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政治経済情報誌・ELNEOS 7月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長が「完全非核化」を確認した、米朝首脳会談を受け、日本政府は最重要課題と位置づけしている「拉致問題」について、安倍晋三首相は北朝鮮と直接交渉に当たる可能性について言及した。

 北東アジアにおける地政学クライシスはこれからどのように変化していくのだろうか。政府のみならず企業も米朝合意の枠組みのなかでさまざまな活動をしていくことになる。

 地政学的なリスクを意識しながら日々の企業活動の危機管理に当たっている広報パーソンの方々とともに、朝鮮半島の今後を考えるうえで必要な「補助線」を引いてみたいと思う。

 「朝鮮半島 地政学クライシス」(日本経済新聞社出版、小倉和夫氏ら編・二〇一七年)は、今回の米朝首脳会談の結果を予測していた。

 米朝関係に詳しいジョージ・ワシントン大学のヤン・C・キム名誉教授は「武力行使のオプションを排除するなら、北朝鮮への説得力あるインセンティブ提供も検討しなければならない」と指摘している。

 韓国の中央情報部(KCIA)の北朝鮮情報局長や統一相を務めた、康仁徳・慶南大学教授は「制裁と協力のバランスを維持することだ。制裁措置は、北朝鮮当局者たちのタイ人民統制強化の良い名分になっている」と強調している。

 元駐韓特命全権大使の小倉和夫・青山大学特別招聘教授は「過去の歴史を振り返ると、経済制裁がそれなりの効果を上げたケースにおいては制裁のやり方や中身よりも、その当時の国際情勢において関係国間に妥協の道を探らざるを得ない戦略的理由があったことが影響していたことがわかる」と朝鮮半島の過去と現在を俯瞰している。

 前掲の著作によると、朝鮮半島とくに北朝鮮は王朝時代から、良質の無煙炭を輸出していた。鉄鉱石やタングステンなどの埋蔵量も豊富である。日本は一九三〇年代以降、満州(中国東北部)と朝鮮半島を地域経済圏として鉄道や電力、港湾のインフラ投資を行った。戦前の朝鮮半島の鉄道の総延長は六千四九七キロであり、そのうち北朝鮮地域が四千九キロを占める。軍事的、産業的に重要視したからである。現在の北朝鮮においても、主要な幹線となっている。

 日本が鴨緑江に建設した水豊水力発電所は当時、世界最大規模のコンクリートダムを有した。港湾施設では、羅津港に満州鉄道が直接乗り入れ日本とつなぐ代表的な港となった。

 日朝国交正常化と経済協力について、日本経済研究センターの李燦雨・

特任研究員は、日本が提供する「経済協力資金」を最大で一〇〇億ドルと試算し、そのうち四五億ドルが鉄道や道路、港湾などのインフラ整備に必要だとしている。農林水産業の開発と電力正常化の「支援性協力」は二〇億ドルである。

日本が戦後東南アジア諸国に対して賠償をするに際して、日本企業をからませた「ひも付き」援助と同様に、北朝鮮に経済援助をするかどうかは未知数である。米朝首脳会談によって北東アジアの経済情勢は激しく流動化しようとしている。

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政治経済情報誌・ELNEOS 6月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 韓国の文在寅・大統領と北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長の南北首脳会談は、内外の報道機関によって実況中継されたばかりではなく、北朝鮮はその後独自に編集した映像を国営放送で流した。

 政治的な情報戦、心理戦あるいは世論戦によって、特定の思想と行動に誘導するプロパガンダである。

 映像の世紀である二十世紀をまたいで、映像はますます影響力を強めている。

 革命の思想として生まれた社会主義・共産主義はプロパガンダを武器としてきた。しかし、資本主義もまた、国民世論を統一する手段として映像を利用してきた。

 クリスマス・ソングの名曲「ホワイト・クリスマス」がラストシーンに流れる同名の映画(一九五四年)は、朝鮮戦争を背景として、退役した将軍が現役復帰を願い出るエピソードがテーマとなっている。

 曲自体は、映画に先立って作られたものである。ビング・クロスビーの甘い声と美しい詩のヒット・ソングは通奏低音として戦争がある。

 第九〇回米国アカデミー賞のメイクアップ&へスタイリング賞を日本人アーティストの辻一弘が獲得した「ウィストン・チャーチル」(二〇一七年)も、北朝鮮情勢やシリア情勢などと重ね合わせて論じられている。

ヒットラーと宥和政策をとったアーサー・ネヴィル・チェンバレン首相に対して、ヒットラーの野望に警鐘を鳴らして、戦時体制を築くことを唱えた、チャーチルの姿は平和のためには圧力こそ必要である、という評価を呼んでいる。

ノーベル文学賞(一九五三年)を受賞した回顧録の「第二次世界大戦」は邦訳が河出文庫四巻に及ぶ大著である。第二次世界大戦に至る歴史のなかで、対戦の膨大な被害を防ぎえた瞬間が幾度もあったことを悔恨とともに指摘している。

