たさない企業に対して、メディアはその経営層と戦略について批判する。

 それでは、高収益企業であれば批判は免れるのか。そうではないだろう。

 メディアは社会の鏡である。そこに映る企業の姿は、経営層や従業員が考えている自らの姿とは異なっていることが多い。

 社会の鏡はなにを映すのか。それは企業の人格である。高収益企業であることによって、社会的な地位は確保できる。しかしながら、敬意を払われることは別である。

 人々から敬意を払われない個人が、真の友人を得られずに、社会から孤立してしまうと同じように、敬意なき企業はいずれ、社会からかい離していくのではないか。

 そうした視点に立って、記者時代は企業を観察したものである。その結果として、その時点ではメディアの喝采を浴びた企業や経営者を批判することになった。

 敬意される企業や経営者とはなにか。それは社会の動向に対して謙虚であり、事態の変化に柔軟に即応する力である。

 メディアという社会の鏡に映る自らの姿に、そうか、そういう見方もあったのか、と感応する能力である。

 ソニーの創業者である、盛田昭夫氏とそのパートナーであった、大賀典雄氏にも、そうした力と能力があったと思う。

ソニーの凋落の端緒を報じた記事に対して、「幾度もその凋落を乗り越えてきましたよ」と大賀氏は笑顔で答えたのであった。

 新聞記者から広報室長になる直前の報道も、トップの感応する能力を感じさせる出来事だった。経営破たんした長期信用銀行に、ネット銀行進出を目指して出資した。メディアは、グループ企業に優先的に融資するいわゆる「機関銀行」ではないかと批判した。トップは、この長期信用銀行の役員からグループ出身者を引き上げ、そうした見方を否定した。

(この項続く)

 

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