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映画評

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ひまわりと子犬の7日間

2013年3月16日(土)全国ロードショー

 監督・脚本 平松恵美子

 配役

神崎彰司 堺雅人    五十嵐美久 中谷美紀     安岡 でんでん

佐々木一也 若林正恭  神埼琴江  吉行和子     永友孝雄 夏八木勲

永友光子 草村礼子   松永    左時枝      神埼千夏 檀れい

松井   小林稔侍

  

 松竹映画の開幕を告げる映像は、実物の富士である。時代を経てその映像も変化している。その富士を生かしながら、デジタル時代を象徴するようなデザインもある。

 「ひまわりと子犬の7日間」の富士は画面いっぱいに広がって、ズームアップとなって頂が大きくなる。これは古い松竹映画のタイトルバックであったろう。

  そして雑種の犬が子犬を3匹産んだシーン、犬の主人である農家の老夫婦が生まれたなかでちょっと歩くのがもどかしい1匹について話すシーン。親犬から話してその子犬に哺乳瓶でミルクを妻が与える。他の2匹にもらい手が現れたのに、残ったその子犬を夫婦はいつくしむ。

 妻の死、そして夫は老人ホームに行くことになる。育てた犬を飼い主に預けることにしたのだが、犬は首輪を引きちぎるようにして、飼い主が乗った乗用車を追っていく。

 雨となる。犬は飼い主の匂いを追いきれずに、数日をかけていったんは元の家に戻るのだが、取り壊しの最中で作業員に追い払われる。犬は川を渡り、野を駆けていく。野犬となったのである。

  物語の主人公となる犬の誕生から野犬となるまでを、無声映画のようにト書きのショットと映像でみせていく。

 野良仕事の合間の昼食のときに、飼い主の農夫が犬に、自分が食べていた魚肉ソーセージをむしって与える。老人ホームに移り住むために、犬と別れるとき、老父の目から涙がこぼれて、犬の鼻に落ちる。この魚肉ソーセージと涙が、ドラマの伏線となる。

 無声映画のような冒頭のシーンでは犬の名前がわからない。その脚本家の意図はドラマの最後にわかるのである。

  監督と脚本の平松恵美子は、これが初監督となる。山田洋次監督のもとで助監督や共同脚本をてがけてきた。40代の監督デビューは早くはない。

  山田作品のなかで、助監督として加わったのは、「男はつらいよ」シリーズの「紅の花」(1995年)、「学校」シリーズ(93年~2000年)、「隠し剣 鬼の爪」(04年)などである。

 「ひまわりと子犬の7日間」の製作と並行するように、平松は、山田の監督50周年記念作品である「東京家族」の脚本をてがけている。

  山田の正統な弟子である、平松の作品には、「大船調」の刻印が透かし彫りのように刻まれていると思う。

  冒頭のタイトルバックから、無声映画のように画面とせりふが展開するさまは、自らが戦前から戦後にかけて、一世を風靡した、松竹の大船撮影所で製作された作品群につながる正統派であることを宣言しているようにみえる。

  東宝の砧撮影所といえば、ゴジラと黒澤映画である。東映の太秦といえば時代劇、日活の調布は裕次郎映画である。

 その撮影所で製作された作品群に「調」が付されるのは、大船だけではないか。

  「大船調」とは、ホームドラマやメロドラマとひとくくりにするのは乱暴だろう。浅学の筆者は、その定義を日本映画評論の先駆者である白井佳男に学びたいと考える。

 白井は次のようにいう。

     いわゆる松竹大船調の小市民映画、即ちホーム・ドラマである。城戸四郎が松竹映画のテーゼとしたのは、次の

         よ うなことであった。「松竹の映画は、社会のことを描いても、政治のことを描いても、経済のことを描いても、よい。

         ただしそれは、典型的な日本の小市民たちが、茶の間でしゃべるような、日常的な表現の範囲内において、であ

         る」と。

   城戸四郎とは、戦前に20代の若さで撮影所長となり、大船調の方向性を決めた大プロデューサーである。戦後は社長、会長となった。

  「ひまわりと子犬の7日間」の舞台は、2007年の宮崎市。妻に先立たれて、小学生の娘と息子を老母とともに育てている、神崎彰司(堺雅人)の家族の物語である。

 神崎は妻とともに、動物園の飼育係であった。しかし園は倒産し、保健所の職員となる。担当は野犬や捨て犬、家庭では飼えなくなった犬の捕獲と保護、そして、一定の期間がたったあとに処分する係である。

