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政治経済情報誌「ELNEOS」12 月号寄稿

 日本人の思想、信条、行動について、独自の論考続けた、故山本七平氏の過去の論文をまとめた新刊『新聞の運命』(二〇一九年、さくら舎)がある。新聞に切り込んだ視点はいまも新しい。

新聞が本質的に抱えている「正義」について、次のように説いている。

「仮借なき正義の言葉を吐けるのは、実は、自分がその相手を憎んでいるときなのだ」

「憎悪という衝撃力で正義を投げつけたとて、人はそれに驚くだけで、その正義に動かされることはない。そして動かされないことを知ると、人間はまことに幼稚なレトリックしか考えない。すなわち、これでもかと活字を大きくし、これでもかと衝撃的・刺激的な大げさな見出しを考え……だがそれをすればするほど読者は離れ、しまいには『またか』とうんざりして来る」

こうした新聞の正義と憎悪と一線を画した新聞人として、朝日新聞のコラム「天声人語」を一九七〇年代前半に担当しながら四六歳で亡くなった、深代惇郎氏をあげる。ロッキード事件によって首相を退陣した、田中角栄氏について書いたコラムを引いている。

「フォード大統領の滞在中は『政治休戦』のはずだったが、田中内閣はその五日間さえやっと持ちこたえたいう感じである。首相の辞任決定に、何はどもあれホッとした。

 『あの土地は何坪で、坪当たり何千円でございます』『ユウレイ会社といっても違法ではございません』といった総理答弁をこれから毎日聞かされるのは、正直いってやりきれない思いだった」

 山本氏はこう述べる。

 「深代さんはここで『正義の代行人』として田中前首相を糾弾しているわけではない。だがこれを読むと、『やりきれない』『ありゃもうたくさんだ』『彼が辞めてホッとした』という気が、誰でも、それを読むたびに甦ってくる。そしてこの甦ってくる言葉だけが、その言葉が発せられたときにも、人びとを動かし得るのである」

 新聞の正義と憎悪の前面に立っている、広報パーソンにとって、山山本氏の言葉は心にしみる。広報部門の経験者として、メディアのなかに、深代惇郎氏ほどとはいわないが、正義と憎悪から遠い視点をもったジャーナリストがひとりでもいれば、企業の危機は乗り越えられると考えていた。

 ソフトバンクグループが一一月初旬に発表した、二〇二〇年第二半期の決算発表会において、会長兼社長の孫正義氏は、プレゼンテーションのはじめに、荒海に最近の同社の経営危機に関する新聞記事の見出しを並べた。

 「今回の決算はぼろぼろ。真っ赤っかの大赤字。三カ月でここまで赤字を出したのは創業以来初めてだと思う」と、語りだした。新聞の指摘する点について具体的な数字をあげて反論する形となった。株価は翌日こそ下がったが、その後持ち直した。正義と憎悪から距離を置くジャーナリストは、言葉によって読者の心を打つ。彼らを動かすトップもまた、言葉の力を信じなければならない。

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政治経済情報誌「ELNEOS」11月号寄稿

■AIの進展やグローバリズムによる所得格差の拡大は一気に進んでいる。少子高齢化は進み、年金制度にも不安は尽きない。そんな不安を解消できる仕組みの見直しが進む――

社会保障制度の再構築を目指す

 北欧のフィンランドは、女性共同参画社会や教育制度などの先進国としてこれまで世界の耳目を集めてきた。そのフィンランドで今、世界で初めて国全体を対象にしたベイシック・インカム(BI・無条件給付の基本所得)の実験成果とその行方がいま、脚光を浴びている。米国の大統領選挙の候補者選びに影響を与え、EUからの離脱に揺れる英国では、下院総選挙の結果を左右しかねない。

 その実験とは、ベイシック・インカム(BI・無条件給付の基本所得)。収入が途絶えたときの生活保障の基礎分にあたる。基礎年金や雇用保険、生活保護の大部分が、このBIに置き換わる。

 給付については、行政の審査が伴わない。無条件かつ個人を対象とする。つまり、ある国の市民となれば、生まれた瞬間から受給資格がある。生活保護や雇用保険の支給をめぐって、行政の可否が人命にもかかわる「悲劇」を回避できる。