第一世界大戦に敗北したドイツについて、皇帝を廃さずに立憲君主制のもとで民主主義を発展させる道もあったとしている。米国によって、日英同盟が解消されたことが、日本を枢軸国側につかせた要因であると。ヒットラーが再軍備に踏み出した当初の段階で、フランスが進駐していれば圧倒的な軍事力によってドイツをけん制することが可能だったとも。

企業の衰亡をいかに防ぐか、あるいは地政学的なリスクとどう向き合うのか、広報パーソンが考えるひとつの手掛かりとして、チャーチルの回顧録は教科書となる。

政府・自民党の広報戦略は、「モリ・カケ」や財務省事務次官のセクハラ問題などをめぐって迷走を続けている。

国税庁長官や事務次官が辞任したあとに、財務省の廊下の片隅で囲み取材の形で、放送局のカメラの前にさらしたうえで簡単な一問一答をさせるにとどまっている。

問題の本質を解明する姿勢をまったく感じさせない、映像によるプロパガンダである。事態の収拾にもっていこうという意図は明らかである。

国民にとって、プロパガンダ映像が効果を発揮する余地はほとんどない。記者会見や株主総会を映像配信する企業が増えている。政府の轍を踏んではならない。

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政治経済情報誌・ELNEOS 5月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 メディアの経営が政権によって揺さぶられている。言論機関としての新聞・放送が「モリカケ問題」をきっかけとして、安倍一強体制を追い詰めている裏面史が刻まれようとしている。

 政府の規制改革推進会議が検討している放送事業改革のなかで、政治的公正を掲げている「放送法4条」の撤廃問題である。この条項は番組制作の前提として、➀公序良俗②政治的公正③正確な報道④意見が対立する問題は多角的な論点を提供する、の項目で構成されている。

 また、放送局の番組制作部門と配信部門つまりソフトとハードを分離することも検討課題としている。

 インターネットメディアの進展によって、通信と放送の融合という観点から、この分野においてあらゆる法律が新しい産業の発展の足かせになっていないかどうか、という視点から検討を加えてきた。

 日本民間放送連盟の会長である、東京放送ホールディングス・TBSテレビ取締役名誉会長の井上弘氏は、定例会見で、放送法改正に対して真っ向から反対の姿勢を示した。

 「私たち放送事業者は日々の放送を通じて、民主的な社会に必要な基本的情報を全国津々浦々にあまねくお伝えしているという責任もあるし、自負もある。……単なる資本の論理、産業論だけで放送を切り分けして欲しくない」

 民放業界のみならず、政府・与党内の一部にも慎重論がみられる。新聞の社説の論調もまた反対である。

 しかし、メディアの動向に注視している広報パーソンにとって、こうした論議は隔靴掻痒(かっかそうよう)にしてかつ分かりにくい。

 新聞の権益が侵されるという歴史的な視点に立つことによってのみ、事態は理解される。

 放送法を貫いている大きな柱は「マスメディア集中排除の原則」である。放送の先進国であった米国で戦前から導入されているものである。

 世論に影響力のある新聞が、放送という新たなメディアも支配すれば、その世論形成能力はさらに著しいものとなり、ひいては多様性ある論議を封じる危険性がある、というのが「集中排除の原則」のもともとの意味である。米国におけるこの原則は、徐々に規制緩和されており、その詳細はここで論じないが、新聞による放送支配はいまもできない。

 戦後の日本で民間放送局の設立を主導した電通は、新設の放送局の株式について、地方の有力企業などに割り振ったと同時に新聞社を加え、自らも出資した。形式的には、「集中排除の原則」を遵守したが、放送局の社長以下に新聞社出身の役員が並ぶという、実質的に原則逃れの状態が続いている。

 霞ヶ関の官僚が民間企業に天下るように、新聞社の幹部が民放に天下る構造になっている。官僚たちが、大学の同期が民間企業の役員を務めていることから、自らの能力も同じであるから民間企業の役員もできる、と考えているように、新聞社の幹部もまた放送局を支配する。

 新聞社の経営は、部数の急激と広告の急激な減少によって揺らいでいる。頼みの綱の放送利権もまた、ネット広告の増加の趨勢が続けば、二〇二〇年にはテレビ広告を追い抜くと推定されている。放送法改革は、新聞社にとって劇薬である。

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政治経済情報誌・ELNEOS 4月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 森友学園めぐる公文書について財務省が改ざんを行った事件は、本稿執筆時点の三月中旬、安倍内閣と財務省がどのような決着を図るのか、その方向性はまったくみえない。

 公文書の改ざんは、刑法に抵触する可能性がある。

 財務省は伏魔殿である。

 今回の事件の決着について、永田町と霞ヶ関では、前例主義が原則となる。

 政治家や官僚たち、そしてメディアの脳裏に浮かぶのは、旧大蔵省を舞台とした一九九八年の「接待汚職事件」である。事件が発覚する直前に新聞記者として、旧通産省(現在の経済産業省)と大蔵省を担当していた。国を動かしているという官僚たちの自負と逸脱が、霞ヶ関には存在していた。