 後輩の同僚は、臨時雇いと思われる佐々木一也(若林正恭)である。

  野犬としてとらえた犬とその子犬3匹が、冒頭の犬であることは、観客にはわかるストリー展開となっている。

 登場人物たちは知らない。

  主人公である犬と、それを取り巻く人間たちを観客は客観的に見るように脚本は描かれているわけである。

 ドラマは犬と人間たちの人生をまるで、細胞の二重ラセンのように絡み合いながら、ひとつの結末に向かって織り成していくのである。

  野犬と化した犬は、子を守ろうとして、神崎にかみつく。3匹の子犬のうち1匹は施設の防寒が十分でなかったために、死んでしまう。

 母犬が子犬時代に、飼い主ある老夫婦に大切にされなければ、その弱さから死んでいったであろうことが、暗喩されている。

  神崎をはじめ、その子どもたち、そして同僚の佐々木は、母犬と2匹の子犬が処分されないようにさまざまな努力をするのである。

  処分しなければならない日に向けて、ドラマはテンポを速めていく。

  神崎は母犬に向き合いながら、犬の人生を遡るように推察していくのである。野犬となって農家の畑を荒らした事実から、かつて農家に飼われていたのではなかったか。野犬狩りにあうと、野犬は子犬を残して逃げさることが多いのだが、この犬が逃げなかったのはおそらく飼い犬で愛情を注がれたのではないか。

 野良犬となって、さまよううちにはかわいがってもらったこともあったろう、いじめ追われたこともあったろう。そして、子犬の父と恋に堕ちたのだろうと。

  ドラマはこれといった大きな事件が起きるわけではない。登場人物たちもこれといった変わった人々ではない。市井の人々である。

  「大船調」の正統な系譜につながるドラマの展開である。なにごとにも、系譜には新しい時代の気分と風景、そして演出が加わっていく。

  母犬と子犬は救われるのだろうか。そして、神崎の家族たちはどのような人生を歩むのだろうか。

  ドラマのラストシーンは、「山田調」で明るい希望をいだかせる。

  撮影期間は、2011年10月30日から12月21日である。

  あの大震災の直後から製作が始まったことがわかる。

  山田がメガホンを握り、本作品の監督である平松が脚本を手がけた「東京家族」は、クランクイン直前まできていたときに大震災に遭遇して、製作をいちからやり直した。

  「ひまわりと子犬の7日間」は、2007年を舞台としている。大きな時代の転換点となった大震災をはさんで、変わらないものとはなんなのか。ふとそんなことを思わせる作品である。

  そうそう、最後にもうひとつ。漫才コンビのオードリーの若林は、初の映画出演である。春日俊彰とのコンビはいずれ、漫才の歴史に残ると筆者は思っている。売れなかった時代は、ふたりの役割はいまとは逆で、春日が突っ込み、若林がボケであったという。本作品では若林のボケ役がいい。

 ハナ肇をはじめ喜劇人をスクリーンに躍動させた、山田組の伝統を平松は継いでいる。

    (2013年松竹配給)

