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SankeiBiz 12月7日 寄稿

晩秋の晴天の光に照らし出されるように、東京電力福島第1原子力発電所の1号機から4号機が、見学デッキから間近に迫ってくる。水素爆発によって建屋の上部が吹き飛んだ、1号機、使用済み核燃料の取り出しが近い2号機、ドーム型のカバーが取り付けられた3号機、使用済み核燃料の取り出しが完了している、4号機。第1原発の見学会に参加して、初めて構内に入った。

 海側に立ち並んだ、原発群から振り返って西側をみると、さまざまな形と色のタンクが林立している。構内で発生している汚染水の処理水が貯蔵されている。半世紀先をにらんだ、廃炉作業を続けるためには、使用済み核燃料などを保管する施設建設のためにタンク群を撤去しなければならない。政府は処理水の海洋投棄の方針を固めたが、地元漁協などの反対にあって膠着状態が続いている。

 東日本大震災の巨大地震と大津波、そして原発事故から年が明ければ10年。これを前にして、「日本で一番原発に近い大学」といわれ、筆者が研究者として在籍している、東日本国際大学(いわき市)において初秋、「災害現場の初動から真の復興、そしてウィズコロナの未来に向けて」と銘打ったシンポジウムが開かれた。原発事故の対策にかかわった国内の放射線などの研究者や、ハーバード大学の災害対応の研究者らが参加した。

 国際危機管理者協会・日本支部会長の永田高志さん(九州大学・災害救急医学分野助教)は、原発事故と新型コロナウイルスによるパンデミックス対策の共通点を指摘する。社会機能のマヒが広範囲に及ぶ、危機をいかにわかりやすく伝えるかのクライス・コミュニケーションが重要な役割を担う、そして発生当初は対策の方向性がみえないことである。放射能もコロナウイルスも目に見えないために、恐怖や不安が人びとを襲う。恐怖心を克服するために、コミュニケーションは医師が担い、相手のこころに寄り添う共感性が必要だ、と説く。

 ハーバード大学准教授のステファニー・ケイデンさん(家族人道主義戦略研究所部長)は、コミュニケーションのありかたとして、迅速である、正しい、信頼できる、尊厳を認める、理解が容易であることなどを上げる。

 防衛医科大学校・防衛医学研究所長の四ノ宮成祥さんは、オウム真理教の地下鉄サリン事件や旧ソ連時代に起きた、炭そ菌の漏出事件など、生物化学兵器によるテロなどの教訓からも学ぶべきだ、と強調する。原発事故に派遣した自衛隊員に対して、放射線量の測定とともに、メンタルヘルスの確保に重点を置いたという。こうした対策は、新型コロナに感染した乗客が収容された、ダイヤモンド・プレインセス号に派遣した隊員からひとりも感染者が出なかった要因だという。

 大規模な事故や災害の直後には、それに立ち向かった「英雄」たちの物語がつづられる。事態が改善しないなかで、絶望が生まれる。そして、時を経て「復興」のステージに入る。このなかで、日本の危機管理体制は再構築される必要がある。シンポの参加者である、永田さんらと官僚が共同で「緊急時総合調整システム」(2014年、日本医師会)が編まれた。クライシスが発生した時の組織の在り方を記したマニュアルである。医療関係者や厚生行政の専門家、地域のリーダーなどに広く読まれている。

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  Sankei Biz 10月19日付 寄稿

遅い夏休みをどう過ごすかを考えた。政府が推進している新型コロナウイルス対策の「Go To Travel」や「Go To Eat」もいいけれど、割引やポイントがなくても、自分で日程を組んで「Go To Theater」つまり芝居や映画を観に行くことにした。

 政府の自粛要請によって、公演の中止が相次ぎ、映画館を満席にできなかった3月初旬、日本俳優連合理事長の西田敏行さんが、当時の安倍晋三首相と菅義偉官房長官、加藤勝信厚生労働相に対して「緊急要請」した言葉が忘れられなかった。

 「出演者へのキャンセル料等の話し合いに到底至らないケースが多く、生活に困窮する事態が見えています。加えて俳優のほとんどは個人事業主、雇用類似就労者であるため、『学校の臨時休校に伴う雇用調整助成金制度の拡充補完対策』及び『事業者を対象とする資金繰り支援の貸付』の対象になりません。私たちにとっては仕事と収入の双方が失われ、生きる危機に瀕する事態です」

 私家版「Go To Theater」最終日の10月14日、国立劇場(千代田区隼町)の10月歌舞伎公演第一部は、座長の松本幸四郎さんが演目のひとつに、歌舞伎研究家にして創作家の鈴木英一さんの新作「幸希芝居遊(さち・ねがう・しばい・ごっこ)」をかけた。

 江戸の芝居小屋が幕府の命令によって上演中止となる。芝居がしたくてたまらない幸四郎さん演じる座長や座員たちが、ひそかに集まって歌舞伎の演目の名場面の数々を演じる。小屋が閉鎖された理由が、うまい秋茄子を将軍さえ3個しか食べていないのに、座長が10本食べたというのがおかしい。お上のやり方を笑い飛ばしている。「流行り病のせいではなかったのか」という座長のせりふに客席も笑いに包まれる。