 フィンランドの国全体を対象としたBIの実験は二〇一七年一月から一九年一二月までの二年間にわたって、失業者二〇〇〇人に対して、月額五〇〇ユーロ(約六万五〇〇〇円)を支給した。フィンランド社会保険庁(Kela)は二〇二〇年に実験の最終報告書を出す予定である。それに先立って、一九年二月に発表した中間報告が、世界的な議論を巻き起こしている。

 グローバリズムの進展による格差の拡大と、少子高齢化による年金制度の継続性の問題は、ひとり日本が直面している課題ではない。先進国が直面している大きな問題である。

 社会保障制度の再構築を目指す、BIがその解となるかどうか。各国の政策当局者や社会保障、社会学などの研究者がフィンランドの実験の中間報告に注目する由縁である。

 Kelaは中間報告の冒頭のまとめのなかで、次のように述べている。

 「ベイシック・インカムの実験は、最初の一年間で必ずしも支給者グループの雇用のレベルを上げなかった。しかしながら、支給者グループの自身に対する健康感は、実験の最終時点において、過去の状態を上回ったばかりではなく、対照グループよりもよかった」

 さらに、この結果はBIの実験の最終的な結論を生むものではないことを留保している。

 中間報告はBIが「雇用」と、健康感という「幸福度」に与える影響に注目している。ここで、報告書の詳細をみていく前に、改めてBIの定義とその実現によってなされる社会について、同志社大学経済学部教授の山森亮さんの著作『ベイシック・インカム入門』(光文社新書・2017年)によって整理してみよう。

 BIの定義は次の六点である。

  • 現物(サービスやクーポン)ではなく金銭で給付される。
  • 定期的に支払われる。
  • 国家または地方政府などによってh支払われる。
  • 世帯や世帯主ではなく、個人に支払われる。
  • 資力調査なしに支払われる。一連の行政管理やそれにかかる費用、労働へのインセンティブを阻害する要因がなくなる。
  • 稼働能力の調査なしに支払われる。雇用の柔軟性や個人の選択を最大化し、また社会的に有益でありながら低賃金の仕事に人々がつくインセンティブを高める。

 BIが普及した社会は次のような理想が実現する。少なくとも貧困を避けるために必要な所得を国民全員に保障する社会は、男女を平等に扱う。家事や子育てなど市場経済がしばしば無視する仕事に報いる。一定の報酬が保証されることから、さらなる教育や職業訓練を促進する。その結果として、技術革新やグローバル社会の変化に対応できる。

 Kelaの中間報告が「雇用」と「幸福感」に焦点を当てている理由である。ふ

「福祉の罠」説はほぼ否定された

 BIの支給グループの就業意欲についてまず、みていこう。二〇一七年の年間に働いた日数は、支給グループが比較対照グループとの差はわずか〇・三日。一方、同じ年間の労働による収入は、支給グループが四千二三〇ユーロ。対照グループが二一ユーロ多い四千五一ユーロだった。

 BIに対する批判のなかで、支給によって就労意欲が衰える「福祉の罠」に陥るのではないか、という指摘は中間報告によってほぼ否定されたといえそうである。ただ、BIによって、生活の不安が拭い去られるので、新たな就労意識が高まる、といえる水準ではないともいえる。

 健康感とストレスの視点から、BIの効果をみていこう。人として生きる「幸福感」にかかわる。まず、健康感おいて、「非常によい」と「よい」を加えた割合を、支給グループと対照グループを比較する。前者は

五六%で後者は四六%。支給グループは健康感が高いことがうかがえる。「非常に悪い」と「悪い」の合計を比較しても、支給グループの四〇%に対して、対照グループは四九%である。

 ストレスはどうか。「ストレスがない」と「ほとんどない」の割合を合計すると、支給グループが五五%、対照グループは四六%だった。「非常にある」と「ややある」の合計は、支給グループが四五%、対照グループは四五%だった。総合的にみると、支給グループのほうが、ストレスの度合いが低いということがいえる。

 Kelaによると、中間報告書に盛り込んだ以外に、面接調査なども含んでいて、それは今春まで継続された。この結果も入れて、二〇年までには最終報告書が出版される予定である。