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草原の椅子

2013年1月30日

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草原の椅子

2013年2月23日(土)全国ロードショー

 監督 成島出

原作 宮本輝

 配役

遠間憲太郎 佐藤浩市    富樫重蔵 西村雅彦  篠原貴志子 吉瀬美智子

喜田川祐未 小池栄子      鍵山 AKIRA     遠間弥生 黒木華

喜田川圭輔 貞光奏風    喜田川秋春 中村靖日   道代 若村麻由美

富樫茂雄 井川比佐志

  カメラメーカーの営業局次長である遠間憲太郎(佐藤浩市)と、取引先のカメラ販売店の社長、富樫重蔵(西村雅彦)は50歳である。

 富樫の愛人関係のもつれを、遠間が友人の弁護士を紹介して解決したことから、ふたりは、「トウマ」「トガシ」と呼び合う友人となる。富樫の本社は関西にあり、東京の支店の経営のために単身赴任である。

  遠間は医師である道代が他の男性と家を出たために、離婚して、幼い頃から娘の弥生を育ててきた。大学生の弥生が、アルバイト先の百貨店の売り場の主任の喜田川秋春(中村靖日)の息子である、4歳の圭輔の面倒をみるようになったことから、遠間は不条理劇にまきこまれる。

  ドラマはヒマラヤ山脈を背景とする、パキスタンの桃源郷といわれるフンザの村を旅する遠間と富樫、圭輔、そして美しい中年女性の篠原貴志子(吉瀬美智子)のシーンから始まる。映画はこの時点でそこがどこなのかはわからない。雪をいただいた高山とアラビア文字のような看板が遠い地を思わせるだけだ。

  「これからあなたの新しい人生がみつかりますか」と遠間は貴志子に尋ねると、彼女はうなずくのだった。

  場面は展開して、遠間が会社のオフィスの始業時、エレベーターに向かうシーンとなる。そして、ドラマは、冒頭の4人がなぜ旅にでたのかを謎を解き明かすように展開していく。

  遠間と貴志子の出会いは、どしゃぶりの雨のなかをタクシーに乗った遠間が、酒屋の店先で雨宿りをしている和服の貴志子の美しさに魅かれるシーンである。駆け出した彼女を追う様にして、焼き物の店に入る。遠間が入ってきたことにきづき、びしょぬれの背広の雨露をぬぐうタオルを差し出す貴志子。焼き物の趣味はないのだが、思わず高価な皿を買ってしまう遠間であった。

  中高年の恋愛の瞬間を美しいシーンにおさめて、ドラマは並行するように不条理劇に突き進む。

  遠間の娘の弥生が世話をしている圭輔は、家を出て行った母親の喜田川祐未(小池栄子)の虐待と育児放棄によって、言葉の発達が遅れている。

 父親の秋春が百貨店を辞めて、トラックの運転手に転職をしたのきっかけに、遠間と弥生は自宅で圭輔の面倒をみるようになる。

 そして、ナイトクラブに勤める祐未も、秋春も圭輔の扶養を放棄する。

 30歳前後と思われる若い夫婦によって、遠間は翻弄される。

  カメラ販売店を経営する富樫は、中国人観光客が大量にカメラを買うことを拒否して、カメラファンを増やそうという経営方針でやってきた、東京からの撤退を考えなければならなくなる。経営を立て直そうと、リストラを宣告した従業員が自殺を図る。

  遠間は営業のトップにあと一歩と思われ、取締役も視野に入っている設定であろう。

 上司にかなり厳しい営業目標の達成を命じられる。国際会計基準の四半期決算の数字が悪化すると、経営陣の責任になる、というのである。

  遠間と富樫、貴志子、そして圭輔の4人がパキスタンのフンザに旅することになったのは、遠間の会社が主催する写真コンテストで入賞して、かつて目をかけていたカメラマンの鍵山(AKIRA)がその地の写真集を出版したのが、きっかけだった。

 そこの写しだされたフンザの古老は、ひとの瞳のなかに運命の星を見るという。

 4人ともその写真集をなんども繰り返し見るのである。

 貴志子がなぜひとり暮らしなのか、そして、遠間の分かれた妻の道代のいまも描かれていく。

  主人公たちは50歳前後のポスト団塊の世代である。

  遠間がソファに寝そべって、たまたま見ていたテレビのバラエティー番組を評して「この国の若いやつらはどうしてこんなに馬鹿になったんだ」という。

  娘は「そんな国の路線を敷いたのはお父さんたちじゃぁないの」と。

  世代論は意味がないという人もある。わたしとほぼ同じ年齢の著名人を思い浮かべると、首相の安倍晋三がいて、相撲の北の湖、プロ野球の落合博満、そして共産党委員長の志位和夫……。