 銀行と証券会社による官僚に対する接待は、大蔵省から証券監視委員会、日本銀行までに及んだ。

 東京地検特捜部は、大蔵官僚と日銀の課長を逮捕した。大蔵省は内部調査に基づいて多数の官僚を懲戒処分にした。三塚博・大蔵相と松下康雄・日銀総裁、小村武・大蔵事務次官は辞任した。

 日本の統治機構はいうまでもなく、議院内閣制である。政府は議会の信任によって成立する。

 しかし、「接待汚職事件」が明らかにした官僚の、官僚による、官僚のための「官僚内閣制」ともいうべき宿痾(しゅくあ)は、依然として統治機構に巣くっている。

 このシリーズで紹介した「なぜか、『異論』の出ない組織は間違うのか」(宇田左近著・黒川清解説)は、公共機関にみられる「マインドセット」の問題を提起している。

「実行を担保するにあたってはスキルよりも権限を重視し、成果よりも手続きと年次ヒエラルキーを重視し、無謬性に固執するがゆえに改善を否定し、そして形式主義に基づく組織の操作でその場を乗り切ることを是と信じて疑わないマインドセットである」と。

「接待汚職事件」の前例にならうとすれば、麻生太郎・財務相の辞任と、財務省の内部調査に基づく官僚の懲戒処分は当然である。

 ここで重要なのは、「官僚内閣制」の打破である。

 歴史的にみれば、敗戦という事態に直面しても、連合最高司令官総司令部(GHQ)が占領統治に活用したこともあって、「官僚内閣制」は生き延びた。「接待汚職事件」によって、大蔵省は金融部門を金融庁として切り離さ、権限が削減されたが、生き延びた。

 「内閣人事局」が官僚たちを委縮された元凶である、との言説も広がっている。それは「官僚内閣制」の温存につながりかねない。人事権と査定権限なしに官僚たちを統率することはできない。

 霞ヶ関の事務次官経験者の経歴をみると、広報室長あるいは広報担当の文字が浮かび上がることはまれではない。

 「議院内閣制」vs「官僚内閣制」の世論工作は始まっている。

 日本のメディアは権力に近い担当ほど、社内で格が上であるという「官尊民卑」であることも、官僚たちにとっては都合がよい。(了)

 

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政治経済情報誌・ELNEOS 3月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 「偉大な国家を滅ぼすものは、決して外面的な要因ではない。それは何よりも人間の心のなか、そして反映たる社会の風潮によって滅びるのである」

 京都大学名誉教授の中西輝政氏の代表作である『大英帝国衰亡史』は、ベニスの衰退期を生きた歴史家の言葉を引用したうえで「もし衰退が『人の心』、つまり精神的活力の枯渇に生じるものであるとしたら、それは具体的に『誰の』心、どのような人びとの『気力の喪失』に発するものなのかが問題となる」という。

「イギリスが生んだ二十世紀最大の古典学者ギルバート・マーリは、ギリシャ・ローマの大文明衰退の核心は『気力の喪失』以外はありえないことを力説している」

 「いつの時代、どこの国でも、国家を指導するエリート階層は存在する。

 繁栄するどの大国においても、こうしたエリートの有能さと、階層としての活力、さらに民衆側のそれに対する揺るがぬ信頼感がはっきりと存在した」と、中西氏は指摘する。

 エリート階層の「気力の喪失」が国家の衰亡をもたらすのである。「エリート」を経営者と言い換えれば、大企業が陥っている苦境が浮かび上がる。

 東芝の不正経理問題は、外部から会長職を迎えて、ガバナンスの強化を図ろうとしている。金属メーカーの子会社による不正検査・出荷問題は、次々と明らかになっている。

 広報パーソンはいかにして「衰亡」に抗し得るであろうか。

 創業者あるいは中興の祖の言動を改めて、組織のなかに思い出させることではないか。大企業の広報部門のなかで往々にしてその位置づけがあいまいである、社内報部門の課題である。

デジタル時代を迎えて、紙からネットの社内報に移行しつつある。このとこは、時宜にかなったコンテンツを社内の隅々まで一気に伝えられる環境ができあがった。

対外的な広報とともに、社内報は広報部門の二本柱である。社内が創業者の「気力」に溢れていなければ、社外からの攻撃に弱い組織となる。

 ソニーは二〇一八年三月期の決算予測において、二十年ぶりの最高益を成し遂げる見通しになった。「ものづくり魂」(井深大著、二〇〇五年)という「気力」の基盤に返ることができたというべきだろう。この著作は、創業者である井深ともうひとりの創業者の盛田昭夫が、ソニーの歴史を振り返るとともに、二十一世紀の課題について語り尽くした。

 盛田 ソニーの社員は、気がついたらソニーの社員だったという人はいないはずです。自分で選んだ会社である以上はたいせつにするのはあたりまえです。いやだったらいつでも辞められる。

 井深 いくら会長や社長が、声をからして愛社精神と叫んでみたところで、これは無理な話でね。要は一人ひとりの会社に対する気持ちだからね。

 盛田 人生というのは二度ないんですからね。自分で選んで就職して、ここで働くと決めた以上は、自分の一生を幸せにしていく努力をする必要がある。

 井深 自分で切り開いていかなきゃね。

 (この項了)

 

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