 「ベイシック・インカムの実験は、たぐいまれな社会実験である。それは、国内規模でボランティアを募る方式ではなくランダムに対象を選び、国内的にも国際的にも意義がある」と、Kelaは中間報告を位置付けている。

 こうした社会実験を試みた、フィンランドの経済、社会情勢を顧みたい。そこには、先進国の国内で進行する格差と、社会保障を揺るがす財政赤字の問題が浮かびあがる。

フィンランドは、先進国の先頭を切って、社会実験をしなければならなかった。さらにいえば、日本の社会保障制度の現状を改革する先例になる可能性もあるといえるだろう。

格差と財政悪化が政府の背中を押した

 フィンランドは一九九五年にEUに加盟し、九九年にユーロを導入した。北欧諸国のなかでは、EUに加盟しながらも、ユーロを導入していないスウェーデンとデンマーク、EUに非加盟のノールウェーとアイスランドとは一線を画している。EU圏のなかで、八〇年代には携帯電話のノキアなどの工業と農林水産業のバランスがとれた「EUの優等生」だった。ノキアがスマーフォン市場で苦戦を強いられことなどから、九〇年代後半からはぐロバリズムの波にも洗われて「欧州の病人」とまで呼ばれるようになった。高齢化が財政の悪化に追い打ちをかける。

 フィンランドの政府純債務の対GDP(国内総生産)比は、二〇一四年からEU基準の六〇%を超えた水準で推移している。

 高齢化率(人口に占める六五歳以上の比率)は二〇一八年に日本がトップの二七・四%。フィンランドは、イタリヤ、ポルトガル、ドイツイ次いで五位の二一・六%である。

 格差を表すジニ係数(1に近いほど格差が大きい)は二〇一六年に、南アフリカの〇・六二を首位に中国の〇・五一、インドの〇・五〇が続く。日本は〇・三四の一八位で、スペインとギリシャの中間に位置する。フィンランドは〇・二六の三八位で主要国のなかでは格差が低い水準にある。しかし、北欧諸国のなかでは、三九位のアイスランドを除けば、スウェーデン、デンマーク、ノールウェーは僅差ながら、フィンランドよりも格差の水準が低い。

 フィンランドのBIの社会実験は、社会保障制度の理想を追うと同時に、グローバル時代の格差と政府の財政が悪化する要因が背中を押しているといえるだろう。

フィンランドは、ロシア帝国領フィンランド大公国時代の一九〇二年に、世界で初めて女性に対する被選挙権を認めた。九〇年代から本格的に取り組んだ教育改革の結果、経済協力開発機構(OECD)の学習到達度に関する国際調査(PISA)で、対象の一五歳の学力が、読解力や数学的リテラシー、科学リテラシーの分野で高い水準を示している。

ロシアとドイツの強国にはさまれる地政学的な位置にあって、創意工夫をしながら民族としての存在を保ってきた。第二次世界大戦では枢軸国側に立って戦ったが、最後まで激戦を繰り広げ、唯一領土を奪われなかった。

同志社大学経済学部教授の山森さんの前述の著作によると、BIはフィンランドのオリジナルというわけではない。二〇世紀のイギリスを代表する哲学者である、バートランド・ラッセルが『自由への道』(一九一六年)で世に説いている。さらには、七〇年代のイタリヤのフェミニズム運動において、「家事労働にも賃金を!」というスローガンもBIに通じていると、山森さんは述べている。

ザッカーバーグ氏も同様のアイデアを持つ

フィンランドの社会実験を世界はどうみたか。政治、経済などのリーダーが連携して世界的な課題に取り組んでいる「世界経済フォーラム」は、中間報告の発表後まもなくシニアライターの「フィンランドのベイシック・インカムの結果はでた。それは十分な働きができているのか」と題する論文を掲載した。

そのなかで、著名な金融家やフェイスブックのCEOであるマーク・ザッカーバーグが同様のアイデアを持っている、としている。「(BIの)批判派は、コストがかかり過ぎるのと、実践的ではなく、人々に仕事を探す意欲を減退させるだろう」と述べた。