 新型コロナウイルスの感染に揺れる日本社会に、アイロニー(皮肉や反語)で立ち向かうことにかけては、劇作家の宮藤官九郎さんも負けてはいない。首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗死刑囚を題材にした「獣道一直線!!!」をPARCO劇場(渋谷区宇田川町)で8日に観た。観客がすわる座席をひとつおきにしなくてよくなったことに触れて、舞台のヒロインは客席に向かって「もっと入れろ」と叫ぶ。登場人物たちが、役者をネタにした歌のなかで「不要不急のアクター!」のフレイズを繰り返した。

 「Go To」キャンペーンは、「Travel」と「Eat」があって、なぜほかはないのか。政策立案者の基準は、市場規模だろうか。日本旅行業協会によると、2019年の国内旅行の取り扱い額は2兆8300億円。日本フードサービス協会は、外食産業の市場規模を26兆439億円と推定している。これに対して、演劇やコンサートなどの「ライブ・エンタテインメント」市場規模は、ぴあ総研の推計で6295億円である。

 市場規模の大きい分野に税金を投じるのは、政策の効果の最大化のためには理にかなっている。その一方で制度設計の不完全さも明らかになった。「Travel」は割引率が一律なので料金が高額な旅館やホテルに客が流れた。「Eat」では少額の飲食でポイントを稼ぐ行為が頻発した。西田敏行さんがいう、「生きる危機に瀕する」劇作家と俳優たちの舞台を観て感じたのは、コロナ下では数字にできない「共感」が大切だということだ。国民にそれを呼ばない政策は、どこかに落とし穴がある。

(以上です)

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政治経済情報誌「エルネオス」が9月号をもって、休刊した。筆者が広報パーソンのために連載していた「ほまれもなく そしりもなく」は、99回で終了した。「白寿」ということになろうか。

「エルネオス」は26年間にわたって、計310号を出した。編集長の市村直幸さんとは創刊の初期から匿名の執筆者として加えていただいた。

政治経済情報誌としては、「選択」や「テーミス」、「ファクタ」などに比べて、格段に「中庸」と「進取」の気概があったと思う。それは、筆者に自由に書かせるという編集長の市村さんの編集方針が大きい。

筆者の書いた記事としては、企業年金がいまほど問題にならなかった当時、提案を受け入れてくださった。市村さんから「(企業年金問題は)うちが一番早かった」といっていただいたときはうれしかった。

最近では、フィンランドの「ベーシックインカム」が、欧米各国でも採用の動きがあることを報じた記事が思い出に残る。新型コロナウイルスの感染がパンデミックになったのにともなって、各国の現金給付は「ベーシックインカム」そのものであり、今後もこの制度は継続していくべきではないか、という論調が欧米のメディアで報じられてきた。

自慢話は鼻につく。ひとえに、編集長の市村さんに感謝してあまりある。新聞記者から広報パーソンに転じて、その後独立したことを市村さんにお知らせすると、すぐに連載を依頼された。政府や企業の危機管理を考えると同時に、関連する新刊書を渉猟する日々はとても楽しく、また勉強になった。

連載期間が8年余りにもなった「ほまれもなく そしりもなく」は、いまは未確定で詳細を記すことができないが、筆者のこれからの人生の岐路を決めるきっかになりそうである。

「エルネオス」の連載陣として、宮崎正弘先生や佐藤優先生、元木昌彦先生、金田一秀穂先生らと名前を並べた、ライターとしての幸せを与えてくださった、編集長の市村直幸さんに改めて御礼を申し上げます。

休刊に伴うエルネオス出版社の精算が終わり次第、仲間で市村さんを慰労しようという声が澎湃と上がっている。

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政治経済情報誌「ELNEOS」7月号寄稿

関西電力の首脳陣に対して、高浜原子力発電所の地元の町幹部経験者から金品の提供があった問題などについて、同社は第三者委員会(以下、委員会)の報告を受けて、六月中旬に旧経営陣五人に善管注意義務違反があったとして、計約一九億円の損害賠償訴訟を提起することを決めた。

 委員会の報告書は、町幹部から関電の役員と職員計七五人にわたった金品は、一九八七年から二〇一〇年代後半にかけて計三憶六〇〇〇蔓延に上ったことを明らかにした。木穴沢国税局が二〇一八年に関電にも調査に入ったのを受けて、内部調査をしたにもかかわらず、役員研修会という集まりで検討したうえで、社外取締役を含む取締役会や監査役会にも明らかにしなかったばかりではなく、対外公表もしないことにした。監査役会に報告されたのは、内部調査の結果が出てから三カ月余りあとあとだった。

 東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、関電の原発も稼働が停止し、経営不振に至った一二年三月から一九年九月まで役員賞与が削減されたのに対して、その後補てんされていた事実も明らかになった。

