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ひまわりと子犬の7日間

2013年2月1日

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ひまわりと子犬の7日間

2013年3月16日(土)全国ロードショー

 監督・脚本 平松恵美子

 配役

神崎彰司 堺雅人    五十嵐美久 中谷美紀     安岡 でんでん

佐々木一也 若林正恭  神埼琴江  吉行和子     永友孝雄 夏八木勲

永友光子 草村礼子   松永    左時枝      神埼千夏 檀れい

松井   小林稔侍

  

 松竹映画の開幕を告げる映像は、実物の富士である。時代を経てその映像も変化している。その富士を生かしながら、デジタル時代を象徴するようなデザインもある。

 「ひまわりと子犬の7日間」の富士は画面いっぱいに広がって、ズームアップとなって頂が大きくなる。これは古い松竹映画のタイトルバックであったろう。

  そして雑種の犬が子犬を3匹産んだシーン、犬の主人である農家の老夫婦が生まれたなかでちょっと歩くのがもどかしい1匹について話すシーン。親犬から話してその子犬に哺乳瓶でミルクを妻が与える。他の2匹にもらい手が現れたのに、残ったその子犬を夫婦はいつくしむ。

 妻の死、そして夫は老人ホームに行くことになる。育てた犬を飼い主に預けることにしたのだが、犬は首輪を引きちぎるようにして、飼い主が乗った乗用車を追っていく。

 雨となる。犬は飼い主の匂いを追いきれずに、数日をかけていったんは元の家に戻るのだが、取り壊しの最中で作業員に追い払われる。犬は川を渡り、野を駆けていく。野犬となったのである。

  物語の主人公となる犬の誕生から野犬となるまでを、無声映画のようにト書きのショットと映像でみせていく。

 野良仕事の合間の昼食のときに、飼い主の農夫が犬に、自分が食べていた魚肉ソーセージをむしって与える。老人ホームに移り住むために、犬と別れるとき、老父の目から涙がこぼれて、犬の鼻に落ちる。この魚肉ソーセージと涙が、ドラマの伏線となる。

 無声映画のような冒頭のシーンでは犬の名前がわからない。その脚本家の意図はドラマの最後にわかるのである。

  監督と脚本の平松恵美子は、これが初監督となる。山田洋次監督のもとで助監督や共同脚本をてがけてきた。40代の監督デビューは早くはない。

  山田作品のなかで、助監督として加わったのは、「男はつらいよ」シリーズの「紅の花」(1995年)、「学校」シリーズ(93年~2000年)、「隠し剣 鬼の爪」(04年)などである。

 「ひまわりと子犬の7日間」の製作と並行するように、平松は、山田の監督50周年記念作品である「東京家族」の脚本をてがけている。

  山田の正統な弟子である、平松の作品には、「大船調」の刻印が透かし彫りのように刻まれていると思う。

  冒頭のタイトルバックから、無声映画のように画面とせりふが展開するさまは、自らが戦前から戦後にかけて、一世を風靡した、松竹の大船撮影所で製作された作品群につながる正統派であることを宣言しているようにみえる。

  東宝の砧撮影所といえば、ゴジラと黒澤映画である。東映の太秦といえば時代劇、日活の調布は裕次郎映画である。

 その撮影所で製作された作品群に「調」が付されるのは、大船だけではないか。

  「大船調」とは、ホームドラマやメロドラマとひとくくりにするのは乱暴だろう。浅学の筆者は、その定義を日本映画評論の先駆者である白井佳男に学びたいと考える。

 白井は次のようにいう。

     いわゆる松竹大船調の小市民映画、即ちホーム・ドラマである。城戸四郎が松竹映画のテーゼとしたのは、次の

         よ うなことであった。「松竹の映画は、社会のことを描いても、政治のことを描いても、経済のことを描いても、よい。

         ただしそれは、典型的な日本の小市民たちが、茶の間でしゃべるような、日常的な表現の範囲内において、であ

         る」と。

   城戸四郎とは、戦前に20代の若さで撮影所長となり、大船調の方向性を決めた大プロデューサーである。戦後は社長、会長となった。

  「ひまわりと子犬の7日間」の舞台は、2007年の宮崎市。妻に先立たれて、小学生の娘と息子を老母とともに育てている、神崎彰司(堺雅人)の家族の物語である。

 神崎は妻とともに、動物園の飼育係であった。しかし園は倒産し、保健所の職員となる。担当は野犬や捨て犬、家庭では飼えなくなった犬の捕獲と保護、そして、一定の期間がたったあとに処分する係である。

 後輩の同僚は、臨時雇いと思われる佐々木一也(若林正恭)である。

  野犬としてとらえた犬とその子犬3匹が、冒頭の犬であることは、観客にはわかるストリー展開となっている。

 登場人物たちは知らない。

  主人公である犬と、それを取り巻く人間たちを観客は客観的に見るように脚本は描かれているわけである。

 ドラマは犬と人間たちの人生をまるで、細胞の二重ラセンのように絡み合いながら、ひとつの結末に向かって織り成していくのである。

  野犬と化した犬は、子を守ろうとして、神崎にかみつく。3匹の子犬のうち1匹は施設の防寒が十分でなかったために、死んでしまう。

 母犬が子犬時代に、飼い主ある老夫婦に大切にされなければ、その弱さから死んでいったであろうことが、暗喩されている。

  神崎をはじめ、その子どもたち、そして同僚の佐々木は、母犬と2匹の子犬が処分されないようにさまざまな努力をするのである。

  処分しなければならない日に向けて、ドラマはテンポを速めていく。

  神崎は母犬に向き合いながら、犬の人生を遡るように推察していくのである。野犬となって農家の畑を荒らした事実から、かつて農家に飼われていたのではなかったか。野犬狩りにあうと、野犬は子犬を残して逃げさることが多いのだが、この犬が逃げなかったのはおそらく飼い犬で愛情を注がれたのではないか。

 野良犬となって、さまよううちにはかわいがってもらったこともあったろう、いじめ追われたこともあったろう。そして、子犬の父と恋に堕ちたのだろうと。

  ドラマはこれといった大きな事件が起きるわけではない。登場人物たちもこれといった変わった人々ではない。市井の人々である。

  「大船調」の正統な系譜につながるドラマの展開である。なにごとにも、系譜には新しい時代の気分と風景、そして演出が加わっていく。

  母犬と子犬は救われるのだろうか。そして、神崎の家族たちはどのような人生を歩むのだろうか。

  ドラマのラストシーンは、「山田調」で明るい希望をいだかせる。

  撮影期間は、2011年10月30日から12月21日である。

  あの大震災の直後から製作が始まったことがわかる。

  山田がメガホンを握り、本作品の監督である平松が脚本を手がけた「東京家族」は、クランクイン直前まできていたときに大震災に遭遇して、製作をいちからやり直した。

  「ひまわりと子犬の7日間」は、2007年を舞台としている。大きな時代の転換点となった大震災をはさんで、変わらないものとはなんなのか。ふとそんなことを思わせる作品である。

  そうそう、最後にもうひとつ。漫才コンビのオードリーの若林は、初の映画出演である。春日俊彰とのコンビはいずれ、漫才の歴史に残ると筆者は思っている。売れなかった時代は、ふたりの役割はいまとは逆で、春日が突っ込み、若林がボケであったという。本作品では若林のボケ役がいい。

 ハナ肇をはじめ喜劇人をスクリーンに躍動させた、山田組の伝統を平松は継いでいる。

    (2013年松竹配給)

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