  それぞれの著名人をみて、共通性を導き出すのはちょっと難しそうである。

  しかしながら、ポスト団塊の世代としていえることは、先行する団塊の世代が、東西冷戦という、ある意味では安定していた世界秩序のなかで、高度成長経済の恩恵を受けたと思う。わたしたちの世代は、ソ連による東欧諸国への介入や、中国の4人組をはじめとする権力闘争をみて、団塊の世代が信じた社会主義思想に対する幻想もなく、石油危機によって就職氷河期も経験した。

 「三無主義の年代」と青年期にいわれた世代である。無感動、無責任、無思想と。

  遠間たちは、わたしよりはまだ若い。社会を牽引していく世代である。

  「草原の椅子」は、そうしたポスト団塊の世代たちがいま直面している問題を、東京や富樫の故郷である瀬戸内海を望む町、そしてフンザの美しい風景のなかで、登場人物たちの短いせりふによって、暗示されていく。

  離婚であり、それに至るさまざまなドラマであり、子育ての放棄である。大企業の経営の行方が不安定になっているなかで、サラリーマンはどのようにして生きていったらよいのか。家族のありようとは。

  監督の成島出は、「八日目の蝉」(2011年)によって、映画賞の数々に輝いた。映像の瞬間、瞬間の美しさとその展開、そして短いせりふによって、重層的にテーマを積み重ねていく。

  「草原の椅子」は、社会の中心となるべき50歳前後の世代が、希望を持っていきていけるか、というテーマを浮かび上がらせる。

  主要な登場人物である4人の人生の謎が解き明かされて、ラストシーンでフンザに戻り、新しい希望がみえる。佳作である。

  (2013年東映配給)

 

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東京家族

2013年1月19日

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東京家族

2013年1月19日(土)全国ロードショー

 監督 山田洋次

脚本 山田洋次 平松恵美子

音楽  久石譲  撮影 近森眞史  美術  出川三男

照明  渡邊孝一 編集 石井巌   録音  岸田和美

 配役

平山周吉  橋爪功       沼田三平  小林稔侍

平山とみこ 吉行和子      かよ    風吹ジュン

平山幸一  西村雅彦      服部京子  茅島成美

平山文子  夏川結衣      平山実   柴田龍一郎

金井滋子  中嶋朋子      平山勇   丸山夢

金井庫造  林家正蔵      ユキ    荒川ちか

平山昌次  妻夫木聡

間宮紀子  蒼井優

 

 小津安二郎の作品の映像とせりふが、花びらが空中に飛び散るように、小さな花弁となって、それがふたたびひとつの大きな花となる。

 「東京家族」は、小津の「東京物語」に対するオマージュの形式をとりながら、山田洋次のなかでさまざまな小津作品が溶け合って、新しい息吹を与えられた。

  「映画はなんども観られるのだ」といったのは、ヒッチッコックである。暗闇のなかで、一度だけ輝くものではない。

  「東京家族」の試写会は二度、観た。最初は映画会社の小さな試写室ではなく、東京・有楽町の映画劇場であった。

 冒頭で挨拶に立った山田は、劇場で試写会をやるのははじめてかもしれないといった。映画界に入ったときにはすでに、巨匠といわれていた小津の映画はあまり関心しなかった、と山田が得意とする小津との出会いのエピソードが語られる。小津よりは木下恵介であったと。