 さらに、高浜原発の地元の町幹部経験者から受け取った金品に対して、金沢国税局が役職員に対して追徴課税を行ったことに対しても、追加納税分を補てんしていたのだった。

 大企業の社外取締役や第三者委員会のメンバーなども経験してきた、会計学者の八田進二・青山大学名誉教授は、最新刊の『「第三者委員会」の欺瞞』(中公新書ラクレ)のなかで、企業の経営者が不正に走る要因として、「不正の三角形(トライアングル)」という概念を紹介している。

 すなわち、➀不正をする動機②不正をする機会⓷不正を正当化する実行行為を自らが正当化し、これを決断する、という三要素から構成されている。

 この概念はもともとアメリカの犯罪学者のドナルド・R・クレッシャーが導き出したもので、個人による横領や着服といった犯罪以外の企業「不正」にも応用が広がったものであるという。二〇世紀末から公認会計士の監査の現場でも導入されるようになった。

 報告書が明らかにした関電の不正はまさに、この「不正のトライアングル」そのものではないか。

 原子力発電所の立地について地元の摩擦を避けようとする「動機」があった。地元の町幹部からの金品の提供という「機会」があった。さらに、こうした行為を自らが正当化する「決断」があった。

 企業の第三者委員会の報告書について、ボランティアとして評価を下す「第三者委員会報告書格付け委員会」の委員を務めて、会計学の側面から第三者委員会の改善の提言を続けている。

 そうした実学家である、八田教授は第三者委員会には否定的である。それは、山一証券の破綻による内部調査委員会にその歴史を発する、日本独自の仕組みであり、企業の府営は本来、欧米のように監査役および社外取締役が専門家の協力を仰ぎなら徹底的なメスを入れるべきものである、という確信にある。  

(この項了)

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政治経済情報誌「ELNEOS」5月号寄稿

 新型コロナウイルスによる、パンデミックはついに、日本政府が対象地域を全国に広げる非常事態宣言を発する事態になった。企業のあらゆる組織は、ウイルス対策に関する情報の収集を続けている。

 メディアのあふれる情報のなかで、筆者が最も注視すべきである、と考えているのは、厚生労働省が二月下旬に設置した、専門家チーム「新型コロナウイルス対策班」である。

 リーダーの東北大学教授の押谷仁氏はWHО(世界保健機関)において、SARS(重症急性呼吸器症候群)の封じ込めの指揮を執った。感染症数理モデルの第一人者である、北海道大学教授の西浦博氏は日本における感染症の拡大の要因として、「密閉」「密集」「密接」のいわゆる「三密」の存在を国内の感染者の分析から発見、警告を発した。

 政府や地方自治体に対して、独立した立場で提言するために、無給であることに驚かされる。さらに、危機感からチームのメンバーがSNSなどを通じて情報発信をしている。

 情報分析のプロフェッショナルたる、広報パーソンはこのチームの発言の分析を経営層に伝える任務がある。

 列島の全体が非常事態宣言に覆われる直前の四月一一日、押谷教授はNHKスペシャルの番組のインタビューに答えて、次のように述べている。

 「いかにして、社会や経済活動を維持したうえで(新型コロナウイルスの)収束を図るか。都市を封鎖して、再開し、また封鎖するようなことがあれば、経済も社会も人の心も破綻する」

 「その先にあるのは、闇です。そんなことをやってはいけない」と。

 企業の組織にとって、社会と経済を闇に突入させない防波堤は、広報と法務部門である。このシリーズで、いまは亡きIT企業の実質的な創業者から直接聞いた「法務と広報は、企業のブレーキ役である」という言葉を紹介したことがある。

 パンデミックは、国際的な契約から国内の雇用関係などに至るまで、法務部門がかつて経験したことのない事案を抱えることになるだろう。広報部門との連携がさらに試される。

 係争の場となる、裁判所もまたこれまでにない提訴を受けることになるだろう。

 裁判手続きに関する法律書は当然のことながら、数々ある。公平にして、かつ独立した裁判官によって判決が書かれる、とされてきた裁判所について、官僚機構としてアプローチした著作は極めて少ない。

 パンデミックの危機において、裁判所の内部を穿った著作の存在があれば、法務部門が企業を闇に突入させることを避ける一助になるのではないか。

 ジャーナリストの岩瀬達哉氏の最新刊『裁判官も人である』(講談社刊)は、そうした使命感を抱く企業人にとって、必読の書である。

 岩瀬氏は、百人を超える裁判官に対するインタビューによって、歴史的に司法権が行政権によって、牽制されてきたことを明らかにしている。あるいは、司法権が行政権を慮る実態にも迫っている。

 裁判所に信頼を寄せる人々の救いとなるのは、本書の副題の「良心と組織の狭間で」良心に従って判決を下す幾人もの裁判官たちの存在である。

 岩瀬氏の過去の作品同様に、けれん味のない真摯な文章が読ませる。

         (以上です)

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