英BBCもやはり中間報告後に、「フィンランドのベイシック・インカムのトライアルは人々をより幸福にはしたが、失業はそのままだった」と題して報道した。「(BIの)支持者は非伝統的なセーフティ・ネットが人々を貧困から助け出すと信じている。それは、人々に仕事や必要な新しいスキルを学ぶ時間を与えるのである。ロボットが人々の仕事を奪うオードメーションの時代にますます重要性が増していくと考えている」としている。

人工知能の時代を間近に知っている、起業にBIの理解者が多いのはうなずける。

二〇二〇年の米国大統領選に向けて、共和党と民主党のなかで進んでいる候補者選びのなかで、ダークホースといわれているのが、台湾系アメリカ人の起業家のアンドリュー・ヤングである。「フリーダム配当金」と名付けた、彼のBIは、アメリカの一八歳から六四歳までの全国民に月額一〇〇〇ドル(約一一万円)を支給するというものである。財源についても、新たな税の導入や福祉目的のファンドの創設など、段階を踏んだ具体的な提案を行っている。トランプを大統領の地位に押し上げた、低所得の白人の支持をうまくつかむことができれば、再選を狙うトランプの前に大きく立ちふさがる、という見方もでている。

世界的潮流にも日本では政府任せ?

英国のEUからの離脱の状況いかんでは、一二月に下院の総選挙がある。労働党党首のジェリミー・コービンは九月末に社会保障制度改革について重要な演説を行った。保守党によって一三年に導入された、低所得者向けの給付制度の「ユニバーサル・クレジット」を廃止する、というのである。この制度は複雑で官僚的とされる。

この制度に代替するものについて、労働党はいまのところ言及していないが、BIが有力であるとみられている。労働党の影の内閣の閣僚のひとりは、BIの熱心な支持者であり、広範な社会実験も提唱してきた。労働党が掲げる社会保障制度の改革の三大方針は、「尊厳」と「ユニバーサル」、「貧困の終了」である。

日本政府は九月二〇日、安倍晋三首相を議長とする「全世代型社会保障検討会」を発足させた。二二年以降に、「団塊の世代」が七五歳の後期高齢者になって、日本の少子高齢化は社会保障の制度設計の変更を迫られる。医療や介護の負担増が焦点になると思われる。年金制度の継続性の問題も大きい。

人口知能革命の波はすでに、日本列島に打ち寄せている。メガバンクの大リストラ計画や希望退職の募集の増加は、緩やかな景気回復のなかでもとどまるところを知らない。

世界的な潮流となっている、BIの論議は、日本のなかで政府任せでは高まりようがない。前回の総選挙で旧・希望の党がいったん公約に掲げようとしたが、尻切れトンボに終わっている。野党が政府・与党に対して、総合的な社会保障制度の改革案を示すべきである。しかし、それは百年河清を俟つことなのだろうか。

(了)

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政治意識の断裂

2019年8月16日

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政治経済情報誌「ELNEOS」8月号寄稿

 参議院選挙は、本稿執筆時点で新聞各社の終盤の情勢調査が明らかになり、与党と維新などの改憲勢力は、参院の発議に必要な三分の二に迫る勢いである。「安倍一強」に揺るぎはない。

 今回の選挙戦の報道のなかで、若者の自民党と政権に対する支持率の高さに多くの紙面が割かれたようにみえる。

 東京新聞は七月一日付の「若者の自民支持率はなぜ高い」のタイトルを掲げた。二〇一七年衆議院選挙における、共同通信の出口調査の結果として、一〇代が三九・九%、二〇代が四〇・六%と、全年齢層の三六%を上回っている事実をあげる。複数の大学生のインタビューを通じた、自民党優位の要因として「とりあえず現状維持」と結論づける。

 日経新聞は同月六日付「政権支持 二〇代は七割」の刺激的な見出しで報じた。同社の六月の世論調査の結果である。六〇歳以上の支持率は四六%である。「これまで日本は欧米ほど世代間の分断は目立っていなかった。政権支持の背景を探ると、新たな兆しがみえてくる」としている。

