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政治経済情報誌・ELNEOS 8月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 インターネットの普及によってより自由な空間が創造できるという「ユビキタス」社会の理想は崩れた。米中央情報局(CIA)の元職員であるエドワード・スノーデン氏が暴露した文書は、米安全保障局(NSA)が、個人の通話とメールの受送信先の記録、SNSの履歴など、あらゆるメタデータを収集している事実を明らかにした。

「スノーデン文書」に基づいた調査報道の分野で、英ガーディアン紙とともにその分析と取材に当たった、ジャーナリストのグレン・グリーンウッド氏の著作『暴露』(・二〇一四年・新潮社刊)によれば、NSAの情報は「ファイブ・アイズ」と呼ばれる五カ国によって共有されている。すなわち、米国と英国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアである。

 さらに、「一般的にアメリカの友好国とみなされる民主国家―フランス、ブラジル、インド、ドイツなど―さえ諜報対象国に含まれていた」という。日本もこれらの国のなかに入っている。政府のみならず、企業、個人の情報も対象であることはいうまでもない。

「スノーデン文書」によって、独のメルケル首相の携帯電話も盗聴されていたことが発覚すると、独政府は間髪を置かずに米政府に抗議した。

 さて、日本はどうか。『暴露』によれば、NSAの「すべてを収集する」という戦略の観点から、運用技術の責任者は二〇〇九年に三沢のある諜報施設について運用能力の向上をほめたたえる。「衛星で感知した瞬間に信号を自動的にスキャン・復調する機能を開発。われわれの計画は“すべてを収集する”というスローガンにまた一歩近づき、今後もさらなる進歩が期待される」と。

 NSAと情報共有の関係にある「ファイブ・アイズ」と日本の関係に変化があったのではないか。NHKの「クローズアップ現代+」が、スノーデン氏の活動を支える米NPОとともに新たな日本に関する十三のファイルに関するスクープであった。

「すべてを収集する」方針のもとにデータベース化された情報から、個人名やメールのアドレスなどで一括して検索できるプログラムが、米政府から日本政府に提供されたというのである。「スパイのグーグル」と呼ばれる「XKEYSCОRE」である。

 番組のインタビューに応じたNSAの元幹部であるトーマス・ドレイク氏は次のように語った。

「日本向けに特別に組み替えたバージョンを提供した。米は日本から情報の収集、分析の結果を共有できる。日本の立場が一ランク上がったことを意味する」

 スノーデン氏本人も登場して、日本人に対して警鐘を鳴らした。

「日本社会は、国民のプライバシーを大事にする国だったが、変わりつつある。世界の国を対象にした、『報道の自由度ランキング』も落ちている。知る権利があって、自由で開かれた社会はある」と。彼は横田基地など、日本の勤務の経験もある。

『暴露』の筆者であるグリーンウッド氏に接触を試みたスノーデン氏がまず要求したのは、メールの監視がほとんど不可能なアルゴリズムを使ったソフトをダウンロードすることだった。

 企業活動に対する共産圏によるインターネットを通じた諜報活動もある。世界はより「監視社会」の様相を深めている。

           (この項了)

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政治経済情報誌・ELNEOS 7月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 インターネットの普及によって、あらゆるものがコンピューターにつながり、その空間のなかで自由な議論が進み、新たな産業が生まれていく――「ユビキタス」社会と呼ばれる理想の社会が実現する夢が語られた。

 しかし、あらゆる情報を収集しようとする国家と技術の進化は、この世界を監視社会に変えてしまった。

インターネットによって、プライバシーが侵害される時代に我々は生きている。企業もその例外ではない。広報パーソンは「ユビキタス監視社会」に関心を払うべきである。

 米国家安全保障局(NSA)による大規模な個人情報の収集を告発した、米中央情報局(CIA)の元職員であるエドワード・スノーデン氏が四年前に暴露した事実は、世界を揺るがした。NSAの膨大なファイルは「スノーデンファイル」と呼ばれる。

 スノーデン氏は自らそのファイル

がプライバシーを侵害している事実を分析して明らかにはしない。それはメディアの調査報道の仕事である、と明確に述べている。

「スノーデンファイル」について、英国のザ・ガーディアンと協力して数々のスクープを放った、ジャーナリストのグレン・グリーウッド氏は、このファイルがスノーデン氏によって、的確に分類され、しかも文書を読み解くために専門用語の辞書までもが作成されている事実を明らかにしている。(『暴露』グレン・グリーンウッド著、田口俊樹氏ら訳)

「スノーデンファイル」のうち日本に関係する一三のファイルが四月下旬に明らかになった。このファイルの報道にかかわってきた、米国のNPО「インターセプト」と、NHKの協力による。その主要な点については「クローズアップ現代+」が報じた。NHKは今後もこのファイルの分析を続ける、としている。

 今回の報道の最大の焦点は、米国が大量監視プログラム「XKEYSCОRE(エック・キー・スコア)」を日本政府に提供していた事実である。このプログラムは「スパイのグーグル」と呼ばれる。