  山田の話は、晩年の黒澤明におよんで、自宅を訪問したときに、黒澤が「東京物語」を観ていたという。「いい写真だ。こういうのを僕も撮りたい」といったと。

 山田もまた、年をとるにつれて、小津の素晴らしさがわかるようになったという。小津は誕生日と同じ日に60歳でなくなった。

 「80歳のわたしが、60歳の人生だった、小津さんの作品をなんども繰り返してみて、この作品を作りました。小津さんから学んだ作品です」と、山田はその挨拶を結んだ。

  わたしが小津の「東京物語」を観たのは1980年代初め、勤務先の福岡の映画館であった。小津の生誕80年を記念する作品の連続上映会であったろう。わたしは20歳代後半であった。

 ドイツの映画監督であるベンダーズをはじめ、世界の監督が小津の作品に出会ったときに「衝撃を受けた」と語っている。小津作品のDVDシリーズのインタビューである。

 わたしもそうだった。

 「東京物語」「麦秋」「早春」「浮き草」「彼岸花」「秋刀魚の味」……ドラマチックな事件が起きるわけではない。家族の日常が淡々と描かれる。

 有名なローアングル、役者は正面を向いてせりふをいう。カットの多さ。独特の画面構成は瞬間を止めれば、それぞれが美しい絵となる。

  英国映画協会の機関誌である「サイト・アンド・サウンド」は10年ごとに、世界の映画監督の投票によって映画50選を発表している。2012年8月2日に発表された最新のランキングで、「東京物語」は第1位となった。ちなみに2位はキューブリックの「2001年宇宙の旅」、3位ウェルズの「市民ケーン」、4位フェリーニの「8 1/2」、5位スコセッシ「タクシードライバー」である。

  山田の「東京家族」を最初に観たとき、画面につねに赤い色のものが出てくるシーンの構成や、老夫婦が隣り合わせに座った斜めの線が風景を切り取るような絵作り、海の釣りのシーンなど、小津作品の数々の印象的なシーンの集成に目を奪われた。

 せりふもそうである。主人公の元教師の老人である周吉(橋爪功)と同級生が居酒屋で会話するシーンのなかで、友人が女主人に「似てるだろ」と妻の面影を語るシーン。東京にこどもたちを訪ねて、亡くなる周吉の妻のとみこの「ありがと」という言葉。それぞれ、小津組の笠智衆と東山千榮子のせりふを思い出した。

  映画は二度みるべきものである。「東京家族」は小津に対するオマージュであると同時に、まぎれもない山田作品である。

 高度成長経済下の大阪万博に沸く日本列島を、九州の炭鉱町からその廃坑によって、北海道を目指す家族とその時代を「家族」で描いた山田である。「幸せの黄色いハンカチ」もまた、夫婦の物語である。

 寅さんシリーズもまた、列島の風景と下町の実家の周辺に打ち寄せる、その時代を描いている。中小企業の人手不足であったり、不況のなかの苦労であったり、人々の暮らしの変化をみつめている。

  瀬戸内海の島に育って、教員になった周吉と見合い結婚の妻とみこは、長男の医師と長女の美容師を育て上げた。そして、周吉の心配のタネは、舞台芸術の仕事とはいえアルバイトをしながら暮らしている次男である。終身雇用で定職に就く常識から離れられない、周吉には次男の行き方が理解できない。

 とみこは次男の部屋を訪ねて、恋人の紀子に出会い、素直でしっかりとした性格の彼女がそばにいることに安心する。

  「東京物語」の紀子は、周吉夫妻の戦争で亡くなった次男の嫁として登場する。自分のこどもたちに邪険にあしらわれながら、紀子は夫婦と暖かく触れ合う。紀子役は原節子である。

  小津はその台本の冒頭に、「親と子の関係を描きたい」と記している。

 映画雑誌のインタビューにこたえた、自作に対する数少ない解説ともいえる文章は、次のようなものである。

 「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ。ぼく映画の中ではメロドラマの傾向が一番強い作品です」

  山田の作品群は、物語の展開にちょっとしたユーモアのある映像をはさみ、ラストシーンは必ずといっていいほど、未来に対する希望をいだかせることが多いと思う。

 「東京家族」もそうである。

  「東京物語」がそうであるように、「東京家族」もまた、半世紀以上にわたって観られるようになる作品だと思う。

  (2013年松竹配給)