 早稲田大学社会科学総合学術院の遠藤昌久准教授と同大政治経済学術院のウィーリー・ジョウ准教授による最新刊の「イデオロギーと日本政治―世代で異なる『保守』と『革新』」(新泉社刊)は、政治信条の分断に関する今後の議論の出発点となる分析である。論壇のなかで高い評価を得ている。

 政治と経済の関係について、企業のなかで最も鋭敏であるべき組織は、広報部門である。政権の政策によって、企業行動は変化を求められる。与党の支持母体について、「ファクトフルネス」な情報をメディアの報道のなかからすくい取って、経営層に上げなければならない。

 「イデオロギーと日本政治」は次のように述べる。

「学術的にもジャーナリスティックにも共有されてきた、政党や政権に関する保守・革新イデオロギー上の相対的な位置への合意は、中高年の有権者の心の中には存在しているが、過去30年間に有権者となった若い世代にはいまや適用できない」

 保守・革新イデオロギー上の位置について、12年の衆院選挙のウェブ調査の結果を引用して「40代以下の若い有権者が今日の日本政治において最も『革新』側に位置していると考えているのは、共産党ではなく、日本維新の会やみんなの党といった新党であった。これらの政党は規制緩和や、より積極的な外交政策を支持しており、他のコンテクストでは保守や右派として考えられているにもかかわらず、である」

 高齢者と若者層の政治意識の断裂について、同著は対立軸として「保守・リベラリズム」とともに、「改革志向」というキーワードを提起している。両社を座標軸にとると、50歳以上では、」自民党が保守でありながら改革志向はトップである。共産党がリベラルのトップ、民進党が続く。両党ともに改革志向の側面で公明党と日本維新の会に及ばない。

 49歳以下では、改革志向のトップが日本維新の会であり、自民党が続く。共産党は保守的なトップの政党であり、改革志向は最低である。「維新は『革新』、共産は『保守』」という政治意識と、自民党は「改革派」である、という若者の政治意識が参院選の結果を左右する。

        (以上です)

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政治経済情報誌「ELNEOS」7月号寄稿

 日本のウォールストリート・兜町は、情報網が網の目のように張り巡らされた迷宮である。相場に関する情報なら、針が落ちた音でも聞き分ける。

 わたしが「兜記者」だった時代は、細川護熙内閣が誕生する直前のことである。小沢一郎氏による自民党の分裂を背景として、政権交代の足音が迫ってきていた。来るべき総選挙に備えて、自民党は政治資金の提供を兜町にも求めてきた。

 大手証券のある首脳との一対一の雑談のなかで、そのことを知ったわたしは、電話で資金の融通を申し出てきた自民党の首脳の名前とともに、朝刊の一面で特ダネとして事実を報じた。

 記者の情報源の秘匿は、いうまでもなく破ってはならないメディアの根幹である。「秘密」の共有はふたりに限る。上司や同僚にも明かしてはならない。当然ながら、彼らもその主体を聞いてはこない。

 兜町の情報網の恐ろしさを知ったのは、大手証券の首脳と一対一の取材であったにもかかわらす、報道の当日には他の証券会社の経営部門に近い幹部は、情報源のみならず、取材のおおよその日時まで知っていたことである。

 兜町の情報収集の担当者の力量は、会社よりも、その人が日ごろ築き上げている、霞ヶ関の官庁街や日本銀行などの人脈にかかっている。とはいえ、その総合力において、野村證券の地位が筆頭格であることはいうまでもない。

 その野村證券が情報網の陥穽に落ちた。東京証券取引所が第一部の活性化に向けて、企業の絞り込みについて諮問していた「市場構造の在り方等に関する懇談会」(座長・神田秀樹学習院大学大学院教授)のメンバーである野村総研のフェローが、本体の野村證券のリサーチ部門に対して需要な事項を漏らしたのである。

 東証一部改革の要点は、一定以上の基準の企業について新たな特別の枠に入れて、それ以外は一部にとどめくというものである。この基準が焦点になっていた。時価総額によって判断されるとみられていた。それが二五〇億円になるのか、五〇〇億円になるのか。TОPIXに組み入れられるかどうか、といった思惑を呼んでいた。