 NSAはすべての情報を収集する。個人の通話、メール履歴、SNS……発信者と受信者を記録する「メタデータ」として保存される。

「XKEYSCОRE」プログラムに特定個人の名前やメールアドレスを入力すると、その人に関するすべての情報が閲覧できる。

 NHKのインタビューに対して、スノーデン氏と同様にNSAを告発した、元技術部門のトップであるウィリアム・ビニー氏は、このプログラムを「民主主義を破壊しかねないウィルス」と断じる。

 NSAに対する日本側の対応先である、防衛省はこのプログラムが日本に提供されたかどうかついて、回答を避けている。

 犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の構成要件を改めて、「テロ等準備罪」とする改正組織犯罪処罰法が六月一五日、徹夜国会の末に成立した。国会審議のなかで、政府は「共謀罪」は将来的に通信傍受の対象となる可能性も示唆している。

「XKEYSCОRE」プログラムと「共謀罪」を結ぶ線はあるのだろうか。

         (この項続く)

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政治経済情報誌・ELNEOS 6月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 説明責任とは、単に説明するだけではない――東京大学大学院教授の山本清氏の『アカウンタビリティを考える どうして「説明責任」になったのか」』(NTT出版刊)を手がかりにして前回、欧米で生まれた「アカウンタビリティ」の歴史は古代アテネ民主制に遡り、市民に対して納得する説明をできなかった場合は処罰されるという厳しい概念であることを学んだ。

 しかも、アカウンタビリティが「説明責任」と翻訳されたのは、2000年代初めに外来語をできるだけ日本語に訳そうという国立国語研究所による。

 アカウンタビリティを担う企業経営者や政府高官、政治家らが、欧米とは異なる「説明すれば済む」という姿勢を取る傾向が強まっている。

 国家と資本は歯止めがなければ必ず暴走する。アカウンタビリティを問う立場にあるメディアや、政府・与党に対する野党もまた、「説明」を求めるだけに終わっている。

 東芝は5月15日、監査法人意見が出るのも待てない状況のもとで2017年3月期の決算を発表した。債務超過額は五四〇〇億円の巨額にのぼった。

 記者会見において、出処進退を問われた、細川智社長は「(社長)指名委員会の決定に従う」と述べた。

 世界標準のアカウンタビリティに従うとすれば、東芝が巨額の債務超過になぜ陥ったのか、誰がこうした事態を招く経営判断をしたのか。株主や従業員、工場を各地に立地している社会的責任から市民らの幅広いステーク・ホールダーに対して、納得のいく説明をして、それが十分ではない場合は罰せられる、という認識が、細川社長からは感じられない。

 政府・与党に対する野党の批判は、アカウンタビリティではなく、首相や閣僚らの失言の追及に絞って、党勢の回復の転機を探っているようだ。

「テロ等準備罪」の国会論戦は、安倍晋三首相が「そもそも罪を犯すことを目的とする集団」と答弁したことから、民進党の追及はこの「そもそも」の文言が、安倍首相のいう「基本的に」という意味があるかどうか、辞書に記載されているかどうか、という点を争点にしている。

 政治学・行政学上のアカウンタビリティが確立されるきっかけとなったのは、1986年に起きた米国航空宇宇宙局(NASA)のスペースシャトルの爆発事故だった、と山本氏は強調している。

打ち上げ当日の天候ではリングの接合部分に異常が生じる恐れが予想されていた。それにもかかわらず、打ち上げられたのは、当時のレーガン大統領が事業化に強い意欲を持っていたのと、議会が予算を削減しようとしていたことなど、複数の要因が重なり合った。

アカウンタビリティの担い手が複数であることに加えて、それらの利害が複雑に絡まっている。

こうした延長線上に新たなアカウンタビリティが生れている、と山本教授は指摘する。つまり、中央銀行や会計検査院あるいは原子力の規制機関など、政府や国会から独立した組織の問題である。

こうした新たな論議について、日本はこれから深めていく必要がある。

(この項了)

 

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政治経済情報誌・ELNEOS 5月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 東芝は四月一一日、二度にわたって延期した二〇一六年四月~一二月期の連結決算を発表した。監査法人の適正意見がない異例の事態。債務超過額は二二五六億円に上った。

 メディアは東芝に対して幾度も、「説明責任」を求めた。

 国会では、森友学園が国有地を周辺の地価に比べて格安の価格で手に入れた問題について、与野党が「説明責任」をめぐって対決している。

「説明責任」は魔法の呪文のように万能な言葉として使われているのではないか。その意味は、いったい何なのだろうか。

 ここでは、東京大学大学院教授の山本清氏の『アカウンタビリティを考える どうして「説明責任」になったのか』(NTT出版)をてがかりとして、その問題を考えてみたい。「accountability」が日本語に訳された瞬間に本来の意義が変質したことを山本氏は明らかにしている。