 

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つやのよる

2013年1月9日

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つやのよる

2013年1月26日(土)全国ロードショー

 監督 行定勲

原作 井上荒野

脚本 伊藤ちひろ 行定勲

音楽 coba

主題歌 「ま、いいや」クレージーケンバンド

 配役

松生春二  阿部寛

石田環希  小泉今日子

橋本湊   野波麻帆

橋川サキ子 風吹ジュン

内田百々子 真木よう子

山田麻千子 忽那汐里

芳泉杏子  田畑智子

  伊豆大島の高台にある、病院のベッドの脇に置かれた心臓の動きを示す画像装置が、脈拍のヤマとその間隔の一筋の横線を映し出す。そのヤマが消えて1本の線が画面を横切る「死」に向かって、物語が進行することを予感させる。

 酸素吸入器のマスクをかけて、目を閉じて横たわっているのが「艶」つまりタイトルの「つや」である。

  つやの生命の営みがドラマを貫くひとつの縦糸である。病院を訪ねる夫の松生春二(阿部寛)をうつむきかげんに優しい表情を浮かべて見上げる、看護婦の芳泉杏子と、松生にまとわりつく少年のふたりが、ドラマのなかにとぎれとぎれに現れる。このふたりがもうひとつの縦糸である。

  がんの末期で痛み止めのモルヒネを点滴で入れられている、つやは起き上がることも話すことも、酸素呼吸器のマスクによってその表情もうかがえない。

  つやと関係があった男たちとその妻や恋人のドラマが、オムニバスのようにふたつの縦糸に折り合わせる横糸のように、物語は展開する。つやは多情な女であり、松生は彼女に誘われて大島にやってきて、レストランとペンションを経営するようになったことがわかる。

  死に近いつやのもとに、過去の男たちを呼び寄せようと松生は電話をかけ、彼女のパソコンに残っていたメールに返信する。

  資産家を思わせる元の夫の太田(岸谷五朗)は、屋敷の離れに引きこもり状態である。彼のアパートの賃貸を斡旋する不動産屋の従業員の橋本湊(野波麻帆)と関係を持つ。和服姿の太田に向かって、下着を脱ぎ捨ててその美しい後ろ姿を湊はみせる。

  少女時代に父が母の山田早千子(大竹しのぶ)のもとを去った、女子大生の山田麻千子(忽那汐里)の物語は、つやと父がふたりで写った写真をみつめる母の気持ちに近づこうと、担当教授に抱かれてみる。

  美容師の池田百々子(真木よう子)は、スナックを営む恋人の茅原優(永山絢斗)がつやにストーカー行為をされた過去にとらわれている。優の子どもだという少年を連れて突然、萩原ゆかり(藤本いずみ)が現れる。

  ひとつひとつの男女の物語は、アコーディオンの物悲しいメロディーによって画面が転換していく。

  モーパッサンの短編を読んでいるようなここちよい気分になる。

  つやを少女時代に犯した過去を持つ従兄で作家の石田行彦(羽場裕一)の妻である、環希(小泉今日子)が、夫の文学賞受賞のパーティで、元編集者の伝馬愛子(荻野目慶子)と繰り広げるとっくみあいのけんか。お互いにグラスに入った赤いワインをかけあって。環希の大島の着物の襟から帯びにかけて、ワインが流れてしみる。

  つやの謎を解くようにして、ドラマは進むが、結末のつやの通夜のシーンで明らかになるのは、松生の人生である。そして、つやの命の証しである1本の線が途絶えるとき、新しいもう1本の縦糸がつながる。つやを失っても、松生はもうひとつの人生を歩み始める。

  エンディングは、行定監督が自らが作詞し、クレイジーケンバンドに歌唱をゆだねた「ま、いいや-MA IIYA」である。

    ま、いいや 最近の俺の口癖

    ま、いいや おまえ最悪の女だったけど

    ま、いいや かわいい女だったから

    愛し抜くことができたから

 (2013年東映配給)

 

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