 「懇談会」のメンバーである、野村総研のフェローは三月五日、野村證券のリサーチ部門に「二五〇億円」の可能性が論議のなかで高まっていることを告げた。さらに同日と翌日にかけて、リサーチ部門は日本株営業の社員らに情報を伝えた。

 東京市場が始まる直前に本支店で営業担当者を交えて「朝会」が開かれる。「二五〇億円」の情報は、さほど大きなものとしては捉えられなかった。東証一部改革の全貌が決まったわけではなかったし、上場株式指数にどのように反映されるかもわからなかった。その意味では「小ネタ」扱いだった。

 野村證券の取締役会が、情報漏えいを認識したのは、一部報道機関によって報じられた直後の三月二九日だった。

 野村證券の広報部門がことの重大性に気づくチャンスはあった。この取締役会に先立つ三月一六日付の日本経済新聞が一面トップで、「二五〇億円」ラインを報じた。朝会における「小ネタ」ではなく、重大な情報であること「がわかる。金融庁から業務改善命令を受けた。政府が保有する日本郵政株の第三次売却について主幹事を落選した。「小ネタ」の代償は大きかった。

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不正と倫理

2019年6月1日

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政治経済情報誌「ELNEOS」6月号寄稿

 企業ばかりではなく、大学やスポーツ団体などでも不祥事が起きている。上場企業に対する内部統制の規制の強化や、企業不正の検査の専門家の養成を目指す、国際的な組織である「公認不正検査士協会(ACFE)」の日本支部もある。公認不正検査士の資格試験を実施している。

 不祥事が起きてから、さまざまな組織が立ち上げる、第三者委員会の報告書については、弁護士の久保利英明氏が委員長になって「第三者委員会報告書格付け委員会」も二〇一四年から活動している。報告書自体については、日本弁護士会が二〇一〇年にガイドラインを示している。

 それでも、組織の不正はなくならない。かえって増えているのではないか。では、それは何故なのであろうか。あまりにも素朴な疑問に読者の微苦笑を誘うのを承知で議論を進めたい。

「不正は決してなくならない…『不正は起きる者である』」という、帯を巻いた「鼎談 不正¦最前線」(同文舘出版・二〇一九年二月)は、不正問題や内部統制、不正に関する教育・人材育成など、多角的に三人の専門家が語り合った。

 日本公認不正検査士協会の評議員会会長の八田進二氏、理事長の藤沼亜起氏、日本監査研究学会会長の堀江正之氏である。

 先の筆者の疑問を解く手がかりが、この鼎談のなかで八田氏が紹介している、ОECDが十年前に行った日本の監査制度の検証のなかにあるように思う。検証の目的は、日本の公認会計士の育成方法にあった。

 八田氏が驚いたのは、検証の多岐にわたる議論のなかで、ОECDが「倫理教育はどうなっていますか?」と尋ねてきたことである。同氏は振り返る。

「『今の日本には、倫理を直接に扱った科目はありません』と答えると、『ないのはおかしい』と言うわけです。それで苦しまぎれに『あえて言えば、監査論の試験のなかでふれられているくらいです』と言いました。ところが、途上国の場合でも、監督論の領域の試験だと思いますが、そのなかの2割くらいは倫理関係の内容が占めるそうです」

「関係者のなかには、日本の公認会計士は極めて優秀で、試験の合格率も数パーセントであり、アジアの会計士とは品質が違うと発言した人がいました。そうしたら、倫理教育をやっていなくて、どうして質が高いと言えるのですかと問われ、一同、言葉に詰まりました」

 企業や組織の会計的な不正を糺す公認会計士の資質に「倫理」が欠けていては不正の真相に迫れない。法曹資格である弁護士もまた、そうである。顧客である企業や組織に対して、経理にかかわる法規ばかりに準拠していては、社会が納得する第三者委員会の報告書も十分なものにはならない。

 IT企業の広報部門で働いていたときに、ある傘下の企業の正当な売却にあたって、この売却を阻止しようとした企業のなかに、コンプライアンスの専門家として知られる弁護士が加わっていた。「顧問弁護士」の名のもとに、「倫理」に欠ける仕事ぶりには驚かされた。企業の不正のカゲには、倫理なき専門家がいる。

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