 アカウンタビリティは「ガバナンス」や「ネットワーク」と並ぶ「現代版の三種の神器」である、としたうえで山本氏は、それが「善」なるものであるという暗黙の前提がある。しかし、これに対しても山本氏は疑義を提起する。

 まず、「accountability」が「説明責任」とされたのは、国立国語研究所の外来語委員会による。外来語が言語のままで表されているに対して、日本語かの取り組みが二〇〇〇年代初めになされた。

 原義は古代アテネの民主制にさかのぼり、「自己の行為を説明し正当化する義務で、説明者はその義務を的確に果たさない場合には懲罰を受ける可能性を持つ」である。

 欧米はこの意味を念頭においている。それに対して、日本の「説明責任」は懲罰を受けるという責任の概念が希薄となっている、と山本氏は指摘するのである。このことは、グローバル化した世界のなかで、他国が要求する「accountability」と齟齬をきたしている。

 こうした視点から、山本氏は「マスメディアは我が国でも公式な統制・評価や監査制度を補完するものとして重要な役割を果たしているが、その利点と制約も的確に認識しておかなければならない」と述べている。つまり、「説明責任」という曖昧化した日本の概念を補完するものとして、メディアの存在をあげているのである。

 日本企業の「accountability」を説明すればよし、とする日本版の視点から国際標準にするためには、メディアの取材の前面に立つ広報パーソンの役割は重大である、と筆者は山本氏の論述から考え至るのである。

 東芝の広報部門に対するメディアの批判は、適時開示がなされていないことに集中している。それよりも世界に通じない「accountability」であることが致命的なのである。

「日本社会には『誰が』、『何に』責任があるかを事前に明確にして、初めて成立するアカウンタビリティ概念と主体の特定化が欠如している」と、山本氏は指摘する。

さらに「国民は社会に対する報告責任もなく、あるのは事後に社会から圧力が国民にかかってくるのである」と。日本版「アカウンタビリティ」の病巣は深刻である。

         (この項続く)

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政治経済情報誌・ELNEOS 4月号寄稿 ほまれもなくvそしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

「特に集団思考の強いグループに特徴的にみられるのは、結果へのコミットをせず……実行を担保するにあたっては……手続きと年次ヒエラルキーを重視し、無謬性に固執するがゆえに改善を否定し、そして形式主義に基づく組織の操作でその場を乗り切ることを是として信じて疑わないマインドセットである」(「なぜ『異論』の出ない組織は間違うのか」・宇田左近著)

 宇田氏はマッキンゼーのコンサルタント出身で、郵政民営化にかかわり日本郵政と郵便事業株式会社の専務執行役員を務めた。福島第一原子力発電所の事故後に、日本の憲政史上初めて国会に設置された、事故調査委員会において、報告書をまとめる調査統括になった。

 この著作の解説のなかで、調査委員会の委員長である黒川清氏は、次のように指摘する。

「『集団思考型(Groupthink)マインドセット』というのは実に根深い問題だ。『集団思考の愚』というのは世界共通の課題ではあるが、特に日本社会では根深い問題である」

 本稿執筆時点で、東芝の不正経理問題の成り行きや予断を許さない。パソコン部門で始まった問題は、原子力部門の子会社である、米ウエスチングハウスが、日本の民事再生法に相当する「チャプター・イレブン」の適応を申請する方向が明らかになった。

 大阪府内の国有地をめぐる、「森友学園」の問題もまた、補助金申請に際して虚偽の工事費を提出するなど、土地取引の実態解明は進んでいない。国有地を管轄する財務省理財局と、出先機関である大阪財務局が、森友学園に対してどのような対応をとってきたのか、その責任も不明である。

 東日本大震災から六年を経て、あの時に原発事故のみならず、政府の混乱のなかで、黒川氏と宇田氏が指摘した「集団思考型マインドセット」の罠に、日本の組織は依然として陥ったままである。

 調査委員会の参考人質疑などを終えるたびに記者会見を開いた、委員長の黒川氏は、記者たちが公開されているのを見聞きしながら「委員長の言質を取りたがる雰囲気は最後まで変わらなかった」「規制の虜❘❘グループシンクが日本を滅ぼす」)と、日本のメディアを批判する。

さらに、「基本的に、日本のジャーナリストは、ジャーナリストとしての基本的な姿勢を教育、訓練されていないし、認識していないか、あるいは認識していても発揮できないと思っている。問題を『自分のこと』として真剣に考え、どう行動するかが問われているのだ」と述べる。

広報パーソンは、そうしたジャーナリストたちを御しやすいと考えてはならない。経営層や広報部門が意図する方向で報道されることが、広報戦略である、という誤った認識が主流になることを恐れる。

「集団思考の愚」に陥ってはならない組織の要が、広報部門である。企業の危機を先送りできても、いずれ組織は死に至る病に侵される。宇田氏は言う。

「『その時自分だったらどうするか』を一人称で考えてみる必要がある。国民として、組織のトップとして、あるいいは組織の一員として」と。

 

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